第三十七話 花ノ都アオイ
谷ノ地に降り立った四柱の神々のうち、その神はもっとも早く新たな地へと旅立った。神は渓谷に沿って山を下っていくと小さな川は次第に大河へと変わり、大陸の中央に位置する広大な平野に出る。神はそこを己の土地とし、自身を花ノ神と名乗った。
花ノ神の恵みによって繁栄したとされるのが、花ノ都アオイ。豊潤な土地と大陸中央部という地理を生かし、大陸随一の商業都市として栄えている。
アオイに着いたハツメたち3人は、まずは街の様子見がてら腹ごしらえにかかった。
白い漆喰に青の瓦屋根を基調として、大小様々な建物が立ち並ぶ。すり硝子の窓を見れば、光を透かすようにして彫られた木製の格子細工がはめ込まれている。細工はその建物によって直線、流線形、花模様と様々で職人の意匠が垣間見られた。
「シンに言われてなかったら絶対腰を抜かしてたわ、私」
街の様子をきょろきょろと眺めながらハツメは感嘆の声を漏らす。
「人の行きかいが多いし、品も多種多様で、溢れているな」
「花ノ国は大陸の全ての国と交易しております。世界中から品物が集まるのですよ」
ここに入りましょう、そう言ってシンは程よく賑わっている一軒の扉を開けた。
「私は情報収集がてら個席に行きますので、お二人でゆっくり召し上がって下さい」
シンはつけ場の近くに備え付けられた机の一角に行くと、早速店主に注文する。アサヒとハツメもシンの近くに空いていた2人掛けの席に着いた。机も椅子も木彫りで装飾がされており、曲線を描く脚や背もたれが華やかさを演出している。
橙色の着物を着た店員が注文を取りに来たので、おすすめを2つ頼む。少しして出てきたのは、白磁の皿に乗せられた白い包み物。表面は綺麗な焼き目が付いているが、中はもちもちと柔らかそうだ。それが5つずつ並べられており、1つをつつくと肉汁が溢れ出した。どうやら肉や野菜を刻んだ餡を、白い皮で包んで焼き上げているらしい。
食欲をそそられる香り、期待通りの食感、ほどける餡の濃厚な味わいに頬がにやける。
2人が初めての味にあれこれ感想を述べていると、シンが他の客と話していることに気付いた。
近くなので少し耳を傾ける。
「……ええ。危うく巻き込まれそうになりましてね、こうして花ノ国に来たんですよ。こちらに赴いたのは久しぶりですが、あまり変わりないのですね」
「おうよ。むしろ今の女皇様のお陰で活気付いているぜ。今年も青蘭祭を盛大に行うおつもりだ」
隣の中年客は酒を飲んでいるのか、上機嫌で話す。
「そうなんですか。それは素晴らしい。……ああそうだ、来るときに護身用の剣を駄目にしてしまいましてね。どこか良いところを知りませんか?」
「どこでもいいのか?」
「ええ。表町でも、裏町でも、一番良いところを」
男は頭をかきながら、
「うーん、1番良いところなら裏町だが……夜1人ならお勧めはできん。妖が出るんだ」
「妖?」
「ああ。何でも夜、男が1人で裏町を歩いているとな、絶世の美女に言い寄られるんだ。抗えない魔性に魅せられて一晩過ごすと、次の朝には身持ちも何もかもすっからかん」
怪談を話すかのような口調の後、わははと豪快に男は笑う。
「ただの盗人だと思うだろ。けどな、どんなにお堅い奴でも、そいつを捕まえようと試みた奴でも、必ず陥落される。そして、引っかかったやつは何回騙されても良いって言うんだ。これはもう、妖かなんかだろう」
「なるほど」
「まぁ兄ちゃんがあえて騙されたいっていうなら別だけどな。わっはっは!」
「それで、その鍛冶屋は……」
「裏町入って左奥にまっすぐ行った突き当たりだ。分かりやすいから迷わない」
「ありがとうございます」
「良いってもんよ! 兄ちゃんこそ、1杯ありがとな」
男はそう言ってシンの背中を叩くと、お勘定をして帰っていった。
シンはこちらに振り返ると、
「そろそろ行きましょうか。どうやら青蘭祭が近いようで、早く宿を取った方が良さそうです」
そう言って3人分をまとめてお勘定した。
「シンは花ノ国にも来たことがあるのですね」
「先程の話ですか」
聞いていたのですね、とシンは目を瞬く。
「そうですよ。私がアカネ様にお仕えする前は行商として各国を回っていまして、花ノ国にもよく来ていました」
「出身は錫ノ国なのか」
「いいえアサヒ様。海ノ国なのです、それも大陸の北の果て。ここからでも相当遠いですね」
海ノ国出身で、行商として各国を回り、錫ノ国の王族の側近となって……シンはなかなか波瀾万丈の人生を歩んでいるらしい。
大通りに面した華美な宿に入ると、残りあと2部屋ということだった。シンはアサヒと同室を遠慮して廊下で寝るとまで言い出したが、アサヒが止めたことでそれは無くなった。結局アサヒとシンが同室、ハツメは1人で泊まることにした。
ハツメは部屋に入ると明かりを灯す。ランプのかさが窓と同じ透し彫りだ。部屋を見渡せば、床よりも1段高くなるように質の良い寝床が備え付けられてあった。久し振りにゆったりした空間で就寝できそうだ。
「そういえば、ゆっくりしたら封筒を見てくれってトウヤが言ってたっけ」
ハツメは寝床に腰を掛けると、少し厚みのある上品な白封筒を手に取るのだった。




