第二十七話 トウヤ自室にて
普段仕事がなければあれこれしたいと考えてはいても、いざ仕事を取り上げられるとすることがない。ならば溜めていた本でも読もうと表紙をめくったものの、一向に進まない。
神官舎の自室にて、畳に転がったトウヤは深い溜息を吐いた。
「流石にやりすぎたか……」
コトブキに帰還後、トウヤは一週間の謹慎処分を受けた。誰も見ていないならまだしも、混み合う湯治場での喧嘩、しかも手まで出している。顔が売れているのも悪く、あの場にいた誰もが「神官様が殴り合いの喧嘩をするなんて」と思っただろう。
いつもは大目に見てくれるヒザクラもこれは見過ごすことができず、トウヤはビャクシンや父親からきつくお叱りを受けたのだった。
あの晩、湯治場でトウヤはアサヒに今後のことを聞いた。
「アサヒ、この先のことなのだが……山ノ国で暮らすのか、国を出るのか、お前の中では決まっているのか?」
アサヒは突然振られた話題に驚き、しばらく考えた後、
「……山ノ国を出ようかと思っている」
と躊躇いがちに話した。
「ハツメ嬢は? 連れていくのか」
「……分からない」
「簡単に分からないだと? お前はハツメ嬢のことをどう思っているのだ、男女として」
アサヒは苦しそうに眉を寄せるが、トウヤの質問には答えない。
「お前がハツメ嬢に何も話さずここを出たとしても、ハツメ嬢はお前に付いていくだろうよ。だがそうやって何も言わないままハツメ嬢を一生縛るつもりか。ハツメ嬢はそれで良いと思うかもしれないが、俺はそうは思わん。お前が何も言わない限り、ハツメ嬢はお前から離れないぞ。……家族としてな」
アサヒはトウヤから目線を外し、俯く。
「お前とハツメ嬢は家族として育ったのだったな。前は家族としてハツメ嬢の幸せを見守るつもりだったのかもしれんが、不幸なことだが谷ノ国がなくなったことで家族という外聞は無くなった。男女の関係になれる可能性が出てきたわけだ。だから今どっちつかずの状態で燻っているのだろう。……人に牽制するくせに自分は動かないその態度、正直腹が立つぞ!」
トウヤは勢いよく立ち上がる。湯がざあっと波打った。
白麺屋台での一件をはじめ、アサヒにことごとく牽制を受けてきたトウヤはいい加減明白にしたかった。アサヒがハツメとどうなりたいのか。無視してハツメに積極的に仕掛けることもできたが、友人でもあるアサヒに対して何となくそれは憚られた。
アサヒは一度ぎゅっと目を瞑ると、立ち上がり口を開いた。我慢していたものを一気に吐き出すように。
「俺が10年間どんな思いでハツメを見てきたかお前に分かるか! 俺はハツメの家に拾われて本当に良かったと思っていた。捨て子の身で結婚の望みなど持てなかったからな。他の家で捨て子の身を呪うよりは、家族だからと諦めた方が楽だった。そうやってハツメの幸せを応援するつもりだったのに、突然目の前の日常を壊されて、ハツメとの可能性が出てきたとしてすぐに決められるか? 俺はハツメが誰かと恋仲になるのは嫌だ。でもハツメはどうだ? 俺が気持ちを伝えたことで、ハツメは家族だと思っていた最後の1人まで無くすことにならないのか?」
「お前の生い立ちは気の毒だが、ハツメ嬢はお前の話を受け入れないほど器が小さい女ではないだろう。ただお前がそうやって悩んで何も伝えない限り、ハツメ嬢の人生は止まったままだ。ハツメ嬢ははっきりしないお前でも付いていくと言っているのにお前ときたら、分からないだと? 今のままで良しと思っているなら、そのハツメ嬢に甘え切った根性、何とかならんのか!」
煮え切らないアサヒの態度に、トウヤは思わず手を出してしまう。
骨と骨がぶつかる音。飛沫を上げて倒れこみ呆然とするアサヒを見下ろし、叫ぶ。
「どうした、恋敵にやり返す気概もないのか!」
アサヒは歯をぎりっと噛み体制を直すと、トウヤに一発拳を入れる。
トウヤも踏ん張ることができずに湯船に突っ込み、腕を付く。
「いい加減にしろ、お前ら! ここがどこだか分かってんのか!」
2人の勢いに押され動けなかったヒザクラがようやく制止に回り、間に入る。
気が付けば周囲はざわざわと騒がしく、3人を囲んでいた。
喧嘩のことを思い返して、トウヤは羽目板の天井を見上げた。
「焦りすぎたかもしれんな。まあ雪解けが近いから当然なのだが……」
春が来たら、アサヒは山ノ国を出ていくつもりなのだろう。そのときはハツメも一緒に違いない。
「しかし、ハツメ嬢にも気まずい思いをさせてしまったな。謹慎が解けたら謝らねばならんな。……アサヒにも」
畳の上でごろりと向きを変え、トウヤは一向に進まない読書を再開するのだった。




