第十七話 国境戦 一
昨晩は雨が降った。
雨音で起こされたハツメは天候が荒れるのではないか気が気でなかったが、日が昇る前には雨は止み、今は厚みのある雲が空を覆っている。
まだ辺りが薄暗い頃から、山ノ国は国境門を背に布陣を完成させていた。
国境門から森に至るまでは木々が低く、主に岩が剥き出しの状態になっている。戦場全体の標高差はあるが視界は良好で、山ノ国の中では合戦にはまだ向いた地形なのだそうだ。ただ昨晩の雨によって所々水溜りができ、岩場が濡れている。足を滑らせないよう注意が必要だ。
ビャクシンや近衛の神官は国境門に本陣を構え、戦場全体を見下ろしている。
国境門から見下ろして先陣を切るのがヒザクラの隊、そのやや右手後方にトウヤの隊、他にも数多くの隊が定位置に控えている。
ハツメたち三人はトウヤの隊の一番近く、布陣の中では国境門に近い方だ。
錫ノ国の軍が今日現れるのは間違いない。ハツメは実際の戦場を想像しながら、今か今かと待っていた。
けたたましい鐘の音が聞こえて間もなく、錫ノ兵が森の中から進軍してきた。横一列にじりじりと迫ってくる。
濃赤の外套を着て、大剣を携えるそれは、谷ノ国を攻めたときと同じものだ。
荒々しい声、地面を踏み鳴らす音と共に戦は始まった。
戦が始まりしばらく経ったにも関わらず、ハツメはまだ一人も倒せていなかった。
技量が足りないとか度胸が足りないとかではない。正直なところ、相手が来ないのだ。
トウヤはアサヒのことを規格外と言っていたが、ハツメからするとトウヤもシンも規格外だった。
トウヤは周りの状況を把握するのが上手い。自分の相手を倒しつつ、手薄な味方の援護もする。剣と弓を持ち替えながら、戦場を舞うように戦っている。
シンは大剣を用いて周囲の敵を一心不乱に薙ぎ払う。自分の腕の一部のように自在に剣を振るうその様子は、長年の鍛錬の積み重ねを感じさせた。
訓練のときは分からなかったが、実戦になると肌で伝わる。いずれにしても、雑兵では二人に敵うはずもなかった。
もちろんアサヒも善戦している。偶に前線を抜けて出てくる兵士を器用に倒す。
ハツメもアサヒに付かず離れずの距離で戦おうとするが、さぁ来るか、と思うと誰かに倒されていく。
「仕事がない……動き方が悪いのかな」
もう少し前に出た方が良いだろうか。
そう思い一歩踏み出したとき、前線から外れた錫ノ国の兵士が右方より迫ってきた。相手は追い詰められているのだろう、冷静さはなく真っ直ぐハツメに襲いかかる。
「大丈夫、訓練通り、大丈夫!」
ハツメは自分に言い聞かせ剣を構える。
地面をしっかり踏みしめ、大きく剣を振り上げた相手の懐目掛けて、一気に距離を詰める。
「うぐっ……」
ハツメの剣は相手の腹部を貫いていた。
剣を強く握りしめ引き抜くと、相手はどしゃりと音を立てて地面に崩れ落ちた。
大丈夫だ。生きるためだ。
「ああああああ!」
頭に浮かぶ雑念を吹き飛ばす。
ここは戦場だ。気持ちを切らしてはいけない。
辺りを見渡すと、周囲の敵は殆ど倒されていた。山ノ国が押している。
それにしても、錫ノ国の前方で戦う雑兵はともかく、後方の兵は何をしているのだろうか。兵数の割に押しが足りないように感じる。
遠方を確認するため岩場を一段登ると、一瞬だけ足場が揺れたような気がした。自分か? と思ったが感覚は正常だ。近くの水溜りを見る。
水面がゆらり、と揺れている。
風による揺れではない。
不自然に感じた。
「アサヒ!」
ハツメは急ぎアサヒに駆け寄る。
アサヒは周囲にいた最後の相手を斜めに薙いだところだった。
「どうしたハツメ」
呼吸は荒い。
「地面が不自然に揺れてる」
その言葉にアサヒは目を見開くと、すぐさま身体を地面に伏せ片耳をつける。
「地下……か?」
ハツメはこくりと頷いた。
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