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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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エピローグ 山ノ国

 大陸で最も標高の高い地にある山ノ国もまた、一つ季節を巡った。

 冬の間にうず高く積もった雪は溶け、春に芽吹く山々をさやさやと下っていく。


 陽光に当たり乾いた石段をきりのいいところまで登ると、ヒザクラはふと振り返る。

 生活の白煙が立ち昇る区画からさらに山を下ったところ、コトブキでいう農業区では千枚田に水が張られていた。


 標高が高く傾斜のあるここでの稲作は、段差をつけて拓かれた何枚もの水田によって行われる。山に沿って段々と続く水田は都を囲うようにどこまでも積み重なって見えるため、農業区のそこは棚田、それも千枚田と呼ばれていた。


 一面に広がった水の階段は暖かな日差しを受けて、鏡のごとく青空を映し出す。

 水田に水が張られたということは、田植えも近いのだろう。今年も空の青から早苗の緑、そして穂の黄金へと移り変わる様を見られると思うと、彼は心のどこかでほっとした。




 近々来る友人の宿の手配を実家で確認してきた彼は、神官舎へと戻る。

 左手に普段の庭を見やりながら縁側を進むと、ふと障子の向こうから声がした。


「綺麗ね」

「花嫁が着たらもっと綺麗よね」


 しみじみとした穏やかな声が二つ。この揃った声は、双子のユキコとフユコのものだ。衣装の方の準備も進んでいるのだな、とヒザクラが立ち止まっていれば、彼女らの息の合ったやり取りはさらに続く。


「それにしても涙が出そう。……色んな意味で」

「山ノ国で挙げてくれるのは嬉しいけど」


「「トウヤ先輩が」」


「要らねぇ心配すんな」


 思わず口走ってしまったと、ヒザクラが続けて障子を開ければ、二人は少しだけ目を丸くしてこちらを振り返った。


「あの二人に山ノ国での挙式を勧めたのはトウヤだ」


 彼は新しい薄緑色の畳を踏み進めながら、友人の矜持を守っておこうと会話に参加する。


「じゃあ神伯様が部屋から出てこないのは?」


「単に忙しいからだ。お忍びでミヅハ王子も来るしな」


 そう言ってヒザクラは頭の後ろを掻く。内密な来訪とはいえ、知っている者からすれば国賓だ。しかも錫ノ国の王族が戦でない目的で山ノ国を訪れるなど山ノ国の歴史上初めてのことで、変に問題が起きないか気が気でなかった。


 だが心配する自分とは異なり、神伯である友人の心中では歓迎の色が強いらしい。国交を結ぶ話を詰めたいと、ここ最近は毎日のように神伯用の部屋で思案を巡らせている。頑張りすぎだとも思うが――


 ヒザクラは双子の先にある(まばゆ)い白を目に留め、息を吐く。


「濃いような、淡いような二年半だったな……」


 三人の前に置かれているのは、衣桁に掛かった見事な白無垢。

 鶴と花があしらわれた小柄のそれは日の光のように白く輝き、ふきの部分はきりっと赤く(ほむら)を思わせる。可憐なところにどこか一本、筋の通った印象を受ける。

 少しの間それを眺めていたヒザクラは、らしいといえばらしいな、といつか見た花嫁の一本背負いを思い出した。


 友人の気持ちに水を差すのも無粋なことだし、執務に打ち込むことで彼の中の何かが紛れるのなら。そう考えてヒザクラが遠くを見やると、ユキコとフユコも察してか目線を落とす。


 しばらく憂いを帯びた表情の三人だったが、そこにふっと明るい声が降りかかった。


「おい。花嫁衣装の前でする顔ではないぞ」


 部屋に流れてくる彩風。

 三人が開け放たれた障子の先を見れば、普段通りの顔のトウヤが縁側に立っていた。

 彼の白い狩衣が揺れるのと同時に、庭先の花木の香りが鼻孔をくすぐる。

 独特の甘く切ない芳香を連れた彼は少し呆れたように口を開く。


「人のいないところで噂話とは感心せぬな」


「聞いてたのか」


「顔を見れば分かる」


 ばつの悪そうなヒザクラに、トウヤがにやりと笑う。まだ花の香りを含んだ空気が部屋を流れる中、彼はそのまま品良く腕を掲げると、三人に向け明朗に話す。


「大切な友人たちの婚礼だ。盛大に祝おうではないか」


 そう言ってトウヤは奥の白無垢に視線を移すと、一瞬だけ眩しそうに目を細めて。

 綺麗に口角を上げたまま障子の影へと消え、縁側を進んでいった。



 トウヤがいなくなった後、縁側の向こうに佇んでいたのは一本の庭木。

 長年彼が愛でる沈丁花は、まるで「貴方に寄り添いたくて」と言いたげに、花嫁さながらの可憐な純白の花弁を咲かせていた。

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