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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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エピローグ 谷ノ国

 ふわり、と温かな白に包まれ、ハツメは目を開けた。彼女の瞼に優しく口付けを落としたのは、朝の柔らかな光。


 顔を横に向ければ、昨晩隣で一緒に寝たはずの相手はすでに寝床を出たようで、部屋にもいなかった。

 相変わらず行事が近くなると朝が早くなるのだな、と頬を緩ませながら、彼女もまた寝床を出る。


 少し乱れた髪を直しながら、剥き出しになった岩の上をぺたぺたと歩く。

 裸足だが、生まれたときから慣れ親しんだこの感触は苦ではなく、むしろこうして帰ってくると心地良いとすら感じる。身体を徐々に目覚めさせていく、丁度いい冷たさだ。


 そのまま壁に近付き、岩を削った木枠の窓から身を乗り出す。

 ここを離れる前は一段登らなければ覗けなかった窓も、二年と半年でその必要がなくなってしまった。

 身長が伸びたことはアサヒと交わす目線が近くなったことで実感はしていたが、ここでの生活も久しぶりとなればいくらかの変化は感じるものだ。


 それでも。


 久しぶりに帰った故郷は、変わらずに二人を受け入れてくれた。

 朝の光に満ち溢れた外を覗けば、そこは峡谷。深く抉られた谷底には、一筋の川が流れている。


 谷壁の途中で渓谷を繋ぐのは一本の吊り橋だ。以前は無数にあった吊り橋は錫ノ国の強襲で全て焼け落ちてしまっていたが、ハツメたちは春を迎える前にようやく一つ、新しい架け橋を完成させていた。


 まだ初々しい色をした若い吊り橋を見下ろせば、真ん中に彼が佇んでいる。まずは朝の挨拶にでも行こうかと、彼女は長い黒髪をなびかせた。


 円形の広場を進みながら吊り橋の端へと向かう。

 文字通り何もない広場を見て、少しだけ気持ちが陰るのは仕方がない。

 自然との境、人の住んでいた空間を見れば、どうしても哀愁を感じてしまう。

 二人しかいない国は静かで、殺風景だ。


 だが、秋の四神祭のときはシンがいてくれたし、近場ということもあり山ノ国からトウヤも来てくれた。すぐに故郷に戻らずにここまで付いて来てくれたシンはありがたく、また戦後の処理で忙しい中そんな様子を微塵も見せなかったトウヤも流石だな、と思う。

 彼らだけでなく、他の国の人たちも本当は行きたかったと言ってくれていた。

 生まれ育ったここで失ったものは大きかったが、代わりでもなく、新しい世界で得られたものも確かにある。


 蔦で架けられた吊り橋の渡し木に足をかけてアサヒに近付けば、彼は片腕に鷹を留まらせたまま書簡を眺めていた。

 ハツメの歩みでぎし、と吊り橋が揺れると、彼は慣れた様子で顔を上げ、「おはよう」と微笑んだ。


「ミヅハから?」


「ああ。山ノ国の帰りに谷ノ国(ここ)に寄るって」


 四神祭も来たがってたものな、とアサヒが笑う。「寄りたい」ではなく「寄る」とは、何ともミヅハらしい。

 ハツメはそれに微笑み返しながら、鷹の喉元をくすぐってやる。賢そうな目をした伝達役は気持ち良さそうに目を細めると、ふる、と身体を少しだけ震わせた。


「何もなくていいなら、いいわよね?」


「そうだな」


 元々なのだが、谷ノ国には何もない。『何もない』があるとはどこの言葉だったか忘れたが、何でもあると言っていい今のミヅハの目からはここはどう映るのだろうな、と思いながらハツメは吊り橋からの景色――峡谷に挟まれてせせらぐ、青緑の川を見やった。


 アサヒが腕を少し掲げれば、彼の腕に掴まっていた鷹が音を立てずに飛翔する。一羽はそのまま猛々しくも麗しい両翼を広げると、一筋の川に沿うように、渓谷の間を悠然と下っていく。


 鷹が錫ノ国へと帰る様子を見送っていた二人は、その姿が小さく消えていく途中で一つの黒影を見つけた。川に散らばる岩々を器用に飛び移る彼は、以前と同じく服装を暗い色で固めている。一つに結んだ細い長髪がしなやかに揺れ、川の上で舞う。


