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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第二十八話 月夜

 喧嘩沙汰を起こした2人に対して、トウヤは一週間の謹慎処分、アサヒは一応客人だからか処分まではいかなかったが、言動を重々慎むよう注意がなされた。


 個人的な喧嘩に思われるのになかなかの重い処罰だ。不思議に思い、ハツメはヒザクラにあの晩何があったのか聞きに行った。なんとなく2人には聞き辛かったのだ。

 ヒザクラはがしがしと頭をかきながら話す。


「湯治場のど真ん中で、喧嘩したんだ。最初はまぁ普通に話してたんだが……2人とも頭に血が上ってな。殴り合って、結構な大騒ぎになった。誰も見てないところならまだ良かったんだが、公衆の面前、ましてトウヤの顔は売れてるからな。流石に処分なしには出来なかった」


「でも、どうしてそんな……」


 2人ともそんな性格ではないはずだ。


「理由は俺からは言えねぇな……まぁ、男同士の喧嘩はほっとくのが一番だ。あいつらもお前には申し訳ないと思ってるだろうよ」


 そんなものだろうか。


 悶々と考えたせいで、夜になってもハツメは眠れずにいた。このまま眠れないのであれば、布団にこもるより疲れない程度に身体を動かそう。そう考えたハツメは、少しだけ剣を振るうことにした。


 訓練施設へ向かうため、神官舎を回ろうとしたところで誰かの会話に気が付く。聞いてはいけないと思いそっと離れようとしたが、会話の主に気が付き身体が止まってしまう。


 それはシンとビャクシンだった。


「太刀筋を見ると、腕は鈍っていない、いや、上達しているようだな」


「勿体無いお言葉です、ビャクシン様」


 2人とも地面に腰を下ろしているようだ。


「お前と初めて会ったのはいつだったか」


「11年前でございます、まだ私は行商について回る子どもでした」


「そうか。山ノ国に出向いたところを偶然私が見出して、弟子にしたのであったな」


「私の生きる道を教えて頂きました。感謝し尽くせません」


「お前も覚えは早かったな。数年で剣技を修めると旅立って行った」


 2人が黙り込む。音一つしない、静かな夜だ。


「ところで、あの化物の息子だが」


「……アサヒ様でしょうか」


「天賦の才があるようだな」


「はい。勘も良く、努力家なのもあってか目覚ましい成長を見せております」


「忌々しい血筋だな」


 嫌悪感を隠さないビャクシンの口調。


「お言葉ですがビャクシン様、私の主を貶めるような真似はお止め下さい」


 今まで堪えていたように、シンは続ける。


「もちろん30年前の戦での、山ノ国の惨状は聞き及んでおります。私などではビャクシン様の心中、推し量ることなど到底できません」


 三十年前の戦のことはハツメも聞いている。大陸統一に動いた錫ノ国は国主の御屋敷まで迫り、山ノ国が存続できたのは奇跡だったとまで言われている。更に双子の話によれば、ビャクシンはその際に妻子を亡くしている。


「ですが、アサヒ様は父である錫ノ国王とは違います。短い間ですが共に行動することで、それは確かに感じております」


「……アサヒという男は、お前の主に足る人物か?」


「いずれ足りうる人物になると確信しております」


 シンの言葉に込められた固い決意がハツメにも伝わった。


「……そうか。ならばもう何も言わぬ」


 ビャクシンの声が少しだけ柔らかくなった。


「そこにいるのだろう、ハツメとやら」


 まさか気付かれているとは思わず、ハツメはびくっと身体を震わせた。


「聞くつもりはなかったのです。すみません」


「別に構わん」


 頭を下げるハツメに、ビャクシンはこっちに来い、と手招きする。


「お前は谷ノ国でアサヒと共に育てられたそうだな」


「そうです。この先も共に生きたいと思っております」


 ハツメがぐっと拳を握ると、ビャクシンはハツメを通して何かを思い出すように目を細めた。


「……戦に巻き込んで悪かったな」


「いえ。私たちの身上を考えると、錫ノ国の間者だと疑われても仕方がありません」


「シンが間者の真似などする人間でないのは鍛えた俺が一番わかるがな。こちらの味方だと、対外的にも目に見える形で示さねばならなかった」


 許せ、とビャクシンは頭を下げた。




 訓練施設に着くと先客がいた。月明かりに照らされた雪がぼんやりと白く光り、1つの人影を浮き立たせている。近付くハツメに気付くことなくその人影は剣を振るい続けていた。


「アサヒ」


 声を掛けるとようやく気付いたようで、虚を突かれたように振り返った。


「ハツメ……どうしてここに」


「多分アサヒと同じ理由。なんだか眠れなくて」


「……うん」


 アサヒは何か考えるように目線を落とした後、もう一度ハツメを見る。


「ハツメ、背伸びたね」


「そう?」


「うん。ほら」


 そう言ってアサヒは剣を持たない腕でハツメを抱き寄せる。ハツメの小さな後頭部を、アサヒの手が柔らかく包み込む。


「ハツメの頭、前は胸の下だったけど今は心臓のところにある」


「本当だ」


 心臓の鼓動が聞こえる。つい先程まで身体を動かしていたからか、心なしか心拍が早い。


 アサヒの持っていた剣が軽い音を立てて落ちる。自由になった腕はハツメの背中を優しくなぞり、そのまま腰に回された。


「……ハツメ。伝えたいことがあるんだ」


 アサヒのいつもと違う声色に場の雰囲気が変わる。ハツメを引き寄せた腕は動かない。


「俺さ、春が来たら山ノ国を出ようと思う。ここの人は良くしてくれたし、行くあてはないけれど……できるなら、錫ノ国にいる母上をあのままにしておきたくないんだ」


「うん」


「ハツメが山ノ国に残りたいなら、もちろんそうして欲しい。俺に、強要する権利はない。でも、もし……もし来てくれるなら、俺はハツメと一緒にいたい。離れたくない」


 段々とか細い声になっているのはハツメに断られる怖さからか。


「俺は……」


 続くはずの言葉はしばらく待っても出なかった。

 不思議に思ったハツメが見上げると、アサヒの目に赤い炎が宿っていた。


 ――異能の力。


「アサヒ!」


「……大丈夫。今回は耐えられそうだ」


 アサヒとハツメはそのまましゃがむ。5分ほど経っただろうか。アサヒの意識が戻ってきた。少しの時間だというのに、汗をぐっしょりかいている。乱れた呼吸を整えながら、アサヒは言った。


「……大変だ。錫ノ国が攻めてきた。ウロの町が制圧された」

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