第百七十三話 セイヨウ戦 一
錫ノ国の西に造られた都、セイヨウ。
土埃を上げるその白亜の建物群を正面にアサヒは佇む。
遠くに見えるのは山脈の麓に開けた赤褐色の台地。都の再奥にあたる、火ノ神が身を置くといわれている場所だ。そこを台座とするように、セイヨウ宮殿は壮麗に構えられ、都全体、そしてアサヒたちを見下ろしていた。
「戦況は」
「半々だ!」
アサヒが問えば、答えはすぐに帰ってきた。
今しがた部下から報告を受けたカナトが彼の元へ歩み寄る。
「だが罠や奇策は最早ない。双方の力押しだ」
そう言うと青年は好戦的に笑う。その目はアサヒに待たせたな、と言っていた。
アサヒの性格からいえば、自身が先陣を切りたかった。それはカナトもこれまでの付き合いでよく知っている。
だがアサヒはこの土地を全く知らない上、これだけ規模が大きい戦、しかも相手の懐とくれば何があるか分からない。もちろん本人は何が起こっても対処する自信はあるだろうが、合わせて動く周囲もいる。
だからカナトがアサヒに話をし、戦況がある程度決まるまで将の出陣を待ってもらったのだった。
冷静そうな外見に似合わず、身体が一番先に動くのはアサヒの性質だ。
実際にアサヒもこの戦の熱気を前に、猛り、前へ踏み出そうとする気持ちを抑えていた。
「行くか」
アサヒが振り返る先に立つのは、どこか感じ入るように目を細めるシン。そして強く美しく微笑むハツメの姿があった。
ここまでくると戦の勝利条件は分かりやすい。セイヨウ宮殿の占有だ。
前方に真っ直ぐ伸びる石畳を抜け、台地を駆け上げるべく。
彼らは各々の刃を手に、出陣した。
事前に聞いた戦況は半々ということだったが、彼らが前線に着いた頃にはこちらがやや優勢。宮殿の見える位置まで押し進めていた。
激戦区は宮殿に通ずる正階段の前。見晴らしの良いその広場は、正階段と同様に白い石畳が敷かれ、格調高い趣があった。緑も見受けられるその場所は、今日のような晴天であれば実に優美だっただろう。――本来ならば。
地に伏せる両軍の兵と、白い地に落ちる赤。
何度見ても見慣れない。何度聞いても聞き慣れない。戦場の独特の空気は、いつもハツメを怖気づかせようと四方から迫る。その度に彼女はそれを振り払い、身を、心を奮い立たせるのだ。
両軍が入り乱れる中、ハツメは横から流れてきた剣身を受け止めた。
相手の長くはない黒髪が、さらりと流れる。
斬り掛かった相手を見れば、同い年ほどの少女だった。
誰かの面影を見せるその少女の太刀筋を一刀一刀、丁寧に受け止める。
少女の様相は軍服ではなく、普通の着物に襷をかけた形。少年らしい髪型ながらも端正な顔立ちをした少女の肌は陶器のように白く、ハツメは数度の打ち合いの最中、思う。
――ああ。この子、アサヒに似てるんだ。
戦い慣れていないながらも魂の込もった相手の一打を、ハツメもまた魂を込めて返す。重なった剣身を力強く押し返せば、相手は大きく体勢を崩し、尻餅をついた。
少女の瞳には負けん気と、それと同等以上に恐怖が見える。戦どころか、剣を握ったのも最近なのではないか。ハツメがそう思っていると、少女はぎり、とこちらを睨みつけながら立ち上がる。
向こうがやる気なら、ハツメもまた真っ直ぐに返すしかない。
再びぶつかり合おうと、互いに剣を構えたそのとき――
少女の前に、一つの大きな壁が立つ。
その威厳ある佇まいに、ハツメの全身が一瞬にして強張った。
平常心を保とうと深く息を吸えば、喉があっという間に乾いていることに気付く。
「主は暇をお出しになったはずだが」
「どの面下げて離れられましょうか! 全員、戦に出ております。エンジュ様」
「……そうか。だが少なくともここは引け。俺が巻き込んでしまう」
少女が高い声を張り上げると、エンジュは無表情のまま彼女を見た。二人目が合えば、少女はぐっと唇を噛み、地を蹴った。
「またいつか、必ず馳せ参じます!」
少女が正階段前の広場を抜けていくと、エンジュは鞘から剣を抜く。
大剣と鞘が擦れ合えば、その鈍さを伴った音に周囲の空気がざわめいた。
剣を構えていたハツメの両脇から、即座にアサヒとシンが現れる。彼が来た様子は広場のどこからでも見えたようだ。
大将一人がいる違いで、広場に一段と重い圧がのし掛かる。
正階段を塞ぐように立ちはだかったエンジュが、一同を見やって静かに言い放った。
「ここを通すのは一人だけだ」
いつ相まみえても変わらなかった彼の無表情。
そこには今、わずかながらも挑発の色が宿っていた。
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