第四十一話 アオイ御所 二
「……は?」
「だから婿じゃ婿。わらわと結婚しておくれ、ヒダカ」
あまりに予想外の発言にアサヒとハツメは言葉を失う。まだ10つを超えたばかりに見える少女が、何を言っているのだ。
「だから身内ですか……錫ノ国とは戦をしないと言っておきながら、随分と面白いことをおっしゃる」
ハツメが声のした方に視線を移すと、シンが皮肉な笑みを浮かべていた。
「アサヒ様。この女皇、アサヒ様と婚姻を結ぶことで錫ノ国を手中に収めようとしております」
「……頭の切れる従者じゃの」
つまらん、という風にレイランは眉を寄せた。
「まあ概ねそうじゃ。ヒダカは継承権をもってるしの。滅多なことは言えぬが、このご時世、どこの王子に何があるか分からぬ故……ふふ、何より会ってみればヒダカは良い男じゃ。わらわは歓迎するぞ」
「断る」
アサヒはレイランの誘いをばっさりと切る。
「わらわと結婚したい男など吐いて捨てるほどおるのに、勿体無い奴じゃ。お主には欲はないのか、わらわが何でも用意してやるぞ」
「欲はあるが、お前には絶対に用意できない」
眉間に皺を寄せて視線をかわすアサヒを見て、
「……ははあ」
レイランがにたりと笑った。
「あい分かった。もう良い。一旦この話は保留じゃ」
手をひらひら振って気まずい空気を払う。
「明日からは青蘭祭じゃ。花ノ国が誇る世界最大の行事、まあゆっくりと楽しむが良いぞ。それとハツメ、お主は明日もここに来い。猫も見たことがないお主に良いものを見せてやろう」
「え?」
「明日も迎えをやるからの」
そう言ってレイランは満面の笑みを浮かべた。
夜というのは考え事が滾る。否応にも滾ってしまう。天井を見ていても嫌な想像しか出来ないため、ハツメは部屋を出て、廊下すぐに位置する露台に出た。建物の外に張り出すようにつくられた木製のそれは春の涼しい夜風を浴びる絶好の場所である。
露台に通じる扉を開けたハツメに先客は微笑んだ。彼が何をすることもなくたむろすなど何だか珍しいなとハツメは思う。
「眠れないのですか、ハツメ様」
「ええ。何だか今日の謁見が頭から離れなくて」
「さすがにそうですよね」
シンは優し気に目を細めた。
ハツメは低い柵に寄りかかるように座っていたシンの横に腰を下ろす。
「何だかずっともやもやしてしまって。シンにお話してもいいですか?」
「ハツメ様がお話したいことでしたら何でもどうぞ」
ありがとうございます、そう言ってハツメは話し出す。
「今日の謁見の内容、というか天比礼を頂く条件なんですが……本当はアサヒにとって悪くないのでは、と思ったんです」
シンは少し驚いたようにハツメを見た。
「私は錫ノ国の戦を止めて、アサヒの目的も叶えたいと思っています。その為にも、私には神宝がないと対抗出来ないですし、谷ノ民としての義務感がないと言ったら嘘になります」
ハツメは胸中を整理するように1つ1つ、考えていたことを口から出していく。
「でもアサヒは違う。錫ノ国の中枢を倒してお母さんを弔えれば、神宝を探す必要なんてないんです。むしろ花ノ国に守ってもらった方が安全な上、余計な重みを背負わずに達成できます。……レイランならば私よりも、アサヒの願いを簡単に叶えられる」
「ハツメ様は、アサヒ様が花ノ国に居ついてもいいと思われるのですか」
あえて婚姻とは言わない。
「いいえ、嫌です。アサヒの為になるとは思っているのに、アサヒがあの子と結婚するのは何だかもやもやします。……猫も知らない私が、何を言っているんでしょうかね」
謁見の猫の話をまだ引きずっているのか、とシンは意外に感じた。
「ハツメ様、大事なのは知識の量だけではありません。ハツメ様の相手の話をよく聞こう、理解しようとするところは紛れもなく美点ですよ。今だって今日の話から、アサヒ様にとって一番良い道をお探しでいる。ここまで思い遣れる人は実はなかなかおりません」
シンは目を細めて続ける。
「でも、今のハツメ様のお話を聞いたらアサヒ様は悲しまれるでしょうね。ハツメ様が嫌がるように、アサヒ様も今日の婚姻話は嫌がっておいでです。お二人とも同じ気持ちでしたら、多少困難な道を選んでも後悔などなされませんよ」
「そっか……そうですよね。ありがとうございます、シン。楽になりました」
ハツメは胸のほつれが取れたように笑う。
「とんでもございません。私はハツメ様にも健やかであって頂きたいのです」
シンは軽く頭を下げる。
「もうおやすみしましょう。明日から3日間続く青蘭祭は、体力がいくらあっても足りませんよ」




