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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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エピローグ 錫ノ国

 錫ノ国の西側、山脈の麓に広がる都セイヨウには戦後初めての春が訪れていた。

 台地の上に昨年までは植わっていた名のある一本桜は大火でなくなってしまい、その場所には現在小さな執務室が建つ。


 その中で早朝から一通の書簡をしたためていた少年は、その最後を気持ちのいい『払い』で終えると、静かに筆を置いた。


「これで私信も終わり。よろしく、アザミ」


「お疲れ様です」


 椅子に体重を預けて脚を組むミヅハにそう返しながら、軍服を着たアザミは机に置かれた一枚を手に取る。まだ乾ききっていない墨を確認した彼は両手の指先でその端を掴むと、ひらひらと空気にさらす。

 この部屋の香りも一緒に届けられたら、と思ったが、まあ無理な話だ。ここと届け先ではいくらなんでも距離がありすぎる。だがそのように感じる程、新築の部屋は削り立ての木の爽やかな香りで満ちている。


 火事で灰になった宮殿の跡地、その一角に建てられたここは大きくない。秋冬だけで元と同じ格の宮殿を建てる余裕は、今の錫ノ国にはないのだ。天災の被害はそれほどではなかったものの、内戦の疲弊から立ち直るにはまだ時間がかかる。


 とはいえ、耳を澄ませば新しい宮殿を造る職人の音が聞こえてくる。実務だけを考えれば、当面を考えて建てた簡素なここでも充分だが、王族と国の威厳を示すためには多少の華美も必要となる。少なくとも夏までには、錫ノ国の文化や技術の粋を尽くした謁見室が完成する予定だった。


「忙しくはあったけど、ちゃんと定めた通り終わるものだね。執務も」


「本当に優秀な御血筋なことで」


 兄弟揃って化物じみた仕事っぷりだとアザミが苦々しく笑えば、頬に残った紫色の痣がひくりと歪む。右手から頬にかけて醜く残った自らの毒の跡を、彼はいつ何時も隠していなかった。


「ぼくは前にも増して忙しいんですけど、何とかなりませんか?」


「へえ。シャラに行かせるのとどっちが大変だろうね」


「宮殿で働かせて下さい。もう一生入れません、あの場所だけは」


 軽く目を尖らせたミヅハの視線に、アザミは顔を引きつらせた。本気ではないにしろ、悪い冗談だ。いくら戦が終わったとはいえ、買ってしまった恨みが消えるわけではない。あの街に足を踏み入れたが最後、今度こそ帰っては来れないだろう。


 シャラにはあの三人がいるに違いないから。




 戦が終わって数日経ってからのことだ。焼け残った土蔵の中からイチルの亡骸が見つかったことを彼の側近だった三人にそれぞれ告げると、その翌日、捕虜として別々の牢に入っていた彼らは示し合わせたように姿を消した。


 しばらく消息が掴めなかったが、今の潜伏先は十中八九、シャラ。彼らの故郷でもあるが、一番の理由はイチルの塚がそこにあることだろう。


 帰ってきたアサヒの話を受けて、ミヅハはイチルを王族の廟に入れるのではなくシャラに塚をつくって弔うことにした。都よりも彼が手を掛けたあの場所の方が穏やかに眠れると思ったからだ。


 実際彼の塚は不自然なくらい人の手が入っているというし、あの場所に三人がいるのは明らかだった。本来なら捕らえるべきなのだろうが、地下迷宮もある中で誰がそれをできるかと言われれば、正直なところ誰もいない。

 彼らが何もしないなら目をつぶるしかないと、ミヅハもアザミも考えていた。




「それにしても。今度のお忍び、たった四人で大丈夫なんですか?」


 広げていた書簡を丁寧に畳みながらアザミが問えば、ミヅハはふっと口の端を上げた。


「あいつはもうヒダカにはなり得ないからね。王族としての僕じゃなく、ただの個人として行くんだよ。四人で十分でしょ」



 *****



 アサヒが大火から戻った後、ミヅハは彼から頼まれていた。


『ヒダカ』という人間はこの大火で、イチルと共に死んだことにして欲しい、と。


 当然断る理由もない。ミヅハにとっても、むしろそれが良い形のように思えた。

 だから錫ノ国の歴史書には、あの日、第二王子のヒダカは第一王子のイチルと共に宮殿の大火で死んだと記されている。


 歴史書にはヒダカが反乱を起こしたことも、イチルが大陸に戦火を広げ、先王と母親を手にかけたことも記されているが、ミヅハはそれだけでは終わらせていない。

 イチルは内政に突出した才を発揮し、技術革新を起こした賢人とも書かれているし、大陸の騒乱を終わらせたヒダカの隣には、国を天災から救った四神の愛し子がいたとも書かれている。


 一節を抜き出すなら。


『出ずる太陽と共に現れた第二王子の日高は、自らの命でもって戦の世を終焉に導いた。そして彼の隣に立った四神の愛し子、橋姫は手にした神宝(かんだから)でもって、火ノ神の怒りを沈め、錫ノ国を滅亡から救ったのだ――』