 ハツメが隣のアサヒを見れば、彼は嬉しそうに目を輝かせていた。

 アサヒはハツメを見下ろすと、柔らかな笑みをつくる。


「シンが来た」







「お久し振りです。アサヒ様、ハツメ様」


「すまないな、わざわざ寄ってもらって」


 吊り橋を渡り終えた広場で二人はシンと合流する。


 戦が終わった後、シンは再び行商として各国を回る生活を選んだ。もちろん、アサヒの従者という立場はそのままで。

 三人で谷ノ国に帰り着いた後に、アサヒとシンが話し合って決めた主従の形。これからシンは度々谷ノ国に訪れては、各国で得られた有益な物や情報を主に届けることになる。

 ちなみに、彼が錫ノ国に残ることはないだろうとアサヒやハツメは思っていたのだが、カナトは至極残念そうにしていて、引き留めたいのを必死に我慢しているのが一目瞭然だった。


「当然の務めでございます」


 シンは以前と変わらないうやうやしい態度でアサヒの言葉に答えると、頭を下げる。


「故郷はどうだった」


「ひと冬過ごしましたが――懐かしかったです。凍る海風などは特に」


 そう言って喉の奥でくすりと笑ったシンの様子で、彼にとっての帰郷は楽しいものだったと分かった。


「マコは元気か」


「そうですね。ただ、何度言っても『様』呼びが抜けなくて……」


「カナトが色々と教えてたからな」


「やはりですか」


 アサヒが苦笑すると、シンははあ、と溜息を吐きながらこめかみを押さえる。今度会ったときの様子が想像つくなとアサヒが考えていると、シンは穏やかな表情で向き直った。


「母もマコも、アサヒ様によろしく伝えて欲しいと申しておりました」


「ありがたいな。落ち着いたら、またあちこち回るのもいいかもしれない」


 そう言ってハツメを見たアサヒに、彼女もこくりと頷く。谷ノ国での生活が安定したら、今度は探し物のない、追われない旅をしてみたいものだ。外の歩き方は、目の前のシンが教えてくれた。


 旅の話で目を合わせるアサヒとハツメに、シンは微笑ましい視線を送る。


「まずはお二人の挙式でしょう。改めまして、おめでとうございます」


「ありがとう」

「ありがとうございます」


 丁寧に一礼したシンに対して、二人もそれぞれ頭を下げる。四神祭のときに祝言を挙げることは決めていたものの、こうして日が近付き出発となると、やはり緊張する。ハツメがはにかんでアサヒを見れば、彼もまた照れた様子で口元に手を添えていた。


 辺りに(ぬく)い春の空気が流れると、アサヒは一度表情を引き締める。そうして一つの門出を前に想いを新たにすると、二人へ向けて柔らかく目を細めた。


「――じゃあ、荷を持って行こうか。山ノ国に」






 こうして三人で山ノ国に行くのはあの日以来。

 今度はゆっくりと階段を踏みしめて、外の世界に出る。




 自然と人と、四神と。

 過去と今と上手く付き合いながら、これからも生きていく。

 幸い共に歩む人は隣にいて、帰る場所はここにある。


 緑が生い茂る森に身体を向ければ、ふわりと穏やかな息吹が背を撫でた。

 豊かな黒髪を揺らしながら、ハツメは振り返る。


「行ってきます」


 今日も渓谷には、いつもと変わらぬ柔らかな風が吹いている。

これにて『谷の橋姫 錫の日高』は完結になります。

最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。


さて、『初芽』や『朝日』、『日高』とあったように作中の登場人物をはじめとする固有名詞には全て漢字表記があります。ありがたいことに少し需要がありそうなので、本日(2017.2.26)の活動報告にて各登場人物と、ついでにそれぞれの国の都等の漢字表記を載せたいと考えております。

現在作成中でして、あげる時間は午後の一時前後にさせて下さい。※【追記】遅れてしまいましたが、あげさせて頂きました。

漢字表記と一緒に作中で出せなかった小ネタも少しだけ、そういうのがある登場人物に関しては出したいと思っております。その辺りの需要があるかどうかは分からないのですが、とりあえず頭にあるものから拾ってみますね。後から付け足しもしますので、もしも何かご意見・ご質問等ありましたらどこででも教えて下されば尻尾を振って喜びます。


改めまして、読者の皆様には心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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