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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百六十四話 火ノ神と天鏡

 湖から離れるようにして旧街道を下っていくと、途中で左方への分岐点がある。

 そこで旧街道を逸れて再び山を登ると見えるのが、もう一つの別荘群。

 別荘群のすぐ側には焦げ茶色の岩肌が剥き出しになった浅い谷があり、数筋の白煙が青空へとたなびいていた。


「本当、よくあんな大勢の中で生活できるよね」


 視線の遠く、大小の岩が転がる谷底を見下ろしながら少年は言う。


 反乱軍に合流してから数日経った今朝。

 ミヅハがアサヒたちの前で「こんな生活には耐えられないんだけど!」と言いだした。そこらの宿よりは上質の物が揃っているはずだが、ミヅハが欲しいのはそれではないらしい。とはいえ出て行くようなことが許されるはずもなく、叱るかなだめるかも含めて悩み始めた一行の前に現れたのが、カナトだった。


「もう一個の別荘の鍵をやるから、一日だけでも行ってきたらどうだ」


 頓着なくそう言った彼のお陰で、彼らは今カナト所有のもう一つの別荘へと向かっている。無論やらねばならぬことは山積みで、様々な道具は持ち込んだ上。

 それでも許しが出ること自体不思議なのだが、カナトの場合、おそらく一度身内に入れた者には全員に対してこうなのだろうな、とアサヒは思った。悪く言えば独善的なのだが、面倒見はいいのだ。嫌味がない分振り回されても嫌いにはなれないし、シグレをはじめとした周囲から慕われているのも頷けた。


「あんな生活と言っても、宿や野宿よりはましだろう。今までどうしてたんだ」


「最近は宿ばかりだったけど、シラズメを出てからは野宿が続いたね。気持ち悪かったけど、それは物理的なものだから」


 前方のアサヒが振り向けば、ミヅハは普通の口調で返す。


「僕が一番嫌なのは過剰に気を遣われることなんだよ。何もさせてもらえなくなりそうで、居心地悪い」


 少年は目線を下げてぽつりと言うと、やや駆けるようにして数歩進んだ。隣り合って歩いていたアサヒとハツメに追い付くと、彼は二人の間に割入るようにして並ぶ。


「山道で走ると転ぶぞ」


「兄貴面するんじゃないよ」


 アサヒをじろりと見上げたミヅハだったが、二人の間にわざわざ来たのは大きな声では言いたくない話があるからのようだ。彼はすぐに表情から険をなくすと、話を切り出した。


「悪かったね。天鏡(あまのかがみ)に関して何も言わなくて」


「やっぱり知ってたの」


「あくまで憶測だったけどね。僕も第二夫人には会ったことなかったし、会っても気付けるわけじゃないし」


 海ノ国で話したときからミヅハは天鏡(あまのかがみ)について何か知っているようだった。それでも何も言わなかったのは、それに関してこそがミヅハの切り札だったからだ。花ノ国に書簡を出すまで彼はぎりぎりまで何もせず、あくまで中立の立場だった。それも我慢強い選択だっただろうと、ハツメは思う。


神宝(かんだから)を持っていった四神の話さ、最後までしてなかったよね」


「火ノ神の話だけ聞いてなかったわ」


「ごめん、あれわざとだったんだ。それで……谷の地に残った火ノ神の話なんだけど」


 本題はそれらしかった。ミヅハはゆっくりと山道を歩みながら、ハツメの目を見て続ける。


「火ノ神は残された地で三柱を想い続けたんだ、最初のうちは。でも辛くて、自分を置いていった三柱は自分を悪く思ってるんじゃないか、そういう猜疑心が強くなって、自分の吐息から天鏡(あまのかがみ)を造った」


「だから天鏡(あまのかがみ)は人の悪意を映すのね」


「そう。邪を見通す力なんだ。第二夫人やヒダカの異能も似ていたようだったから、僕は天鏡(あまのかがみ)は第二夫人そのものか、その身の中にあると考えてた」


 そう言ってミヅハはちらりとアサヒを見上げた。

 アサヒもまた少年の瞳を覗き、視線を交わす。


 豊かな睫毛に縁取られた彼の目は尖ってはいない。四神信仰に対する好奇心を見せるわけでもなく、今の彼の気持ちを言葉にするなら、同情が最も当てはまるような気がした。


「いずれにしても天鏡(あまのかがみ)の在り処は、寂しがりの火ノ神らしいよ。結局、みんな第二夫人に引き寄せられたんだから」


「――じゃあ、肝心の火ノ神ってどこにいると思う?」


 火ノ神も最後は他の三柱と同様に谷ノ地から出ていったのだ。その後に火ノ国を興したのは気まぐれか、他の三柱の真似をしたのか。天鏡(あまのかがみ)を人の身に入れて、自身は何をしているのだろうか。


「火ノ神の居場所は……都の地中。それも宮殿の」


 ハツメの問いに、ミヅハは思案もせずにきっぱりと答えた。


「やっぱり地中なんだ」


 ハツメはこれまでの神宝(かんだから)の在り処や四神のいた場所を振り返っていた。海ノ神は海だったが、いずれにしても地上よりも下なのだ。どの神宝(かんだから)も、どの神も。


「宮殿が建てられた台地の地下にははるか昔、人が住んでいたんじゃないかな。時代が経つにつれ地上で生活するようになったんだと思う」


「花ノ国の御所にも大きな地下洞が広がってたわ」


「うん。きっと昔はそこにも人が住んでた」


 ハツメの言葉にミヅハは頷く。

 谷ノ民やハクジの民の住居が地中にあったのは、彼らが先住民族で、伝統を守っていたからだ。他にも先住民族がいたとすれば、その二例に違わず住居はおそらく地下だろう。


「人間は地中から出て生活するようになったけど、四神はまだ残ってる。宮殿の地下だと思うのは宮殿の東の庭園に小さな祠があるから」


「東の庭園に祠……」


「運良く残ってるのは火ノ神への畏怖でもなく、惰性だろうけど。僕が四神信仰に興味をもったきっかけだよ」


 ミヅハとそうこう話している間に、目的地の別荘群に近付いていた。先程までは遠くにあった白煙が近い。

 よく考えていなかったが、白煙が上がっているということはこの辺りは活火山なのだ。錫ノ国は活火山が多いと誰かが言っていたのを、ハツメは思い出す。


「でもどうして火ノ神の居場所なんて聞くの? 神宝(かんだから)は全部集まったよね?」


 彼女に軽く首を傾けたミヅハの目は、聡い光を帯びていた。

 ミヅハとアサヒになら、今話してもいいか。そう考えて、ハツメは口を開いた。

お読み頂きありがとうございます。

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