第百八十二話 合歓の記憶 一
その日の光は夜にやってくる。
母親の躾が終わって土蔵に閉じ込められた後、鉄柵の下に寄り掛かりじっと待つ。
すると、優しい響きの童謡と共にやってくる。
―――――
昔から日の光が愛おしかった。
生まれつき日光に弱く、加えて病気がちだった。
日光に弱いのは母親の遺伝らしいが、自分はひと際それが強く出たらしい。
物心付いたときにはすでに金色の髪の毛が揺れ、存分に日の光を浴びることは叶わなかった。
王族どころか人間らしからぬ自分の髪の色。
粗相をしたわけではないのに突然母親の怒りを買い、日を越えて土蔵に閉じ込められる。
自分が不完全だからなのだ。母親の言うとおり、紛れもなく自分は欠陥品。
欠陥品だからこそ、自分の足りない部分に恋い焦がれ、それを手にすれば満ち足りたような気持ちになる。
イチルにとって、その足りない部分が日の光だった。
清らかな白い光。陽だまりの温かさ。
だがそれは、彼が浴びることのできない実際の太陽ではなく。
幼少期のイチルにとっての日の光は一組の親子。
とりわけ息子――自分の異母弟の方だった。
*****
最初の出会いはイチルが七歳のときだった。
まだ痛む頬をさすりながら朝を待つ。宮殿から離れたここはひと気がなく、明かりといえば合歓の枝葉をすり抜けた月の光のみ。目をつぶるのも怖い少年は、いつも鉄柵の隙間から差し込むその薄明かりを頼りに、ひたすらに夜明けを待つのだ。
一人の土蔵は常に静寂で、夜の色に違いなどない。古びた白漆喰に頭を預けながら、冷たい床に座り込むのもいつも通り。
だがその日は、変わらない闇に混じって。赤ん坊の泣き声と、童謡の音色が流れてきた。合歓を揺する生命の主張と、優しげな女性の歌声。
近付いてくる二つの声にイチルは立ち上がり、鉄柵の向こうを覗き見る。
見えたのは月明かりの落ちた合歓の森と、そこに佇む着物姿の女性だった。
「誰かいるの?」
小さくともよく響いた声に、女性ははたと振り返る。目が合えば、ああ、と少年は思う。話したことはないが、互いに知っている相手だった。
「……イチル様……? なんてこと……!」
白い包み布を抱いたアカネが鉄柵に歩み寄る。鉄柵を間に挟み、慌てた様子の彼女にイチルは口を開く。
「いいんだよ、前からだから。それより第二夫人。その手に抱えるのは、この間生まれた赤ん坊でしょう」
年不相応の落ち着いたイチルの声に、アカネは睫毛を数回瞬かせると、穏やかな笑みをつくった。彼女が抱く赤ん坊は先程から変わらずにぐすぐすと泣きじゃくっている。
「ええ。イチル様の異母弟ですよ。……柵越しですが撫でてやって下さいませんか?」
言われるまま、鉄柵の隙間から手を伸ばす。
おそるおそる玉の肌をもった赤ん坊の頭に自身の指を触れさせると、赤ん坊だからか、温かかった。
そのまま手の平を付けて優しく撫でると、細い髪の毛がさら、と動く。
「あら、泣きやみましたね。お兄様に撫でてもらえて嬉しかったのかしら。よかったね、ヒダカ」
「ヒダカ……」
聞いてはいた名前だが、こうして前にして初めて心に落ちた。自身の手の平の中で穏やかに寝だした赤ん坊に、彼にとっての意味が生まれた。
「夜泣きは多いの?」
「今はそうですね」
「だからこうして人目に付かないところにと思ったのですが」と、彼女は申し訳なさそうにも、気を遣ったようにも言う。
「ねえ第二夫人。ヒダカが夜泣きしたときはまた来てよ。多分私もいるし、ここに独りでいると、時間が経つのが遅いんだよね」
母親に知れて怒りを買うよりも。また二人に会いたいと、そう思っての言葉だった。
***
その日から、度々アカネはイチルのいる土蔵を訪れるようになった。
イチルは母親の折檻があった日。アカネは国王が自身の元を訪れず、尚且つヒダカの夜泣きが収まらない日にここに来る。
お互い常に会えるわけではなかったが、期間が長くなればそれなりに回数は重なる。初めてここで会ってから、早一年が経とうとしていた。
「ね、アカネちゃん」
「なんでしょう、イチル様」
自分の手の中ですうすうと眠るヒダカを見やりながら、イチルは言う。
「ヒダカはもう、いつ夜泣きが終わってもおかしくないよね。そうしたらここには来なくなる?」
「……そうですね。でもイチル様も、ここには来なくなるかもしれませんよ」
「嫌だな。ヒダカの成長は嬉しいけれど、会い難くなるのは嫌だ。母様はきっと会わせてくれない」
実際にこの土蔵以外でイチルとヒダカが会ったことはなかった。アカネとは偶に遠目で見るくらいだが、当然ながら話すことなどできない。
「外で会えないくらいなら、まだここに閉じ込められた方がましだよ」とイチルは続け、静かに瞼を閉じる。
「ここは生き辛い。息ができない。アカネちゃんもそうでしょう?」
そう言って焦げ茶色の瞳でアカネを見上げれば、彼女はただ物憂げにイチルを見ただけだった。
「これから先。私よりも何よりも、心配なのはヒダカなんだよ。今はこうしてアカネちゃんや私の手の中で穏やかにいられるけれど、成長すれば宮殿の嫌な部分を必ず見ることになる。私はヒダカにだけは傷付いて欲しくない」
「イチル様はお優しいのですね」
「ヒダカの兄だもの」
一年で大きくなった異母弟の頭をさらりと撫でると、イチルは自身の言葉に願いを込める。
「私は強くなる。母様の躾は耐えるし、父様とも上手くやる。そうしてヒダカが傷付かない場所をつくって、尊敬されるような兄になれば、いつかは一緒に宮殿を、この国を変えていけるかな」
「私と、お兄様であるイチル様の愛情を受けて育つヒダカですもの。素直で優しい子になります。そうなることを、祈っております」
紡がれた明るい未来にアカネが柔らかく微笑めば、イチルもまた優しく笑い、ヒダカを見る。
「ヒダカが大きくなるのが待ち遠しいな」
三人が土蔵で過ごした、最後の夜の会話だった。
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