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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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閑話 ヒザクラの見舞いにて

 磨き上げられた木床を1人、神官服の男が流れるように歩く。育ちの良いこの男は一挙手一投足に品が出る。廊下に揺れるのは神伯の証である白袴。


 履き慣れなかった白袴にもようやく馴染んできたトウヤは、神官舎のある一室に向かっていた。

 ヒザクラが今朝方目を覚ましたと聞いて、会いに来たのだ。


 ヒザクラの自室前に来ると、ちょうど前の見舞い客が帰るところだった。


「あら、トウヤ先輩」

「お疲れ様です」


 目の前の2人はどちらも横に1つ結った髪を揺らし、頭を下げる。


「ユキコとフユコか。お疲れ……ではなく、ご苦労様だな」


 ユキコは右に1つ結び、フユコは左に1つ結び。いつぞやヒザクラが間違えて責められていたな、とトウヤは思い出す。


「トウヤ先輩、改めまして神伯就任、おめでとうございます」


「よしてくれ。まだ神伯代行だ。……神伯の仕事はビャクシン様の近くにいた其方らの方が詳しいだろう。これからよろしく頼む」


 トウヤは気持ちだけ、頭を下げる。


「はい。頑張りましょう、トウヤ先輩」

「言いたいことは全部言わせて頂きますね」


 双子はそう言うとトウヤの脇をすり抜けて行った。




「さて、ヒザクラ、入るぞ」


 障子を開けて部屋に入ると、横になったヒザクラが入口に顔を向けていた。

 枕元の近くには高嶺爪草を模した紐飾り。双子の心遣いだろうか。

 トウヤはヒザクラの前で音を立てずに腰を下ろした。


「よう。久し振り……なんだよな、トウヤ」


「倒れてから2週間だ。助かって良かった、本当に」


「お前がいなかったら今頃死んでたな。ありがとな」


 ヒザクラが第一王子のイチルによって重傷を負わされたとき、決死の思いで助け出したのはトウヤだった。


「礼などいらぬ。友として、当然のことをしたまでだ」


 いつものように笑うトウヤだが、その顔には安堵感が出ていた。


「それで、アサヒたちはどうしたんだ」


「旅立ったよ。1週間前に」


「そうか、お前は……いや、何でもない」


 ヒザクラはトウヤに「3人に付いて行かなくて良かったのか」と一瞬聞こうとしたが、すぐに止めた。


 トウヤは自由奔放に見えて、愛国心が人一倍強い。双子に聞けばビャクシンが亡くなったそうだし、ヒザクラ自身も意識不明の重体だった。今の状態の山ノ国を離れるなど、トウヤには出来なかっただろう。何より聞いてしまえば、トウヤの白袴を履いた決意に水を差してしまうと思ったのだ。


 しばし間が空く。

 トウヤがヒザクラの言いかけた言葉を察したかどうかは分からないが、一度ゆっくりと目を瞑ると口を開けた。


「起きがけのところ悪いが、聞いてくれるか、ヒザクラ」


「ああ」


 トウヤはどことも分からぬ方向を見つめる。


「ハツメ嬢のな、目が好きだったのだ。人の話を聞くときの、真っ直ぐな目が。面白い話をすれば好奇心で輝いて、戦のときになれば覚悟に染まる。……下心など微塵も見えぬしな」


 そう言って落ちた前髪をかきあげた。


「ハツメ嬢は気付いていないだろうな。まあアサヒの気持ちにも気付いてなさそうだが。……ああそうだ、アサヒとは仲直りしたぞ。その節も迷惑を掛けたな」


「本当にな」


「だが仲直りしたとはいえ、アサヒがハツメ嬢を連れて行くのがやはり悔しくてな。別れ際、アサヒに少し嫌がらせをしてやった」


 トウヤは口角を上げてヒザクラを見る。したり顔に見せてはいるが、寂しさが滲み出ていた。


「本当に、目が覚めたばかりのお前にこんな話をしてすまんな」


「……まぁ、また思うことがあったら何でも聞くぞ」


「ありがとう。こんなこと、ヒザクラにしか言えぬ」


 格好悪いだろう、そう言ってトウヤは眉を下げて笑った。

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