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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第二十六話 湯治の村ソウマ

 すっかり身に染み付いた雪かきの習慣。

 目の前に積み上がった雪山を見て、ハツメははぁと白い息を吐いた。随分と大きくなったものだ。


「山ノ国の生活にも慣れたわね」


 ハツメたちが山ノ国に来てから半年が経とうとしていた。


「おはよう、ハツメ」


 振り返ると雪かきを終えたアサヒがいた。


 アサヒは目を覚ました翌日から日常生活に復帰した。直接話が聞きたいとチガヤやビャクシンに何度か呼ばれたが、異能の話は大きな問題もなく受け入れてもらえたようだ。ビャクシンからは嫌味の一つ二つ言われたそうだが、チガヤとシンが頑張ったらしい。


「おはよう、アサヒ。今日は何かあるの?」


「今日は何もないけど、明日。トウヤとヒザクラが任務で近くの村に行くんだって。俺とハツメはコトブキとウロの町しか知らないだろう? それで、一緒にどうかって」


「わぁ! 行く!」


 ハツメは目を輝かせて首を縦に振る。


「そう言うと思った。一泊しなきゃいけないそうだから、準備しよう」


 久し振りの外出だからかアサヒも嬉しそうだ。二人は軽い足取りで神官舎に戻った。




 翌日、トウヤとヒザクラにアサヒ、ハツメ、シンを加えた五人でコトブキを出発した。シンは「アサヒ様の付き人ですから、外出に同行するのは当然です」と言って前日のうちに準備を済ませている。


 コトブキを出ると、標高の低いところでは雪解けが始まっているのが分かった。一面雪に覆われていた山々から枝木がひょこりと顔を出している。そういえば最近は陽射しの強い日が増えている。春の訪れも近いのだろうか。


 コトブキから近くの村までは半日ほど歩く。雪上ではあるが意外と行き来の多いところらしく、道のりは踏みならされ歩きやすくなっていた。


「さぁ着いたぞ。ソウマという村だ。小さい村だが、湯治場として有名なのだ」


 午前にゆっくりとコトブキを出たため、着く頃には午後も半ばとなっていた。トウヤの先導で村を進む。すれ違うときに皆「トウヤ様、トウヤ様」と声をかけるため、聞いてみるとトウヤはこの村出身なのだそうだ。


「父が村の長を務めているのだ。だから今日の仕事は親相手ということになるな」


 今日ここへ来たのは春へ向けて財政や戸籍等の確認をするというものだった。視察を兼ね神官が直接赴くらしい。


「親子の間で視察は意味ない気がするけどな」


「まぁそう言うなアサヒ」


 トウヤはへらりと笑う。

 一軒の邸宅に入ると、トウヤは奥に向かって声をかけた。


「ただいま帰ったぞ」


 すぐに現れた下働きによって、トウヤとヒザクラは村の長、もといトウヤの父親のいる部屋に案内された。一方でハツメたち三人は来客用の部屋に通される。


「何かありましたらお申し付け下さいませ」


 下働きがうやうやしく頭を下げ退出する。実家で下働きを雇っているとは、トウヤはなかなかのお坊ちゃんのようだ。

 しばらく待っていると、仕事を終えたトウヤとヒザクラが帰ってきた。


「親父様に聞いたら今日は泊まっても良いそうだ。宿も考えていたのだがな。時間も余ったことだし、早めの夕飯を頂いたら湯治場へ行こうではないか」




「はぁ〜、まるで天国のよう」


 夕飯後、ハツメは湯治場でゆっくりと身体を温めていた。あまりの気持ちよさに一人でも思わず声が漏れる。

 本来湯治のためならば一週間は滞在するのが普通のようだが、こうして束の間の休息だったり、物見遊山的に訪れる者も多いらしい。地元の人、そうでない人も多く集まっていた。

 顔に当たる冷たい空気がちょうどいい。ハツメはしばらくぼんやりしながら、日頃の疲れを癒していた。


 ハツメが湯から上がると、男湯から出ていたのはシンだけだった。


「シン、他の三人はどうしたのですか?」


「男同士の話し合いだそうです。待っているつもりでしたが遅くなりそうでしたので。ハツメ様が湯冷めすると良くありません。一度邸宅へ送ります」


 ハツメも待っていようかと思ったのだが、確かに湯冷めするのも嫌なのでシンの申し出に甘えて先に帰っていることにした。シンはハツメを送ると再び湯治場へ戻って行った。


 邸宅では下働きがハツメ一人のために部屋を整えてくれていた。寝床を見るとすぐに眠気が襲ってくる。身体が温まり、全身の筋がほぐれたからだろう。

 どうせアサヒたちも帰ったらすぐに休むはずだ。そう思って、ハツメは一足早く行灯の灯を消した。




 翌日、目を覚ましたハツメが部屋を出ると、トウヤが縁側に腰掛けていた。片手に手鏡を掲げ、自分の顔を覗いている。まぁ色男だ、悔しいが様になっているだろう……本来ならば。


「ト、トウヤ。その顔どうしたの?」


 滑らかな頬には痣が、いつも明朗に笑う口の端は切れて赤い傷が出来ていた。


「やぁハツメ嬢。なに、男の勲章というものだよ」


 トウヤはにやりと笑う。

 ハツメが飲み込めずにいると、後ろの障子からアサヒが出てきた。


「アサヒ、おはよ……ええっ」


 アサヒの顔にも殴られたような跡がくっきり残っていた。陶器のような白い肌に青痣は余計目立つ。二人とも綺麗な顔が台無しだ。


「おはようハツメ」


 アサヒはハツメに笑いかけるが、トウヤの方は見ようとしない。一方のトウヤは冷めた目でじろりとアサヒを見た。この居心地悪い空気、二人の間に何かあったに違いない。


 その日一行は終始気まずい雰囲気のままコトブキへ帰還した。その間二人が会話を交わすことは一度もなかった。

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