第四十八話 妖捕獲
ケイと別れてすぐにハツメは家に戻った。軒下に入るとえんじ色の傘を軽く振って雨粒を飛ばす。傘を閉じるとそのまま玄関先に立て掛けて、橙の光がこぼれる家の中に入った。
「おかえり、ハツメ」
ハツメが帰ったことに気付いたアサヒは玄関先で彼女を出迎える。
「アサヒ! もう身体は平気なの?」
「ああ。だいぶ良くなった」
そうは言いつつも、見せる笑顔はどこかぎこちない。
「少し伝えたいことがあるから、報告会をしよう」
「うん。私も言わなきゃいけないことがあるの」
居間に戻るとさり気なく椅子を引いて着席を促すアサヒ。それに甘えて、ハツメはその席にすとんと座った。
アサヒは昨晩あった出来事を、言葉を選びながら報告する。
「ははあ。それでアサヒはその妖から逃げてきたのね」
「ああ」
アサヒは顰めっ面だ。笑顔がぎこちない理由が分かっただけでもハツメはほっとした。
「それで、ハツメの方は?」
アサヒに訊かれ、ハツメは今日1日の間にあったやり取りを全て話す。青狼蘭の儀式のこと、ケイとの会話。
「胸に青い蝶の刺青……?」
「そう。そのミヤって女の人にあるんだって」
「……それ。俺が昨日会った女にもあったぞ」
アサヒは至極不快そうに自身の側頭部に触れる。昨日自分で付けた傷がずきりと痛んだ。
「それって……」
目を見開くハツメの横で、窓際に立つシンが口を開く。
「妖とミヤは同一人物ですか」
「可能性は高いな」
「捕まえましょう」
「ああ。だが1つ思ったのだが、多分雨の日には出ない」
アサヒが思うに、妖が脅威なのは強過ぎる香りが原因だ。香りが薄れるのを嫌がって雨に濡れたくないと仮定すれば、梅雨の終わるこれまで、裏町を訪ねた頻度の割に一度も会えなかったことにも説明がつく。
「では明日晴れたら捕獲に行きましょうか」
「多分だけどな。まあ違っても雨よりは捕まえやすいだろう。ありがとう、ハツメのお陰だな。……ハツメ?」
先程から反応なく机を見つめるハツメを不思議に思い、アサヒが顔を覗く。ハツメは少し抜けた顔で、
「……アサヒ。胸、見たの?」
「え」
「だから、その絶世の美女とやらの胸。見たの?」
「いや、胸というか胸元……見たには見たけど、不可抗力で……」
「……そう。そうですか」
尖るわけではないが変な思考に入るハツメと、予想しなかった反応に狼狽えるアサヒ。シンは何とも言えない顔で2人を眺めていた。
翌日。重たい雲が空を流れている。半端に欠けた月は気まぐれにその雲に隠れたり、姿を現したり。それに合わせて裏町の路地も至極ゆるやかに明滅していた。
シンは1人裏町を歩いていた。あえて剣を持たず、どう見てもただの庶民ですよ、という装いで。纏う雰囲気もいつもの剣先のような鋭いものではなく丸みを帯びている。気の張った演技なら誰でもできるが、自ら隙をつくるというのは難しいに違いない。それをシンはあっさりとこなしていた。
気の抜けた歩調で彼が路地の一角を曲がると、視線の先には美しい女が1人、民家の軒先に腰を下ろして不完全な月を眺めていた。女はシンに気付くとすぐに立ち上がり、流れるように近付く。
「こんばんは、素敵なお兄さん」
シンは動かない。
「私と一晩、遊びましょうか」
そう言って女はシンの顎をくいと上げると、晒された喉元に顔を近付ける。そのまま色味のいい舌で舐ろうとすると、彼の顎に触れている女の腕がぐいと掴まれた。
シンは女の腕を固定しながら、反対の手で女の懐を掴む。絶妙な位置まで衣を引き下ろすと、両羽を広げた青い蝶の刺青が露わになった。
「決まりだな」
女の抱いた感想はあら積極的、ではない。冗談すら浮かばない、突如あらわになった眼前の男の刃物のような雰囲気に、自分は釣られたのだと察する。
女は後悔する間も無く背中から地面に落ちる。一呼吸で背中からの衝撃から何とか立ち直れば、女の首筋にはぴたりと剣先が当てられていた。
剣の主はハツメ。天剣ではなく普通の剣でもって、女の動きを止めた。
「よし、ちょっとだけ離れてくれ、シン」
路地裏に潜んでいたアサヒの合図で、女に覆い被さっていたシンは身体をどける。間を空けず、女の身体には冷水が浴びせられた。
「きゃあ! 何するのよ!」
「匂いがきつくて近寄れたものじゃないからな」
そう言ったアサヒが手にするのは空になった桶。中身はハッカ水だった。
辺りに漂う清涼な香りに、女は美しい顔を歪ませた。
捕らえた美女を地べたに座らせたまま、アサヒは女の頭上から問う。
「お前が裏町を牛耳るミヤだな?」
「この間の男の子じゃない。……そうよ」
拗ねた態度のミヤだが、シンが剣をちらつかせるとすぐに吐いた。
「女皇がお前に会いたがっていてな。連れてこいと頼まれている」
「女皇? なんだ、私はてっきり……いや、何でもないわ。どっちにしろ、ついてない」
「とにかくこれからアオイ御所に行くからな」
レイランには既に今夜のことを伝えてある。上手くいけばそのまま連れて行くとも。
「あーあ。なんだか最近よく異国の男に振られるわね」
「異国だと分かるのか」
アサヒの質問に女はくすりと笑った。
「まあね。何人の男を見てきたと思ってるのよ。見た目、話し方、雰囲気で大体わかるわよ」
「へえ」
「……それより。私の色香に全く動じない男がいるなんて結構落ち込むんだけど」
そう言ってミヤはシンの方を見やる。
「色香というより、その花の香りだろう。確かにシンは平気そうだったな」
「何も感じないわけではありませんが。……色々と経験すると、多少のことでは動じなくなるものです」
これ以上は聞かないで下さいという風に、シンはすっと目を伏せた。
お読み頂きありがとうございます。




