第三十二話 コトブキ戦 二
アサヒとトウヤがエンジュと対峙している広小路をやや下った場所。
居住区を抜ける小道で、シンは女と刃を交えていた。
その女は容姿端麗だが、闘争心をむき出しにした目からはきつい印象を受ける。髪を大きな三つ編みで1つに纏め、肩から前へ下ろしている。
彼女が三剣将の1人、カリンである。
シンは通常の袴姿だが、顔の下半分を黒い布きれで隠している。布に縫い付けた紐を頭の後ろで結び、外れないようにしていた。第一王子や三剣将には顔が割れているかもしれないという理由で、アサヒの素性を隠すために念には念を入れた形である。もっともシンの存在が知られたところで始末すればいい話なのだが、さすがに彼ら程の格になればそれは難しいことであるとシンは分かっていた。
だからこそ、三剣将と戦うトウヤに加勢しに行ったアサヒのことが気掛かりでならない。
「よそ見とか、舐めないで下さる?」
細身の剣を持つカリンは攻撃の手を緩めない。
この女も三剣将だ。気を抜いたらやられるのはシンだろう。
「早く主のもとへ行かなければならなくてな」
「あら奇遇ですわね。私も早く山ノ国を落として、イチル様のもとへ行きたいのです」
イチル様、と自分で発した名に恍惚の表情を見せ、カリンは斬撃を繰り出す。
シンは間近でそれを躱し、カリンの首元目掛け剣を突く。
ひゅっと刃が風を切る音。カリンもまたすれすれのところで一歩後退し、攻撃を躱していた。
「貴方のそれ……山ノ国の剣術だけではないのですね。かといってどことも分からぬ……どちらの方かしら?」
「言う義理はないな」
「それはごもっともですこと」
会話の中でも命のやり取りは続く。剣達者な2人の攻防はさながら美しい剣舞のようであった。
ほんの一瞬、シンがカリンの視界から抜け出した。
見失ったカリンは直後、自身の真下から殺気を感じて大きく仰け反る。
カリンの左頬をシンの剣がなぞった。
仰け反った反動でカリンは背中から地面に落ち、踏み固められた雪上を滑る。
「服も髪もぐちゃぐちゃですわ……」
放り出されたままの姿勢でシンを睨む。
シンがカリンに起き上がる暇を与えずに止めを刺さんと踏み出したその時、
「カリンちゃん、お待たせ」
遊びに来たよ、とでも言いそうな軽い口調。戦場に不釣り合いなその甘い声の主は第一王子のイチルだった。
ついに来たか、とシンの心臓が跳ね打つ。
「ああ、イチル様! みっともないお姿をお見せしてしまい申し訳ございません!」
カリンは慌てて起き上がり、身だしなみを整える。
「まさか。カリンちゃんはどんなときも可愛いよ」
イチルはにこりと笑って歩を進める。日光に弱いというのは本当らしい。頭にはつばの付いた軍帽を被っていた。
「それで、カリンちゃんを止めているのはこの男だね?」
首を傾けシンを見やるイチル。前髪の隙間から覗かせた目は冷たく光っている。
イチルは一歩踏み出した。
シンは間合いを取ろうとするがイチルがそれを許さない。
2つの剣が交差する。かと思えばイチルの剣はすぐに離れ、瞬時に第二波を叩きこむ。
シンは受け切るので精一杯だった。
イチルの連撃を耐え、腕が伸びたところを狙って切り込むシン。
しかし突如胸に大きな衝撃を受けると、小道の脇に突っ込んだ。
小道の脇には大きな段差がある。シンはそのまま転がり落ちた。
激しい咳をする。胸を全力で蹴られたのだ。すぐには起き上がれず地面に突っ伏す。
「じゃあ、上に進もうか。カリンちゃん」
「はい。イチル様」
上方で聞こえる小さな2人の声にシンは戦慄した。
上にはアサヒ様がいる――
まだ荒い呼吸を繰り返しながら、シンは力の入らない身体を無理矢理動かす。
一刻も早く追いつかなければならないと、まだ痛む胸を押さえながら一歩一歩上を目指した。
