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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百七十四話 セイヨウ戦 二

 セイヨウは宮殿と一等区を除けば、他は石造りの白亜の建物が続く広大な都だ。

 正階段前の広場から西に離れた場所。

 統一感のある無機質な白が立ち並ぶ住居区にて、山ノ国の軍は兵火を交えていた。


 平地であれど、険しい山脈で培われた身体能力が衰えることはない。

 錫ノ国に数では劣るがその質でもって、山ノ国は敵を圧倒していた。


 前線で無類の強さを誇っていたヒザクラが後方のトウヤの元へと帰参する。


「強くなったな。ヒザクラ」


「流石にあのままじゃいられねぇからな。もっとも、比べる対象がいなくて困っていたところだ」


 お前はどうなんだ、とヒザクラが不敵に笑えば、トウヤも綺麗に口角を上げた。彼の眉目は自信ありげに戦友を見る。


「また手合わせ願いたいな」


「望むところだ」


 そうしてこの辺りの掃討もそろそろか、と話していたとき。

 彼らは嫌な報告を聞いた。


 西側のとある区画でこちら側の戦死者が増え続けているらしい、と。


「『らしい』とはどういうことだ」


「ちゃんと目の当たりにできた者がいないのです」


 ヒザクラが伝令兵に問えば、相手の男も困ったように眉を下げた。


「報告した兵が言うには、一旦引く間もなく、次々と味方が倒れていったと。それも一人や二人ではなく、一気に四、五人だそうで。……人垣の隙間から、見たこともない長さの穂先が突き出されたとも言っておりました」


 「報告した兵も背中を深く斬られ治療を受けています」と、伝令兵は続ける。


「……ヒザクラはここの後始末を頼む。その区画には俺が単独で行こう」


 白袴を翻しながら、トウヤは彼方を見据えるように目を細めた。


「一人、心当たりがある」





 該当の区画に入れば、その異様な雰囲気はすぐに感じ取れた。

 辺りに漂うのは、戦場に慣れた者でも思わず顔をしかめるような、黒い死の濃香。


 慎重に歩んでいけば、広場でもない一本の街路に彼の予想通りの人物がいた。


 状態は、交戦と言うにはあまりに一方的なもの。

 その惨状は蹂躙(じゅうりん)という言葉の方が適していた。


 周囲が距離を取ろうとも関係ない。相手が引きの姿勢を見せても瞬時に追い、命を狩り取る。青年の細い手足が、枷から解き放たれたように気持ち良さげに振るわれる。

 敵だけでなく、彼の味方も畏怖したのだろう。既にここら一帯に残る錫ノ国の兵士は彼しか残っていなかった。


 軍服姿の青年は周囲にいた最後の一人を仕留めると相手の襟を掴み、乱雑に放り投げる。

 己の力を誇示するかのように大きく得物を構えたその周囲には死屍累々。重ねた死者の上に冒涜的にも脚をのせ、気怠そうにも、悦に入ったようにも見えるのは――


「……リンドウ」


「よう」


 好まずとも見知ってしまった相手の名をトウヤが発せば、場にそぐわない、妙に親しげな声が返ってくる。ちらりとトウヤに視線を流し、緊張感のない軽い口調で返したのは敵将の側近が一人、リンドウだった。


「こっちには第二王子もハツメちゃんも来ないのな。まーそりゃそうか。この辺は宮殿とは離れてるし」


 くつくつと喉の奥で笑いながらリンドウが言う。足元に転がした反乱軍の一人を小さく蹴飛ばすと、彼は両の足を地に着けた。


「見るに堪えんな」


 トウヤが軽蔑の色を隠さずに冷たく言い放つと、リンドウは首を傾ける。彼の双眸は「なにが?」とでも言いたげに、冷々と怒るトウヤを可笑しげに見た。二人しかいない路地に、青年のあっけらかんとした声が響く。


