第百七十話 出兵前夜 一
錫ノ国の中枢はクロユリの崩御を隠す気もなかったらしい。
彼女の死は、出兵の前日に反乱軍にも伝わった。
各国の代表が集まり、ちょうど戦の配置についての最終確認をしているときだった。
四国会談の中で、都セイヨウへの侵攻は反乱軍と山ノ国が担うことになっている。
セイヨウと同じくらいの激戦が予想され、戦後も要所となるだろうシャラへは花ノ国が行くことになり、花ノ国はそれとは別に自身の国からもう一軍、海ノ国へ派軍することが決まっている。
セイヨウとシャラの地理について、軍事的な観点からいってこの場で最も詳しいのはアザミだ。
ミヅハが傍らに座る中。机に広い地図を広げながらアザミが淡々と説明しているときに、その知らせはきた。
「失礼します! その、第一夫人が……死んだそうです」
勢いよく入室した反乱軍の一兵士は、机を囲んでいた全員の視線を受けると緊張のせいか身体をやや引きながら、声をしぼませていった。
「死因は!」
「あくまで噂ですが……第一王子の側近が殺したとも」
カナトの問いに重々しく兵士が答える。
その報告に続こうとする言葉はなく、数秒の間が空いた後。
椅子の脚が床を蹴る音が、静寂を壊す。
「――アザミ。説明、続けてて」
顔を真っ青にしたミヅハはそれだけ言うと、部屋の外へと足を早める。取り繕う余裕もないのだろう、口を押さえ、慌ただしく少年は部屋から消えた。
「ミヅハ様!」
彼の後を追うように、ルリも駆けていく。
昼下がりから行われていた最終の軍議だが、結局この後、二人が戻ることはなかった。
その夜、アサヒとハツメはミヅハの元を訪ねることにした。
途中会ったアザミに聞けば、彼は裏庭に出ているということだった。
板敷きの廊下を歩けば、ぽつぽつと人と擦れ違う。互いに軽く礼を交わし、それぞれが戦前夜の静かな時間を過ごす中、屋外に出る。
夏の夜は明るい。星が出ていればなおさらだ。
裏庭に歩を進めれば、ルリがちょうどこちらへと歩いてくるところだった。
「ルリ。ミヅハは……」
「あちらに座っていらっしゃいますよ」
ルリが視線を移した先には、丘になっている庭先の地べたに座りこみ、湖畔を見下ろしている少年の後ろ姿があった。
「先に休んでいて欲しいと仰ったので、下がった方がいいかと思って」
彼女はたおやかに、それでも少し寂しそうに微笑んだ。
「お二人は声を掛けてもいいと思いますよ。むしろ、嬉しいのではないかと」
ではおやすみなさい、そう言って彼女は一礼すると、屋内へと下がっていった。
湖畔の周囲には野営を張った両国のかがり火が燃えていた。
集まった多数の赤い粒が淡い橙光となって、湖の一端を太く縁取るように輝いている。
そのほのかな光に照らされたミヅハの横顔は昼間とは異なり、落ち着いた表情をしていた。
ミヅハ、とハツメが声をかければ、彼はゆっくりと顔を上げた。
「隣座ってもいい?」
「うん」
素直に頷いた少年の隣にハツメが、さらに彼女の隣にアサヒが座る。
涼やかな夜闇の空気だったが、地面の方が冷たかった。少しだけ露を抱えた芝草が彼女らを受け止める。
「軍議、途中でいなくなって悪かったね」
「いや。俺ならもっと取り乱してた」
アサヒが労わるように言うと、ミヅハはふいと顔を背けた。
「嫌いだったし、戦を起こした張本人だから。死んで当然だし、覚悟はしてたけど……一応、親だからさ」
少年の目には目下で燃えるかがり火の明かりが映る。豊かな睫毛に縁取られた瞳が一度大きく揺らげば、彼はすっと瞼を伏せた。
「大丈夫。僕のことはいいや。……今頃火ノ神は何してるんだろうね」
そう言ってミヅハは再び目を開ける。海ノ神が戦の様子を知っていたように、火ノ神も今の国の状態を見ているはずだ。四神が何を考えているか分からないのは当たり前。それでも、自身の国が大きく揺らぐ今、何を思っているのかはハツメも気になっていた。
「火ノ神の気性って本当に激しいらしくてさ。はるか昔、国土が煤になった後で、火ノ神は大地を全て元通りにはしなかった。錫ノ国の東部が荒野だったのはそれが理由だし、特にシャラなんて酷かったらしいね」
「……それでカリンとかいう人はあんなに四神を嫌ってたのね」
「再び緑の恵みを受けた地もあるから、不平等だと思ったのかもしれない。根本的にシャラが貧しかった理由の一つには、火ノ神のむらのある性格があると思うよ」
凛々しい少年の目が、ハツメと、その隣のアサヒを向く。
「この国の信仰が失われたのと、火ノ神が見捨てたのと、どっちが先だったかなんてもう分からないけど。僕は錫ノ国の四神信仰、復活させたいんだよね」
人の明かりで橙に色付いた今宵の湖面を眺めながら。温かみを帯びた声でミヅハは続ける。
「いきなりなんて絶対変わらないし、無理矢理変えるものでもないんだろうけど。この大陸と四神は、切り離せるものでもないからさ」
「それに」と、ミヅハは笑う。
「国王になる僕が好きなんだから、国民も少しくらい四神のことを知ってもらわないと。得体の知れないものを好きな国王なんて、怖いでしょ?」
そう話す少年の口調には優しさと、少しだけ彼の父親への皮肉が込められていた。
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