 *****



「ミヅハ王子!」


 大きな声と共に執務室に入ってきたのは袴姿のカナト。伸びてきた髪を変わらず一つに括っている彼はそれを大きく揺らしながら、快活に笑う。


「俺もシグレも準備は出来ております!」


「そう。焦らないでどっかで待っててくれる? もう一人の様子を見てくるから」


 彼女なら準備が出来ているに違いないのだけれど。そう考えながらミヅハは椅子から立ち上がる。

 そのまま部屋を出る前、あまりに上機嫌で浮かれたカナトを見てか、アザミが小さく溜息を吐いた。


「羨ましい……」


「悪いなアザミ! 俺はアサヒの義兄弟の身であるがゆえ、正式に呼ばれているのだ!」


 思わず漏れたアザミの本音に、カナトは得意げに返す。嫌味がないから余計にきついとアザミが苦い笑みを浮かべれば、ミヅハも釣られたのかカナトに続く。


「僕も一応正式なんだけど。気持ちの上では……兄弟の縁まで切ったつもりはないし」


「お土産話、期待してます。主にハツメお姉ちゃんの」


 お気をつけて、アザミはそう言って二人を送り出した。



 執務室に一人残れば、彼は折り畳んだ書簡を窓際へ持って行く。

 窓を開け放てばすぐさまやってくる、一羽の鷹。彼は書簡をさらに丸めると、鷹の脚に付けた筒に器用に入れる。そうして柔らかい背をひと撫でしてやれば、鷹は勢い良く両翼を広げ、薄く雲のかかった春の空を舞うように飛翔していった。





 ミヅハは執務室からそれほど遠くない自室に向かう。

 廊下の窓から外を眺めれば、見晴らしがよくなりすぎてしまった台地から白い都下が見える。遠目でも、人が粒のようでも分かる日常の活気は、再び宮殿が緑に覆われても常に眺めなければと思う。

 当たり前の日常こそ、これから何より大事にしなければならないもの。

 国民の日常もそうだし、自分たちもそうだ。


 ミヅハは赤い布で包まれている小物の感触を手の平で確認すると、自室の扉をそっと開けた。


「ルリ。準備できた?」


「はいミヅハ様。このようにしっかりと」


 入口に背を向けて旅荷を確認しているルリに声を掛ければ、彼女はくるりと全身をミヅハに向けてたおやかに微笑んだ。

 ミヅハは旅荷の方を見やると、そこに立て掛けられた一つに目を留めて口を開く。


「ああ、日傘はいいよ。僕、これからは帽子を被るから」


「お兄様、帽子を被ってらしたのですよね」


 窓からは春が深くなったのが分かる、ミヅハにとっては強い日が差している。直接浴びたいとは思わないが、部屋に生まれた陽だまりには彼も惹かれる。温かな彼女の足元へと、引き寄せられるように歩み寄る。


「うん、それにさ。ルリを傘差し係から解雇しようと思って」


 その言葉にえ、と表情を曇らせたルリに、ミヅハは小さく息を吐いた。

 少年は彼女の両手を取ると、身長の足りない分ほんの少し見上げて、「馬鹿。お前を離すわけないでしょ」と優しく囁く。

 そのときにルリの手に握らせたのは先程の赤い布包み。

 柔らかな手触り。手の平ほどの大きさの薄い感触に彼女が首をかしげると、ミヅハは言う。


「開けて」


 彼女がゆっくりと包みを開くと、そこにあったのはべっ甲と銀でつくられた櫛だった。べっ甲の歯の周囲を菊模様の銀細工が飾っている。主張の激しくない装飾は控え目ながらも女性らしく、贈る相手に合わせてつくられたと分かるもの。


「僕の婚約者になって、ルリ。結婚は僕の成人まであと二年待って欲しいんだけど。ただ、お前が待ちたくないならすぐにでも――」


「ちょ、ちょっと待って下さいミヅハ様。そうすると私、この国の」


 彼からの贈り物に見惚れていたルリが慌てて目線を戻すと、ミヅハは何でもない顔で答える。


「王妃になるってことだね」


「ひ……」


「不満なの? 僕の側にいれるなら何でもいいって言ったのに?」


 彼は目にほんの少し力を込めて、血の気の引いたルリを見上げる。分からなかったはずはないのに、今さら身を引かれても困る、とやや口をすぼめれば、彼女はううっと詰まったような表情をつくる。


「あれ、そういう意味になるんですか?」


「そういう意味になっちゃったんだよ。……ルリじゃないと、嫌だよ。僕」


 ミヅハがルリの片方の袖を掴むと、彼女はその上からおそるおそる、慎重に片手を重ねた。もう一つの手にあるのは、春の麗に優しく咲く、季節外れの銀の菊。


「が、頑張らせて頂きます……」


「もう。頑張らなくてもいいから、そのままで、側にいて」


 そう言うと、少年はちょっとだけ背伸びをして。そっと彼女の頬に唇を寄せた。

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