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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百六十話 王の資格 一

 突然のミヅハの来訪は、反乱軍の間に波紋を呼んだ。

 青葉を揺する強い風が吹く日、突如として本拠地が騒がしくなる。


「ヒダカ王子」


 部屋の木戸が勢いよく開け放たれると、それを追うように廊下の喧騒が聞こえてくる。伝令係を兼ねるシグレが、焦ったようにアサヒの元へと走り寄る。


「何かあったのか」


 一番最初に口を開いたのはアサヒの側にいたカナトだった。


「突然現れた第三王子が、ヒダカ王子を呼んでおります」


 武官らしく背筋を伸ばし、カナト、そしてアサヒの方を見て彼は言う。口調ははっきりしているが、戸惑いの表情は隠せないようだ。


「呼んでいる?」


「正面門です。曰く、自分は通される側の人間じゃないと」


 訝しげなカナトの問いにシグレが答えると、彼の話をじっと聞いていたアサヒが軽く息を吐いた。


「……本人だろうな」


 ミヅハの忠告を無視する形で反乱軍の将になったのだから、何かしらあるとは思っていた。こちらに敵対して、イチルの側に付くかもしれないとも。

 だが直接会いに来るというミヅハの動きは、アサヒの予想外だった。


 重い腰を上げる、とは言ってられない。どのような形であれ異母弟(おとうと)とも決着を付けなければならなかった。アサヒはすっくと立ち上がると、ハツメやカナトたちと共に正面門に向かった。



 広い玄関を出て前庭も抜けると、正面門の周辺には人が集まっていた。

 アサヒたちが現れたことで波のように人垣が割れる。

 そうしてあらわになったのは、こちらを忌々しげに睨みつけるミヅハ。そして彼の後ろには顔を引き締めたルリと、無表情のアザミが控えていた。


「お前が上に立つのは許さないって言っただろ」


 アサヒと顔を突き合わせて早々、ミヅハは顎を上げて冷たく言い放った。

 その刺々しい視線、威圧的な態度に周囲がざわざわと囁き出す。


 雰囲気が先王にそっくりだの、やはり菊葉紋の嫡子を連れているだの、その言葉は様々だった。


 カナトと話しているときは感じなかったが、軍閥の対立の根というのは深いものらしい。人垣をつくる一人が、「王子はともかく、キダチの息子は殺すべきだ」と言うと、ぴり、と場に殺気が走る。数人が剣の柄に手を掛けたのを横目で見て、アザミが言った。


「だからぼくを連れてきたら余計拗れますよって言ったんですよ、ミヅハ様」


 周囲の殺気も意に介さない様子なのは戦う気がないからか、それとも初手を取られても余裕だという気持ちの表れか。


「じゃあ何? 僕は護衛の一人も連れずにここに来るべきだったわけ? 第一、来たかったのはお前も一緒だろ」


 ミヅハがアザミにも一睨みすると、睨まれたアザミは苦々しい顔をつくる。それに合わせて、彼の右頬に広がる暗紫色の痣がひくりと歪んだ。


「皆、柄から手を離せ」


 落ち着いた言葉。発されたのはアサヒの口からだった。


「しかし……」


「大丈夫だ。争うつもりならルリは連れてこない。そうだろう、ミヅハ」


「結論から言うとそうだね」


 ミヅハは険しい顔のままアサヒに視線を戻し、淡々と返す。


「場所を変えた方がいいか」


「いや。せっかくだから人が揃っているここで言わせてもらうよ」


 自身を取り巻く警戒心や敵対心。それに対し少年は微塵も臆することなく、周囲にも聞こえる声ではっきりと言い放った。


「ヒダカ。お前にこの国を継ぐ資格はない」


 ざわり。周囲に再び動揺が走る。


 当人であるアサヒは顔色を変えなかった。シンやトウヤも口を結び、ハツメも複雑そうにミヅハを見るだけだ。彼らには、ミヅハの言いたいことが分かっていた。


「……当然、血筋のことじゃないんだろうな」


「そう、血筋なんかじゃない」


「待て! だったら何だと言うんだ」


 カナトが声を張る。彼らが探していたのは反乱に掲げられる次王の存在だ。錫ノ国でいえば、国民に認められる次王の資格とはまさに血筋のこと。カナトや反乱軍の人間に疑問が生じるのも無理はなかった。


 カナトの言葉を受け、ミヅハの表情が今まで以上に険しくなる。溜めていた苛立ちを全てぶつけるように、少年は荒々しく叫ぶ。


「ヒダカは! こいつは、錫ノ(この)国のことなんかちっとも考えてないからさ!」


少年の真っ直ぐな怒りは辺り一帯に響き渡る。


「お前らだって国民なんだから分かるだろ! この国に対して愛どころか情すらないこいつが! 義務感だけでこの国を治められると思うなよ! ……王族を、僕たちを舐めるな!」


 周囲の人間がしん、と静まる中。

 彼の叫びに呼応するかのように木々がざわめく。豊かに葉を茂らせた枝が強風にあおられ、青葉が飛んでいく。


 一気に言葉を紡いだミヅハが、は、と刺々しい目付きで短く息を吐いた。


 そんな彼に対し、アサヒは静かに一歩を踏み出す。はたから見ると冷静な様子だが、彼の目は誠実に異母弟(おとうと)を見つめていた。


「だがこうするしか方法がなかったのも分かるだろう。俺を含む、ここにいる全員が」


「……分かってるよ、そんなこと。でも認められないんだ、お前じゃ」


 ミヅハも視線は逸らさない。先ほどより声量は小さく落ち着いているが、その瞳には確固たる意志を映し出していた。


「ヒダカがこの国を継ぐのは許せない。――だから。反乱軍が掲げる次王は僕にしろ」


 彼の声は限りなく明瞭に、威厳すら感じさせる響きで人々の耳に届いた。


 誰が見ても分かる。


 少年のこの想いは、もはや自分しかいないなどという悲壮な決意ではなく。

 この国の未来を見据えた上で自ら選んだ、気高く勇ましい決意だった。

お読み頂きありがとうございます。

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