広小路ではいまだにアサヒとトウヤがエンジュと争っていた。お互い息が上がり、身体には切り傷や擦り傷が目立ち始める。
格下だと思っていた2人に致命傷を負わせられないエンジュは真剣に焦っていた。
「エンジュくん、追い付いたよ」
エンジュは背後から聞こえた主の声に反射的に振り向く。
「イチル様。手間取りまして、申し訳ございません」
瞬時に膝をつき頭を下げるエンジュに、イチルは別にいいよ、と柔らかく目を細めた。
アサヒとトウヤはその様子をただ眺めることしかできなかった。本能が相手の力量を察し、動きたいはずの足を止める。この男には敵わないと、対峙する前から思い知らされる。
余裕の面持ちで歩を進めるイチル。
その歩みを止めるように、鋭い一本の矢がイチルの足元に突き刺さった。
解き放たれたようにアサヒがその矢が射られた方向、背後を見上げると、遠く石段の上、双子のうちのユキコが弓を構えていた。
「待たせたな」
兵舎区から歩いてきたのはビャクシン。
「フユコ。ユキコと共に、周囲の兵の相手をせよ」
「はっ!」
フユコはユキコに合図をすると、広小路入り口付近でまごついていた錫ノ国の兵士たちに斬りかかる。ユキコも石段を下り、射撃を始めた。
「さて、錫ノ国の第一王子よ。私が相手になろう」
「その白袴、神伯様かな? 30年前は父様が世話になったそうだね」
眉を寄せるビャクシンとは対照にイチルは朗らかな笑みを浮かべる。
「……お前らだけは、絶対に許さぬ」
激しい刃の応酬が始まった。ビャクシンやイチルが使っているのは何の変哲もない普通の剣だ。だがとてもそうは見えないほどに2人の剣技は卓越していた。剣技だけではない。早さも、力も、アサヒたちが知っているそれらとは段違いであった。
アサヒやトウヤも三剣将の2人と向き合う。実力で劣っていても攻撃を凌ぐことさえできれば、そう思いながら勝機を探す。
どのくらい時間が経っただろうか、ビャクシンはやや劣勢に立たされていた。イチルの若さによる勢いを経験で補っていたビャクシンだったが、体力差が明確に出始めたのだ。
ビャクシンは間合いを取り、一度深呼吸をする。
余裕の表情を崩さないイチルを真っ直ぐ見据え、優しく、ふわりと浮くように踏み込んだ。
イチルは音もなく迫るビャクシンに剣を振るうが、ビャクシンは避けようとしない。
剣はそのままビャクシンの胸を裂くかと思われたが、衣に触れる寸前、ビャクシンの剣が間に割り込み、イチルの剣をなぞって滑る。
2人が離れたとき、イチルの腹からは血が滲んでいた。
「……急所をはずしたか」
「血が出たのなんて、子供のとき以来だよ」
あはは、とイチルは笑いを漏らすが、その顔に先程までの余裕は無い。
「でも、あなたの方が大変そうだ、神伯様」
両膝を付いたビャクシンの胸には深く長い裂傷ができていた。離れる直前、イチルが付けたものだ。とめどなく血が溢れ雪を真っ赤に染める。
「私がこんなに苦労した相手は初めてなんだ。敬意を持って、殺してあげよう」
イチルは軽く剣を振って付いた鮮血を払い、ビャクシンに近付く。
「神伯様!」
気付いたトウヤが弓を引くが、放たれた矢はカリンの剣によって落とされる。
「イチル様の邪魔をしないで頂けるかしら」
「くそっ!」
周囲にいた誰もがビャクシンを助けようと向かうが、ここにいるのは三剣将をはじめ選りすぐりの兵ばかり。ことごとく阻まれる。
イチルが優しく口を開いた。
「30年間山ノ国を支えた神伯よ。安らかに」
ユキコがビャクシンの名を叫んでいる。
フユコは言葉にならない叫びを。
彼を慕っていた者たちの悲しみ、無念を思いながら、
アサヒはイチルの背後から剣を振るった。




