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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第三十三話 コトブキ戦 三

「イチル様!」


 アサヒに振り切られたエンジュが声を上げる。

 イチルは素早く半身を返しアサヒの剣を受けた。


 初めの一振りこそ微笑んで受けたイチルだが、間近でアサヒの顔を見た途端、その綺麗な顔は人形のように固まった。思考が止まったようにアサヒを凝視し、自らに向けられた剣をただ受け止める。


 明らかに様子がおかしい。


 本来ならばとうに反撃、あっさりとアサヒを薙いでいるはずなのだ。すぐに返り討ちに遭うことを覚悟で切り込んだアサヒも違和感を感じた。


 いい加減攻撃を受けることにも面倒になったのか、イチルはアサヒの剣を振り払った。剣は簡単にアサヒの手を離れ遠くへ落ちる。


 アサヒが武器を無くしても、イチルはアサヒに見入ったまま動かない。ついには無意識に自身の剣まで落としてしまう。


 まるで幽霊を見たかのような表情で、ようやくイチルは口を開いた。


「ヒダカ……?」


 アサヒの身体に悪寒が走った。


 頭に警鐘が鳴り響く。できることなら逃げ出したいが、緊迫した空気に指一本動かすことができない。それはアサヒだけではなく、今この場に居合わせた全員にも同様に言えた。


 イチルの異常な様子を受けて静まり返っていた広小路だが、そこに1人の男が駆けてきた。

 居住区に一旦落ちてから追い付いてきた、シンだ。


 様子を確認し険しい顔をしたシンは剣を抜くと、アサヒの前に呆然と立つイチル目掛け振り下ろす。だが剣は届かなかった。


「邪魔しないでくれる」


 イチルがシンの手首をぎりぎりと握ると、シンはあまりの痛みに剣を落とした。その際にシンを見やったイチルは何か思うことがあったのか、シンの顔を隠している黒布に別の手を伸ばす。シンは避けようと顔を背けたが間に合わず、黒布は乱雑に剥ぎ取られた。


「ああ。……第二王妃の側近じゃないか」


 イチルは納得した様子でシンに笑いかけると、そのままシンの鳩尾に蹴りを入れた。


 シンは後ろに吹き飛ばされ地面に転がる。苦しそうに深呼吸を繰り返し、精一杯の力で出来たことといえば、視線をアサヒに向けるだけ。


「彼がここにいるということは間違いないよね。ねぇ、ヒダカなんでしょう?」


 ぱっと嬉しそうに笑うイチルは甘ったるい声でアサヒに語りかける。目には熱がこもっていた。


 アサヒはこの状況に未だ理解が追いつかなかった。


 アサヒが錫ノ国を出たのは10年前、6歳のときだ。アサヒには第一王子の記憶など何も無い。接点があったのかすら分からないし、あったとしても10年も前に会った人間の顔など覚えているものか。容姿はあの頃より大分成長しているのだ。


 アサヒの考えを見透かすように、目を細めてイチルは話し続ける。


「忘れるわけないよ。大事な、大事な、可愛い異母弟(おとうと)のこと。本当に、死んだと聞いたときはどうしようかと思っていたんだ」


 イチルはおもむろにアサヒに両手を伸ばす。


「一緒に錫ノ国に帰ろう、ヒダカ。一生宮殿の中で、大事に罵って、いたぶって、可愛がってあげる」


 うっとりとした表情で話すイチルに、アサヒは全身の血が凍り付いた。


 捕まったら、殺されるなんて生温いものではない。

 異能の力で見た父親も異常だと思っていたが、この男も狂っている。


「ヒダカが生きているなんて、夢みたいだ。ずっと忘れられなかったんだよ」


 イチルの手がアサヒの頬に触れようとする。

 顔面蒼白のアサヒはゆっくりと近付くその手を恐れ、ぎゅっと目を瞑る。



 暗い視界に浮かんだのは、ハツメの姿。


 ここで自分がいなくなれば、ハツメはどうなる。

 やっと決断したこの想いは、どうなる。


 ――まだ自分はハツメと共に生きたい。


 アサヒは再び目を開くと、こちらに伸ばしていたイチルの手を思い切りよく払う。


「悪いが俺はヒダカじゃない」


 アサヒはイチルを鋭く睨んだ。

 イチルは突然の反抗に目を見張る。


「嫌だな。いくらヒダカでも嘘は嫌いだよ」


 イチルがもう一度手を伸ばしたそのとき、



 大きな影がアサヒとイチルの頭上を覆った。


 影は広小路の上空を一度旋回すると、アサヒとイチル目掛けて一直線に降りてくる。

 突然降ってきた得体の知れない黒い塊に、イチルは思わずアサヒから距離を取った。


 風圧に眉を顰めたアサヒが眼前をよく見ると、黒い塊と思われたそれは全身黒に染まった大鷲だった。人の数倍はある巨大な大鷲。生き物かも分からぬその不思議な存在の背中に、ハツメが乗っていた。


 その手には、漆黒に艶めく剣。


「来ちゃった、アサヒ」


 大鷲から降りたハツメは、アサヒを見つめて美しく微笑んだ。

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