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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第一章 山ノ国編
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第二十一話 本殿

 祝杯を上げた翌日。

 夜明けまで双子のフユコ、ユキコと女の戦い方について談議していたハツメは眠気まなこをこすりながら石段を上がっていた。既に昇りきった日がハツメの頭を照り付ける。


「休んでいるところ悪かったな」


 昨晩なかなか騒いだというのに、隣を歩くトウヤは相変わらず余裕そうだ。


「トウヤこそ、昨日は婦人会に顔を出して遅かったんじゃないの?」


「そうだな。心証良く縁談を断るというのも、骨が下りる」


 人気者も考えものだな、とトウヤは悩まし気な表情を作る。


「まだ結婚とか、考えていないのね」


 周りの話を聞いていると、結婚している神官は意外と多い。神官は基本的に神官舎での生活を義務付けられているが、時折配偶者や子どもが暮らす居住区に帰るときがある。ちなみにハツメがよく話すトウヤ、ヒザクラ、双子は独身だ。


「相手がいるならともかく、俺にはまだ早いな」


 ふむ、とトウヤは一瞬考えるような仕草をする。


「そうだハツメ嬢、今晩空いているか?」


「ええ、空いているわよ」


「山ノ国の美食を食べに行こう。居住区だ」


 トウヤは綺麗に口角を上げると石段を振り返り、瓦屋根の綺麗な町並みを指差した。




 トウヤがハツメを呼び出した要件だが、国主のチガヤがハツメを呼んでいる、というものだった。

 そのため二人で石段を上っていたわけだが、国主の御屋敷に着くとチガヤは庭先でハツメを待っていた。


「案内ご苦労じゃった、トウヤ」


「お安い御用です国主様。では、俺はこれで」


 丁寧に礼をするトウヤにハツメも感謝を伝えると、


「また夜にな」


 そう言って片手を振って帰っていった。


「さてハツメや」


「何でしょう、チガヤ様」


「これから一緒に本殿へ行こうかの」


 本殿。二千の石段の最後に控えている建物だ。ハツメは山ノ国に入ってからこの御屋敷までは何度も上ったものの、その先は未だ踏み入ったことはなかった。


 御屋敷から本殿までは五百段。階段の幅は御屋敷までに比べると随分狭く、大人がようやく擦れ違える程度だ。その石段をチガヤは小さな体格をものとせず、ひょいひょいと登っていく。


 ハツメも置いて行かれないよう懸命に足を動かすが、標高が高いためか空気が薄い。

 息も絶え絶えの状態で本殿に到着した。


 本殿は仮本殿や国主の御屋敷に比べると質素な造りだ。しかし使われている木材は太く美しく、年月の経過がその魅力を更に引き出しているようだった。


「普段は中に入れないがの。今日は特別じゃ」


 本殿の扉を開け正面から入るチガヤに促され、ハツメも中へと歩を進める。神官舎の一室ほどの広さをもつ板張りの本殿内。

 その奥に、漆黒の剣が一本、祀られていた。


「……天剣(あまのつるぎ)ですか?」


 行方知らずと言っていたがどういうことなのだろう。

 疑問符を浮かべるハツメにチガヤは首を振る。


「いや、その天剣(あまのつるぎ)は紛い物じゃ。本物は以前話した通り行方知れず。何度も探したがの」


 じゃが、とチガヤはハツメの目を見据え続ける。


「もし万が一、本物の天剣(あまのつるぎ)が其方の前に現れたとき、躊躇わず手に取って欲しいのじゃ。もちろん剣は剣、争いに巻き込まれる他ないじゃろう。しかし行方知らずの天剣(あまのつるぎ)が姿を現すのは必ずそれが必要になったときだとわしは思う」


 チガヤは膝をつきハツメに頭を下げる。


「齢九十九のしがない老婆からの頼みじゃ。唯一神宝(かんだから)を扱える谷ノ民のハツメよ。まだ若い其方には酷かもしれぬ。じゃが、もしもそのときが訪れたら、神宝(かんだから)の力で正しく世界を導いてくれないだろうか」


「あ、頭をお上げください、チガヤ様」


 慌てて膝をつきチガヤに寄り添う。

 ハツメはひどく戸惑っていた。まだ見つかってすらない天剣(あまのつるぎ)の為に国主から頭を下げられるとは。

 チガヤの話は理解できる。頼みもおそらく、受け入れられる。しかし世界を正しく導くなど自分の身に余り過ぎるのではないか。

 ここに来るまで一度も谷ノ国を出たことがなかったハツメには想像もできなかった。


「チガヤ様。私が剣を振るうのは、大切なものを守るためです。そのためなら|天剣≪あまのつるぎ≫でも何でも振るいましょう。それで世界がどうなるかは私などでは想像もできませんが、それだけはお約束します」


「それで良いのじゃ。ありがとう、ハツメや……」


 会話を終えた後少し休憩し、気分が落ち着いたハツメとチガヤは本殿を出る。

 山頂すぐから見下ろすコトブキの景色は美しかった。


 清涼な空気を透かすように雲が薄付いた山々。

 幾千もの輝きは、瓦屋根が夕日を反射したものだ。

 雄大な自然の中で光を放つ眩しいほどの生命の営みを、ハツメは尊く感じた。

お読み頂きありがとうございます。

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