「俺さ。別にいわゆる戦闘狂とかじゃーないんだよな。ただ、殺り合ってると男どもが逃げるから。どーにも見苦しくて」


「カリンとやらはどうした」


「ああ、姐さんは元気だよ。……おかげさまで」


 最後に呟かれた声は低く。リンドウは左手で長い襟足を弄び出す。くるくる、と細い毛束が彼の長い指に絡み、軍服の上で軽やかに踊る。


「それより、山ノ国のいい子紹介してくれよ。綺麗な双子ちゃんがいるって噂なんだけど」


 どこからの情報だ。にやり、と薄ら笑いする相手にトウヤはいよいよ眉を寄せた。


「……やはり理解できぬ」


「そりゃー残念。やっぱ話合わないんだな、俺ら」


 そう言ってリンドウは大身槍を振り上げた。

 大物を振るう彼の素早い動作に空気が裂かれ、歪に曲がる。

 突然高まった殺意にも揺すられず、トウヤは冷静に距離を取ると矢をつがった。


 白羽の一矢が地と平行の線を描き、リンドウへと向かう。

 既にトウヤに近付かんとしていた彼は一振りでそれを叩き落とすと、次は長い穂先を振り上げる。



 ――大身槍はいい。


 剣ほど人に近付かずとも、容易く命を奪える。

 対象に触れたときの、重すぎる感触が心地良い。

 普通の槍と違って突くだけでなく薙ぎ払えるところも、一辺倒では満足できない自分の性分に合っている。



 リンドウはそう思って愛用しているが、実際に扱える人間など他にはいない。

 過ぎた身贔屓を抜きにしても彼が中将でいられる理由には、彼の戦闘に対する並ならぬ適性があった。


 自身に迫る大きな穂先を、トウヤはさらに距離を取って(かわ)す。

 槍の間合いより近付けば、今度は互いに剣を抜くことになる。

 さてどうするか。リンドウの容赦ない追撃をひらりひらりと避けながら、トウヤは思案していた。




 トウヤは武勲を立てるような人間とはまた異なった側の人間だ。

 一騎当千と戦場を一人駆け回るよりは、全体の流れを見渡しながら、味方の中に生じたほつれを直す方に秀でている。周囲の彼に対する評価がそうであるし、トウヤ自身そう思っている。その理由もあって、戦だけでなく何事においても周囲の調整役に回ることが多い彼だったが、それはともかくとして。

 実際にトウヤがそういった立ち回りをするのは、他にそれを出来る人間がいないからだ。


 本人も意識したことはないが。

 彼もまた、個の武勲によって歴史に名を残すだけの才を持っている。



 しばらくリンドウの攻撃を(かわ)していたトウヤが、攻めに転じた。

 左に弓を抱えたまま、剣を抜く。

 リンドウの突きを半身で避けると、彼もまた剣でもって突きを出す。狙うは相手の喉。


 間合いを詰められたリンドウは剣を抜かなかった。首を大きく傾けトウヤの刃を避けると、彼は柄を勢いよく引き寄せる。大身槍を短く抱えた彼はトウヤを両断しようと一気に横に薙ぐ。


 金属同士のぶつかり合う、鋭い音が一瞬。


 トウヤの腹を狙った大身槍の穂先はトウヤの剣身で止められた。


 すぐに片方の鋭刃が地に落ちる。柄を離したのは、間合いを詰めた方のトウヤ。

 大身槍を止めた彼は、軽やかに地を踏む。

 そうして空いた右手を矢筒へと伸ばしながら、相手の穂先の上に飛び乗った。


 全てが流れるような、柔の動き。一瞬の出来事だった。


 得物の上に乗られた屈辱に、リンドウの目が怒気を帯びる。

 彼がすぐさま大身槍を離して剣を抜いたのと、トウヤが至近距離で矢を放ったのは同時。



 いかなる至近距離であっても。

 リンドウであれば矢を打ち払うことは可能だった。


 トウヤもまたそう予想した。

 だから、彼は一つ、矜持にも近いこだわりを捨てていた。



 この距離ならば、一本でなくても矢は当たる。 

 一本で落とされるならば二本。もう一本も避けられるなら、三本。

 狙う所に当たらないのは不本意ではあったが――トウヤのつがった矢の数は三。

 打ち払われず、避けられなかった一本の矢は、リンドウの鎖骨の下に深く突き刺さった。


 避けようとした勢いと矢を受けた衝撃でリンドウの身体が大きく仰け反り、背から地に落ちる。

 右手から離れた剣が、彼の横に転がった。


 リンドウはすぐさま指を地に這わせ、剣へと手を伸ばす。

 柄を見つめ、あとわずか、届くかと思われた瞬間。視界に白がちらついた。


 ふわりと落ちてきた白袴。その下の鋭いとも鈍いとも言えない右手首の痛みに、リンドウは思わず苦笑する。


「見かけによらず、結構根に持つんだな」


「らしくないとは思っている」


 リンドウを見下ろすように立ち、トウヤは淡々と話す。

 彼の足は白袴の下で、リンドウの右手首をしっかりと踏み押さえていた。


「俺は普段、人を射る時は苦しまぬよう一矢で仕留めるのだが」


 リンドウの茶化すような口笛が、乾いた空気を軽快に揺らす。


「お主はもう少し、他人の痛みというのを知った方がよい」


 そう言うと、トウヤは強く引き絞っていた弦を離した。





 都の西側は制圧した。ヒザクラたちと合流したら、部隊を分けて宮殿前へと向かおう。

 そう考えながらトウヤは(きびす)を返し、歩き出す。


「……どんな人間であれ。付き合いが長くなると嫌なものだな」


 風にはためく白袴には、点々と人の血痕が付いていた。

お読み頂きありがとうございます。

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