第二十四話 冷たい部屋
突如、アサヒの視界にちかりちかりと光が点いた。
光は徐々に集まり、揺らめき、視界を覆っていく。
何も聞こえない。
目が焼けるように熱い。
立っているのが辛くなり、地面にうずくまる。
以前もこんなことがあったか、ウロの町だ。だがあの時は一瞬で、気が付いたら宿だった。今はなぜこんなに長く感じるのだ。一体これは何なのだろうか。
気がつくと感覚は正常になっていた。突然感じた寒さに身を震わせる。白く磨かれた大理石の床が目に入る。ぴちゃり、ぴちゃりと滴が落ちる音がする。夢ではないと、何となく思った。
先程まで雪上で打ち合いをしていた筈だ。見知った建物でもない。ここはどこだ、とアサヒは顔を上げる。
石造りの白い一室。谷ノ国でも、山ノ国でも無さそうだ。部屋の奥に男が膝をつき、何かに縋っている。大人一人入れそうな長方形の石箱だ。
もしや、と思いながら近付くと、アサヒの予想通り人が寝かせられていた。長く伸びた黒髪。陶器のような白い肌。美しいが、生気は感じられない。
「母上……」
アサヒが何故か忘れられなかった、生みの母親の姿がそこにあった。アサヒと同様歳を重ねてはいるが、間違いようがない。
死んでいるのだと、何となく察した。
だとすればこの壮年の男は母親の死を嘆いているのだろう。よく聞けば啜り泣いているようだ。
アサヒがしばらく二人を見下ろしていると、ぎいっと音を立てて部屋の扉が開いた。
今になって見つかってはいけないのではという考えがアサヒの頭をよぎったが、目の前に現れた男女はアサヒと目を合わさない。存在すら気付いていないようだ。自分のことは見えていないのか。
「陛下。またこんな凍える部屋に一人、体調を崩されますよ」
珍しい栗色の髪をした女が口を開く。
「……一人ではない。アカネがおる」
啜り泣く男が発したアカネという単語に女はぴくりと反応する。勝気な顔が徐々に歪む。
気まずい空気を破り、今度は女と共に来た青年が口を開いた。
「父様。先日行かせた山ノ国との戦ですが……誠に遺憾ですが敗戦しました。谷ノ国を制圧して調子に乗っていたロウ中将に行かせたのが敗因だったようです」
ロウ中将は処分しましたのでご心配なく、と淡々と述べる青年の顔は無表情。この報告はまるで無意味だと思っているような態度だ。
青年は驚くほど整った美形だが、最も目を奪われるのはその金色の髪。栗色の髪が珍しいとすれば、金色の髪など大陸のどこを探しても他にいないだろう。
「そうか。好きにせい。大陸などどうでもよい。統一しようがしまいが、余にはもうどうでもよいのだ」
「……かしこまりました。行きましょう、母様」
体裁は整えましたと言わんばかりの様子で青年は一礼すると、母様と呼んだ女の背中をさすり退室を促す。女は何も言わず、ただ憎しみを顔に浮かべ青年と共に部屋から消えた。
アサヒの母親の姿に加え、先程の会話の中の陛下、山ノ国との戦という言葉。おそらくここは錫ノ国だ。陛下と呼ばれたこの男は錫ノ国の国王、つまりアサヒの実の父親ということになる。では先程の男女は第一王妃とその息子か。
「……思い出した」
アサヒは思い出した。錫ノ国で過ごした僅かな時間。薄っすらで穴だらけの記憶だが、幼い頃間違いなく自分はここにいた。
母親と離宮で周りから隠れるように過ごしていた。父親は自分には無関心だったが、母親を溺愛していた。その所為で自分たち親子は第一王妃から執拗に嫌がらせを受けた。
ああそうだ、とアサヒは顔を歪ませた。母親は自分を守ろうとして離宮を抜け出し、錫ノ国の国境を抜けた森で自分を放したのだ。そして今も、自分を守るためにシンを寄越している。
「母上……ありがとうございます」
アサヒは膝をつき、母親の顔を覗く。自分が見えぬ父親の横で、意識が落ちるまで頬を濡らした。
アサヒが目を覚ますと、見慣れた神官舎の一室に横たわっていた。障子から日光が透けている。穏やかとも不快とも言えない気分だった。
右腕に重みを感じ視線を移すと、ハツメが身体を丸めるようにして眠っている。
「ありがとう、ハツメ」
「……アサヒ? ……おかえりなさい」
むくりと身体を起こしたハツメは心底ほっとしたような表情でアサヒを見つめる。
「俺がどこかに行っていたことを知っているんだな」
「うん。シンから聞いた」
「そうか……ただいま」
アサヒは変わらない自分の居場所に心の底から安堵する。しかし同時に、弔われないまま冷たい部屋で眠る母親の姿が頭から離れなかった。
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