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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百七十五話 セイヨウ戦 三

 正階段前の熾烈な戦いはまだ続いていた。

 エンジュを始め、ここに残る錫ノ国側の兵は忠誠心も厚く、手練ればかり。


 アサヒのみ通すつもりの宮殿への道は他の者には固く閉ざされている。

 アサヒがエンジュへと剣を振りかざせば、彼は大剣を巧みに使ってその攻撃を弾く。早く行け、と言いたげなエンジュの視線を無視して、アサヒは次の一撃を叩きこむ。相手の思惑にのる必要もない。彼は反乱軍と共に、防衛線を完全に突破するつもりだった。


 戦の前は天高くあった日が西へと傾き始めている。その空の動きに気付いた者は、日が暮れる中での終戦を予想した。宮殿はもはや目の前だ。ここにきて一時でも軍を引くことは下策であり、このままの進攻を続けたならば、この戦には終わりが見えていた。



 反乱軍として戦う者の頭に勝利の文字が薄っすらと浮かび始めた、そんなとき。


 地底そのものが意思を持って揺れたように、大地が大きく跳ねた。

 その衝撃に倒れ込む者、膝を付く者。皆それぞれだったが、立っていられる者は誰もいなかった。


 同時に響くのは、都全体を包む轟音。その大地の咆哮に、誰もが天地の異変を感じ取る。


 今の今まで晴れ渡っていた空を、暗雲が覆っていく。

 太陽が隠され、世界の全てが色を落とす。


 彼方の山脈を見れば分かる、その根源。

 今を生きる人間にとっては誰しもが初めての光景だった。


 山が炎を、黒煙を吹いている。




 錫ノ国の歴史を辿っても、前の噴火の記録は残されていない。

 少なくともこの国は残すことができなかった。


 遠くの山が唸りを上げる。

 大地が火を噴き、天には灰が撒かれ――


 アサヒも、ハツメも。いつか聞いたアザミの――ケイの歌を思い出す。

 失われた廃国の歌。


 昔、火ノ国が煤ノ国となったように。

 国土の全ての活火山が一斉に猛り始めた。


 *****




 反乱軍の本陣。都の外につくられた野営地にも、大地の異変は起こっていた。


「ミヅハ様!」


 大きな揺れの中、ルリがミヅハの側に寄り添う。


「本当に始まった……。でも、何で今……」


 ミヅハもまたルリの身体を支えると、深刻な表情で宮殿の方角を見やる。

 ハツメの懸念した通りのことが起こっていた。別荘地を歩いた際、彼女が話した通りのことが。



 ***


「昔、火ノ神が火ノ国を滅ぼしたとき。天災があったのよね」


 焦げ茶色の大地から数筋の白煙が昇り、青空にたなびく中。

 火ノ神の居場所を聞いてきたハツメにミヅハがその理由を問えば、彼女はそう答えた。


「そうだよ。アザミがいつだったかハツメたちに古い歌を歌ったとか言ってたね」


「二人でそんな話をしていたの」


「あいつ、懺悔のつもりか分からないけどよくお前の話するよ。嫌な話じゃないから聞いてるけど」


 他にしたい話もできる話もないのだろう。アザミがミヅハにする話は、ハツメと出会ってから今までにあったことばかりだった。

 ミヅハは嫌な話ではないとは言ったが、その中にはハツメたちを騙していたことも含まれている。それでも、アザミにその気がある限りミヅハは側に置いて重用するつもりだった。そうでなければ、立場のなくなった彼をわざわざ拾った意味がない。


「まあそれはいいや。天災のことだけど、四神がいるのは大地よりも下だから、天変地異も大地からだったんだろうね。……何かあるの?」


「分からないわ。でも、何かあったら、火ノ神に会いに行きたいの」


 眉をひそめたミヅハが声を落とすと、ハツメは使命感を帯びた瞳で返す。


「海ノ神に言われてるの。もしものことが起こったらお願いねって」


「意味もなく言うとは思えなくて」というハツメの言葉に、ミヅハは頷く。

 ハツメは遠くの山脈を見やると、信念を込めた、確固たる口調で言葉を紡いだ。


「だからそのときは、私が止めにいかなきゃ。火ノ神を」


 *****




 正階段前の広場にて。大地が揺れる中、それぞれ膝を付くハツメとアサヒは目を合わせる。


「火ノ神を止めに行かなきゃ!」


「ああ!」


 そう言葉を交わし、手を取り合おうと互いに腕を伸ばす。

 だが、二人の手は重ならなかった。


 突如。燃え盛った赤い炎がハツメを包み込む。


 その異常な光景に、アサヒは慌てて指先を伸ばした。必死の思いでハツメの手を掴もうとするが、なおも湧き上がる赤に阻まれる。彼女を覆う炎に触れると、身の内がどくんと跳ね打った。


 火傷を負うような痺れる痛みはなく、熱もない。以前感じた天ノ鏡(あまのかがみ)の炎と、アサヒ自身の身の内に宿る異能の炎と同じ、火ノ神の炎。


 その赤々とした煌めきに(くる)まれたハツメは、その珠の瞳でアサヒを見つめたまま。

 広場から一人、忽然(こつぜん)と姿を消した。


 ハツメがいた場所、炎の赤い残渣がちらつく地面に、アサヒはぺたりと手の平をつく。


 消えた先はおそらく、火ノ神のいる場所。宮殿の東にあるという祠しかアサヒは手掛かりを知らない。地についた手で強く拳をつくると、彼は台地の上を見上げる。


「アサヒ様! ハツメ様は――」


「連れていかれた。火ノ神に」


 アサヒは正階段の先を見据えたまま、自身の元へと駆け寄ってきたシンに言う。


「宮殿に行く。離れないと、ハツメと約束したんだ」


「ご一緒させて下さいませ」


 そうしてアサヒが立ち上がると、二人は正階段へと走り始めた。


 広場にいる人々がよろよろと立ち上がっていく。いまだ地響きが鼓膜を震わせ、大地が脈を打つ中。

 正階段の始めを上がったアサヒとそれに続こうとしたシンに、一つの影が迫る。

 ここにきてもなお、二人の――いや、アサヒ以外の者の進攻を阻む男が刃を振るう。


「いい加減にしろ! この、国が滅びようとしているときに……!」


「もはや俺たちはイチル様のために戦っているからな」


 何かに想いを馳せるように目を細めるのはエンジュ。

 彼は苛立つアサヒに言葉を返すと、シンと交差させていた剣を一旦引いた。


「行くのは第二王子だけにしてくれ」


 エンジュは大剣を縦に構えると、シンへと真っ直ぐに振り下ろす。

 勢いよく振るわれた剣を受け止めるべくシンが身構えると、彼の前に小柄な影が(おど)り出た。


 エンジュの大剣を受けたのはカナト。

 二人の下から滑り込み、シンをかばうように立った青年は叫ぶ。


「ここは任せろアサヒ! それと、」


 一拍置いて、さらに彼は快活に声を張り上げる。


「お行き下さい! シン様!」


 格上のエンジュを前にしても揺るがないカナトの真っ直ぐな気概に二人は目を見張ると――口の端を上げた。


「恩に着る!」


「頼もしいな、カナト」


 アサヒと、それに続いたシンの言葉にカナトもまた笑みを深めた。

 勇ましくエンジュに斬りかかっていく彼を視界の端に収めると、アサヒとシンは正階段を駆け上がる。


 広場の喧騒を背後に、彼らは一瞬でも早くと、宮殿を目指した。

お読み頂きありがとうございます。

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