第百六十六話 四国会談 一
ハツメたちが谷沿いの別荘から戻った翌日。
花ノ国と山ノ国が声明を出した。
各々の内容を端的に言うと、『錫ノ国の次王には第三王子を推す。第一王子は今後軍政の一切に手を出さないと誓約すること。海ノ国の返還も含めて、先の他国への戦に対する賠償を提供すること』といった具合で、主に錫ノ国への要求だった。
今の錫ノ国の中枢がこれを認めない場合は、武力行使も辞さないという文言も足されていた。
これにより二国の立場が明確になり、第一王子と、反乱軍及び二国の争いという構図がはっきりと公に知らされるところとなった。
それから一日。たった一晩で、錫ノ国の中枢は第一王子のイチルを即位させる旨を発表する。
二国の声明を無視し、世界と真っ向から対立する形を選んだのだ。
それを受け、花ノ国と山ノ国は動き出す。それぞれ兵を引き連れ、彼らは錫ノ国との国境を越える。
小さな衝突もありながら拠点を築きつつ、彼らが目指したのは反乱軍の本拠地。
先に着いたのは、花ノ国だった。
花ノ国の軍衣である淡青色の衣にゆったりした白の袴。それを纏った兵たちが湖近くの平地に次々と到着し、荷を下ろしている。
アサヒたちは到着直後でざわつく彼らの中を縫うようにして歩く。
前方が開けると、佇んでいたのは見知った人物。
「久しいな」
そう言ってアサヒたちに顔を向けるのはヒメユキだ。軍衣とは違う文官姿の彼が懐かしそうに猫目を細める。
「花ノ国では世話になった。草原で足止めしてくれたこと、ずっと礼を言いたかった」
「さて、何のことだか」
アサヒが頭を下げると、彼は素知らぬふりで視線を逸らした。内密に『猫』を動かしたのだから知らない振りが正解なのだが、その口元はやんわりとした笑みを湛えていた。
「私はあのときもしっかり顔を出したんだから、お礼を言ってくれてもいいのよ?」
彼の脇からふわりと、華のような美女が姿を現す。
「ミヤ」
「ふふ、お久しぶり」
ミヤは首を傾けながら、茶目っ気を含ませて笑う。艶やかな容姿は健在で、真っ直ぐ下ろした黒髪が鎖骨を撫でるように滑り落ちる。彼女もまた文官服だ。やや着崩していることに関しては、ヒメユキは目をつぶっているのだろうか。
「ハツメちゃん。これね、女皇様からのお届けもの」
「レイランから……?」
ハツメはミヤから一通の書簡を受け取る。薄紅色の百日紅が押された白の封筒は上品ながら可愛く、彼女らしいなと思った。
「私信だ。連れてくるわけにはいかないからな。手紙で我慢させたのだが、それでも難儀した」
ヒメユキがやや遠い目で、湖畔の向こうを見る。
***
「兄者の馬鹿者ー!」
その頃の花ノ国では。
小さな手でぽかぽかと前方を叩くレイランが、同行できなかったことへの不満を漏らしていた。
「しょうがないじゃない。敵国なんて行くものじゃないよ」
少女に背を叩かれながら、のんびりした口調でキキョウが話す。座りっぱなしで凝り固まった筋がほぐれる程度のかわいい力に、彼は目を細める。
「それよりも小生たち……じゃない、レイランくんの仕事は戦の後にやってくるんだから。準備しないと」
書物を抱えて立っている彼がレイランに説くと、彼の背後の少女はますます口を尖らせた。
「分かっておる! おのれ、ハツメに会いたいのじゃー!」
「ぐ……ちょっとレイランくん、襟引っ張らないで。首が締まる……」
***
「大切に読みます。全部終わったら、返事を……ううん、直接会いに行きます」
ハツメが友人の兄に微笑むと、彼もまた柔らかく笑った。
その日の夕刻には、山ノ国が到着した。
茜色に色付いた道を来たるは国を代表する神官たち。正面門まで挨拶にきた懐かしい面々に、アサヒたちの頬が自然と緩む。
そんな中、するりと前に出たのはトウヤだった。
「白袴はどうした、ヒザクラ」
「お前のいるところで履けるかよ」
ヒザクラの格好は周囲と全く同じ神官服。白衣に藤色の袴、さらにその上に白の狩衣といった形をかっちり着こなして彼が笑う。整った短髪がよく似合う、爽やかな微笑だった。
「おや。まだ俺の籍があったとは驚きなのだが」
「勘弁してくれ。お前がいなかったら誰が神伯やるんだ」
とぼけた声音で話すトウヤに、ヒザクラは途端に顔をしかめる。
それから数瞬。
無言のまま視線を交わしていた彼らだったが、ぱっと花咲くように、同時に顔を綻ばせた。
「久しいなヒザクラ! 皆は息災か」
「ああ! お前の方は……色々あったろうな」
「うむ。積もる話は今晩話してやろう。手巾を用意しておけ。涙なしでは聞けぬぞ」
「笑えねぇぞ、それ」
苦々しく言うヒザクラだが、やはり嬉しさを隠しきれないようだ。こぼれるように頬が緩んでいる。
上機嫌に笑うトウヤはそんな友人の肩に手を回し、そのまま玄関へと誘っていく。
二人の後を追うようにユキコとフユコが門をくぐり、ハツメに駆け寄る。
こちらもまた、女子同士の再会だ。
夕日の温かい色が、熱が、穏やかなひと時をつくる。
トウヤは彼独特の歌うような抑揚で言葉を紡ぎつつ、友人との再会を喜んでいた。
誰も言及はしなかったが、彼の明朗な笑い声が一帯に響くのは久しぶりだった。
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