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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第二章 花ノ国編
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第五十三話 花ノ国の一夜

 アサヒに異能の力が発現した頃。


 アオイ御所の女皇の自室では、レイランが回らない頭で執務をこなしていた。その様子はまさに心ここに在らずといったもの。手に持つ筆の墨は随分と前に乾いたままだ。


 兄には寝ていろと言われたが、これから裏町で起こることを考えれば眠れる心境になるはずがない。文句を言えば、彼はレイランの為にぬるめの茶を淹れ、伽羅の香を焚いていった。


 レイランは昨晩の謁見を振り返る。

 皇族の自分たちの問いにミヤは一切答えなかった。それどころか憎々しげにこちらを見やり、嫌悪感を隠そうともしない。たまに口を開いたかと思えば、憎まれ口。

 あんな風に直接敵意をぶつけられたのは初めてだったため、レイランは動揺した。表面では余裕の笑みを貼り付けつつも、そこまで嫌われたものかと泣きたくなったものだ。

 女皇とはいっても、中身は10つそこらの少女なのだから。


 結局兄によって謁見は半ば無理やり終了させられ、けろっとしているミヤと、無駄働きさせてしまったハツメたちを家に帰した。


 ミヤを捕らえておくという選択肢はもともとなかった。もし交渉が決裂したら、その場合は強行手段でいくことが兄妹の間で決まっていたからだ。今回は交渉にすら届かなかったわけだが、いずれにしても変わりはない。


 しかしながら、その強行手段の内容に関してはもともとの計画よりやや異なっている。それは昨晩、ミヤとハツメたちが襲われたという報告からだ。お陰で裏町の全てを無に帰す必要がなくなったのだから、この報告には心から感謝したものだ。


「ハツメたちには後で謝罪と感謝の意を示さなければならぬの。……ミヤも、何か言い方が悪かったのじゃろう。もう一度、なんとかならぬものか」


 自分1人しかいない中、レイランはぽつりと呟いた。

 伽羅の甘くほろ苦い香りが、棘でつつかれたような少女の心の傷に染みていくようだった。




 場所を移して、裏町。


 花ノ国の派閥の頂点に立つ美女は、その絹のような黒髪を乱しながら夜に沈む路地を駆けていた。

 都の西端部というわずかな面積の中で戦っては逃げを繰り返し、もう半日になる。


 最初に襲撃を受けたときはどちらによるものか分からなかった。

 返り討ちにして相手の顔つきを見れば、ミヤはさしあたっての敵は錫ノ国の派閥だと認識する。それもそうだ。昨日ミヤに向けて放たれた刺客は、全員戻らなかっただろうから。


 一斉に動き出したことを考えれば、今夜で敵は自分たちを潰すつもりなのだろう。

 もともと協力関係にあったわけではないし、むしろ裏町のわずかな利益を求めてしのぎを削っていた相手だ。何らかのきっかけでひとたび均衡が崩れれば、こうなることは容易に想像できた。


 表社会から逃げてくれば裏社会での生存競争が始まる。

 ミヤはいつからか、自分の足だけで立つことに疲れていた。


 彼女は昨晩の謁見を振り返る。

 自分を文官に取り立ててやるから裏町を売れとは、随分と馬鹿にされたものだ。表社会を捨てた者はもう守るものがないとでも思っているのだろうか。話次第では裏町における錫ノ国の動向を教えてやろうかと思っていたが、もうどうでも良くなった。

 今までの皇族が裏町を見て見ぬふりしていたように、こちらも黙っていればいい。自分たちのことは所詮自分たちで守らねばならないのだから、そういう結論に達した。


 だが今回に限っては、それも無理らしい。

 相手が大き過ぎた。


「ここまでかしら……」


 ミヤは重くなった足を止め、路地を振り返る。

 ならず者にしては身綺麗な集団が彼女を見据え、じりじりと近付いていた。


「子飼いの兵士はあまり下卑た笑いを浮かべないものね。だったらましかな」


 そんな自分の馬鹿げた発言に1人で吹き出す。

 抵抗も諦め、迫る死を覚悟した瞬間。


 清涼な鈴の音とともに、1人の男がミヤの頭上から降り立った。


 そのまま夜に溶けていきそうな黒装束に全身を包み、右手の甲には手甲鉤(てっこうかぎ)を装着している。開いた手よりも少し長く伸びた4本の刃が冷たい光を放っていた。


 突如降り立った人物に誰かが反応するよりも先に、黒装束の男はその手甲鉤で錫ノ国の兵士たちを屠っていく。仮に男が手にしているものが手甲鉤でなく扇であったなら、ミヤは男が舞を踊っていると勘違いしたかもしれない。それほどまでに繊細で優雅な動きだった。男がその長髪をなびかせてミヤ以外の全員を地に伏せる間、誰も一言も発さなかった。


 男の無音の演舞を呆然と眺めていたミヤだったが、その男が今度は自分に向かい歩を進めていることに気付きはっとする。布で鼻と口を覆っているため全体の顔は分からない。しかし顔の上半分は、花ノ国の男性によくみられる、ある特徴を持っていた。


 どこかで見覚えのある顔だ――そう思っている間に男の腕がミヤに伸び、彼女はそのまま意識を失った。

お読み頂きありがとうございます。

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