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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第三十一話 コトブキ戦 一

 コトブキの都に朝日が射し込んだ。

 快晴のもと固雪が光を反射し、町全体に輝きを持たせる。

 ここに無粋な軍隊の姿さえなければ、感嘆の息を漏らす光景であったのに。


 ハツメは今、国主のお屋敷から都を見下ろしていた。




 夜明け前、前線となるだろう農業区、または居住区に向かおうとしていたハツメはビャクシンに呼び止められた。


「ハツメ。お主、国主様の護衛を任されてはくれぬか」


「護衛ですか?」


「そうだ。……神官の数も大分減ってしまってな。ユキコとフユコを付けようと思っていたが、彼奴らは前線に出した方が山ノ国に貢献できる。別にお主に気を遣っているわけではないのだ。頼まれてくれぬか」


「……分かりました」


 本当はアサヒの近くに居たかったが、ただでさえ自分は未熟者なのだ。頼まれたならば自分の役割を全うするだけ。ハツメはしっかりと頷いた。隣で聞いていたアサヒの方を向く。


「アサヒ。私は上にいるね。……気を付けて」


「ああ。ハツメも気を付けて。ちゃんと帰ってくるから」


 アサヒはいつものように目を細め、石段を下りて行った。




「始まったようじゃな」


「チガヤ様」


 農業区では突撃兵による交戦が始まっていた。離れていても聞こえる怒号、立ち上る煙。空気がざわざわと震えている。


「すまんなハツメ。本当は向こうに行きたいじゃろう。このような死に損ないのために、申し訳ない」


「そんなことおっしゃらないで下さい。チガヤ様は山ノ国の象徴なのですから」


「いざという時はわしも剣を抜こう。だがそうならないように、皆の無事を山ノ神に祈るとするかの」


「はい、チガヤ様」


 落ち着かない気持ちを無理やり抑え込み、ハツメはチガヤと共に御屋敷の縁側に腰を下ろした。




 いくら地の利があり、山ノ国の兵士それぞれが好戦しているといっても錫ノ国は兵数の差で前線をすり抜け、都を駆け上がっていく。


 二千の石段を下った兵舎区に繋がる広小路。コトブキ防衛の生命線とも呼べるそこにも、錫ノ国の軍が迫っていた。


 矢継ぎ早に繰り出される矢が数多の錫ノ国の兵士を倒す。


「ここは通すわけにはいかんな」


 侵攻を食い止めていたのはトウヤだった。

 濃赤の外套が階段を上り広小路に足を踏み入れた瞬間、的確に急所を射抜く。また一人、階段を転げ落ちていった。


 しばらく抑え込んでいた錫ノ国の侵攻だが、再び見えた濃赤に放った矢は巧みな剣捌きで弾かれた。


「どうやら山ノ国にも手練れがいるようだな」


 現れた丈の大きな男。がっしりと筋肉の付いた体躯、精悍な顔立ち。どんな冗談を言ってもにこりともしなそうな愛想のない表情のその男は、長さも幅も普通の倍はあるだろう大剣を片手であっさりと使いこなしていた。


「お主も、一般兵ではないな」


 トウヤはにやりと笑う。だがその表情とは裏腹に背中には一筋の冷や汗が流れた。


「三剣将が1人、エンジュ。ここは通してもらうぞ」


「断る!」


 トウヤが更に弓を引いた直後、お互い一気に間合いを詰め剣を重ねる。

 トウヤは間合いを計算しながら剣に弓に攻撃の品を変えるが、エンジュはそれを全て受け流す。


「さすがは三剣将だな」


「ふん。小手先だけでは俺に敵わない」


 エンジュはそう言って大剣を振り下ろす。トウヤが膝を付きそれを受け切ったところまでは良かったが、あまりの力に剣の柄は手を離れ、雪上を滑って止まった。


「己の人生に悔いはないか」


「はっ! 山ほどあるぞ。つい先日も、女を巡って友人と喧嘩してな。謝らねばならぬ」


「それは気の毒だ」


 エンジュの大剣が再度空気を裂く。弓を引く間合いもない。よもやここまでか、とトウヤの頭に諦めがよぎった瞬間、頭上を剣が一閃した。


「諦めるなんてお前らしくないな、トウヤ」


 トウヤが顔を上げると、自分とエンジュの間にはアサヒが立っていた。手には先程頭上を横切っただろう剣を携えている。


「アサヒ……すまんな。助かった」


「お互い様だ。……この間は悪かったな。俺、決めたよ」


 アサヒがトウヤに手を差し伸べる。


「そうか。こちらこそすまなかった。柄にもなく焦ってしまった」


 トウヤはその手を掴み、ぐっと身体を起こした。


「仲直りのところ悪いが、いい加減そこを通してくれ。俺がイチル様に怒られる」


 アサヒの一振りを避けるために一度下がったエンジュは再び大剣を構える。


 眼前に立つ大男に、アサヒとトウヤは向き合った。


 アサヒとトウヤが共闘するのは初である。にもかかわらず息が合っているのはトウヤが巧いからか、アサヒがトウヤの戦い方を毎日のように目で追っていたからか。


 涼やかな顔、されど鬼のような気迫でアサヒは切り込む。

 エンジュがそれを凌げば、今度はトウヤの放った矢が眼前に迫る。


「こいつはなかなか……」


 『豪剣』と呼ばれる三剣将の1人は、珍しく手こずっていた。

 

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