第四十二話 青蘭祭 レイラン
翌日、レイランの話の通りハツメのもとに迎えが来た。昨日と同じ牛車が一台。ハツメは使いの者にどうしても乗らなければいけないか尋ねるくらいに気が引けた。結局ハツメが乗らなければ使いの彼らが怒られるということで、乗るしかなかったのだが。
ゆったりと進む牛車に揺られながら、こんな移動はこれっきりにしてもらいたいとハツメは切に願う。
「よう来たなハツメ」
アオイ御所に着くとご機嫌のレイランが出迎えてくれた。
「昨日は突然の謁見済まなかったのう。内容も、一旦忘れておくれ。嫌々条件を飲ませるつもりは毛頭ないからの」
レイランはそう言うと心から申し訳なさそうな顔をした。アサヒのことで何か言われるかと思ったハツメは少し肩透かしである。とはいえ、ハツメからわざわざ嫌な話題を出すこともない。
女皇直々の案内で昨日とは異なる道を進む。
着いた先は御所に続くようにつくられた御苑の一角、山茶花の生垣の裏だった。ハツメは山茶花は冬に咲くものだと思っていたが、ここの山茶花は今ちょうど桃色の可愛らしい花弁を開いていた。
「わらわは最初だけちょっと行かねばならぬから、ここで待っててたもれ。なに、ここなら誰にも見つからず催しが見られるのじゃ、安心して楽しんでておくれ」
そう言ってレイランはハツメを置いていった。
「まあ見ててって言ってくれたから、見てて良いのよね」
生垣の裏から御苑の広場内を覗くと、花ノ国の文官や武官、そして芸能者が集まっている。しばらく待っていると催しが始まった。
正面を見れば上がった御簾の向こうにレイランがいた。文官や武官と何やら談笑している。
めくるめく芸能の披露にいちいち感動するハツメだったが、特に目を奪われたのは1人の踊り子だった。
年はハツメよりも明らかに年下だが、1つ振りをすれば花が舞うような錯覚を覚えるほどの芸達者。可愛らしい中にも時々はっとするような色気を感じる。鮮やかな衣装に身を包んだその踊り子にハツメはしばしの間虜になった。
「待たせたの、ハツメ」
振り返ると、一仕事終えたようにさっぱりした表情のレイランがいた。気が付けば正面の御簾は下りている。先程の皇族らしいきらびやかな衣装ではなく、少し落ち着いた服装だ。とはいっても、相当上質なものではあるが。
「あれ、あそこにいなくても良いの?」
ここに着く前に砕けた態度でお願いしたいと言われていたハツメはあえて畏まらない。その様子にレイランも満足したようで、
「良いのじゃ。御簾が下りてしまえば誰がいても分からぬからの。わらわの下働きに代わってもらったのじゃ」
そう言って、ころころと笑う。
「催しは楽しんでもらえたかの。ハツメなら喜ぶかと思ったのじゃが」
「ええ、とっても」
「それは良かった。あともう1つ、見て欲しいものがあってな」
レイランは後ろを振り返る。謁見の際にもいた側近が立っていた。ハツメは改めてその青年を見る。
長髪を耳の高さで上下に分けており、上は1つに纏め上げ、下は腰まで下ろしている。歳はシンと同じくらいか、やや下か。ほんの少し吊り上がった目が印象的であった。
しかしレイランが見て欲しいのはその青年ではなく、その青年に抱かれている小動物。
「猫じゃ」
「うわわわわ……可愛い」
ハツメが恐る恐る猫の頭を撫でると、人慣れしているのか猫は愛嬌良くにゃあと鳴いた。
「レイラン、ありがとう」
「良いのじゃ良いのじゃ。わらわはどうしても友達というのが欲しくての。花ノ国の者はもちろん、どこの国の者も垣根が取れなくてつまらん。ハツメなら国同士のあれこれなど、考えずに付き合ってくれるかと思ったのじゃ。反応も素直だしの」
「ふふ、嬉しい」
にこにこ笑うレイランにハツメも笑い返す。
「レイランの我儘は久しぶりだからな。よほどお前と友達になりたかったのだ。よろしく頼む」
今まで静かだったレイランの側近が口を開いた。しかし側近だというのに、主を呼び捨てにするものだろうか。
「我儘など。たまには良いと言ってくれたではないか、兄者」
レイランはそう言って膨れると、隣の側近を見上げる。
「……お兄さん?」
「そうじゃ。ヒメユキはわらわの兄者での」
「申し遅れたが花ノ国の補佐官をしているヒメユキだ。レイランの兄だ」
ハツメはまじまじと見る。言われてみれば、レイランと似ていなくもない。
「花ノ国は代々女が継ぐことになってての。兄者には補佐官をしてもらっておるのじゃ」
それからは3人で色々と話した。ハツメが気になっていた山茶花の話をすると、
「これは春山茶花というてな、春に咲くように自然交配させたのじゃ」
「レイランは歴代の女皇に比べて文化振興にも力を入れている。商業国家が栄えるためには、こういった努力も必要なのだ」
「照れるぞ兄者」
そういった和やかな兄妹間のやりとりに、ハツメは少し癒されるのだった。
楽しい時間は早く過ぎる。あっという間に夕刻になり、会はお開きになった。
「こんな風に話せる人間がおらんかったからの、嬉しいのう」
帰り際、レイランははにかんでハツメに抱きつく。
「おやハツメ、何か身に付けておるの」
「ああ、頂き物のことかしら?」
「ヒダカか?」
「ううん、山ノ国の友達」
レイランの目がきらりと光る。
「男かの」
「うん。どうして?」
「いいや。……贈り物をするほど仲の良い友達とは羨ましいのう。わらわも今度はハツメに何か贈るぞ」
「ありがとう。じゃあ私もレイランに何か贈るわ。贈り合いっこしましょう」
「本当か! 嬉しいのう。また呼ぶからの、ハツメ」
「うん。またねレイラン」
レイランが手を振ると、ハツメもそれに返して2人は離れた。ハツメを見送ったレイランは楽しげに指を遊ばせる。
「しかし、いやらしい贈り物をする男友達もいたものじゃのう、兄者」
「端から見ると気付かなかったが」
「わらわのように至近距離でないとな。まあ何も考えずハツメが身に付けているということは、それこそ意識してないことの裏返しではあるがの」
「お前は色恋沙汰になると目が輝くな」
「そういう話は大好きじゃ」
レイランはころころと笑う。
「ヒダカは知っておるのかのう。気付いても気付かなくても可哀想じゃな」
「どうしてヒダカなんだ?」
「なんじゃ気付いとらんのか! わらわには初対面で筒抜けじゃったぞ。兄者はもう少し男女というものを学ぶべきじゃ」
10歳も離れた妹に何を言わせるのじゃ、とレイランは頬を膨らませた。




