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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第二章 花ノ国編
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第三十八話 錫ノ国軍議

 日もとっぷり落ち、銀細工のランプの明かりがゆらゆら揺れる。

 いくつもの煌めく炎が照らすのは軍議室。

 四隅までぴったりと赤絨毯が敷かれ、中央には楕円の大きな机がある。

 机を囲むのは軍の中枢を担う者たち。


 カリンが面々を見渡すと中将、少将の席がいくつか空いていた。先日の山ノ国との戦で戻らなかった者たちの分だ。空いている席はそれともう1つ、向かいに座るエンジュの隣の席。


「それじゃあ始めようか」


 金色の髪を揺らして美貌の男は軽やかな声を出す。


「イチル様。アザミが来ておりませんが」


 エンジュが隣に座るはずの男の不在を知らせる。


「ああ。なんかアザミくん、父様の命でどこか行ってるんだって」


「あの子供(ガキ)……! いくら陛下の命でもイチル様に何も言わず出ていくとは、何を考えて……」


 カリンはぎりっと歯を食いしばった。


「本当にね、何を考えているんだか……父様は」


 イチルは困ったように笑う。


「まあいいや、軍議始めちゃおう。じゃあまず、山ノ国との話だけど……カリンちゃん」


「はっ。山ノ国とは痛み分け。しかし向こうの現状を考えると特に何も講じる必要はありません。山ノ国が戦を仕掛けることは現段階では不可能ですし、今の山ノ国を手に入れたとしてもこちらには収益もなく、かえって統治に人員を割かれる羽目になります。時期を見て、改めて攻めるのが良いかと。……例の一行も、山ノ国を離れたようです」


 前向きにまとめてはいるが、はっきり言って前回は負け戦だ。山ノ国を落としたら統治を任せようと思っていた面々が戦死し、予想よりも多くの兵と物資を失った。


「ありがとうカリンちゃん。まあ山ノ国に関しては、そういうことだから。むしろこれからは他だね。絶対に今年動かなきゃいけないのは花ノ国に対して」


 幾人かの将がびくりと身体を振るわせた。それもそうだろう、花ノ国は錫ノ国に次ぐ、いや、下手すれば肩を並べるかもしれない強国だ。


「さすがに正面切って戦ができるとは思ってないけど。とにかく詳しい任務は各自に追々通達するね。今日はもう少し、言わなきゃいけないことがあるんだ」


 そう言ってイチルは周囲を見渡す。


「山ノ国の戦のときにね、谷の穴鼠が一匹いたんだ。駆除し損ねちゃってたみたい。こともあろうに神宝(かんだから)まで出てきちゃったから本当に大変。これは予想だけど、これから他の神宝(かんだから)の周りでうろちょろすると思うから、見つけ次第殺して」


 カリンは視線を下げ、斜め前に座るイチルの手元を見る。右手には絹の白手袋がはめられていた。


「それと、これが一番大事なことなんだけど。その穴鼠、あ、女の子なんだけど、そいつと一緒にいる男の子は殺さずここに連れてきて。男の従者もいるんだけどそっちじゃなくて、成人したばかりの方ね。できれば傷1つない綺麗なままがいい。でも抵抗するなら、ほんの少しならいいかな。念のため言っておくけど、手足は絶対にだめだよ」


 よろしくね、とイチルは首を傾ける。金色の髪が明かりを反射して艶やかに光った。


「じゃあ、解散」




 軍議後カリンが廊下を歩いていると、中将が2人、砕けた口調で話し込んでいた。暗がりでカリンの方は見えていないとみえる。


「しかし、山ノ国に敗戦するとは、何があったんだ」


「それが戦に行った者でもよく分からないらしい。イチル様が大変だったようだが……」


「イチル様といえば軍議の最後のあれ、何だったんだ?」


「戦のときに余程お気に召された奴がいたんだろう」


「男、と言っていたが」


「なんだ知らないのか。イチル様が世話係に召し抱えるものは男女問わず皆……」


 カリンはすっと歩を進める。


「そこの殿方。いささか口が過ぎるのではございません? もしよろしければそのよく滑る口、首ごと落として差し上げますけれど」


「カ、カリン様! 申し訳ございません! 愚生めは退散いたします」


 ささっと逃げるように帰る2人を見送ると、カリンは深く溜息を吐いた。


 イチルを巡るその噂をカリンはよく知っている。イチルは昔から生まれの貴賤や男女を問わず、気に入った者を世話係に登用する。国民からすれば受けはいいが、少し宮殿を出入りする者ならばすぐに気付くだろう。イチルが登用する者の容姿はきまっている。


 さらりと流れる黒髪、白い肌に涼やかな顔。


 カリンはこれまでそれをただの好みだと思っていたが、先日の戦で第二王子を見たとき、瞬時に察してしまった。

 イチルは10年も前から世話係を通してあの男を見ていたのだと。


「あの第二王子……殺してやりたい」


 思わず呟いてしまい、はっと我に返る。暗い廊下を見渡すが気配はない。

 カリンは誰にも聞かれなかったことにほっと息を吐くと、自身も帰路に着くのだった。

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