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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百五十八話 熱誠

 アカネの弔いはごく少ない人数で、密やかに、静かに行われた。

 白く円い日が輝く晴天の空の下、湖を一望できる丘の一角にて。

 彼女の火葬が終わった後も、香木の焼ける匂いが辺りを包む。


 火床(ひどこ)から天高く登っていく白煙を、シンは最後まで見ていた。穏やかにたなびいていた煙が初夏の暖かい空気に溶け込むほどに薄くなると、静かに踵を返す。


「アサヒ様」


 彼は背後で佇んでいたアサヒに正面を向ける。永久に忠誠を誓った主の形見であり、彼自身が選んだもう一人の主。


「ありがとうございました」


 何も言わず実直な瞳で自分を見上げる少年に、シンは頭を下げた。


「当然もっと早くに弔われるべきだったとは思います。私も最後にアカネ様と別れたときは、もう二度と顔を合わせることはないものと覚悟しておりました。……ですが、こうして再び拝顔することが叶い、別れを告げるお時間を頂き……なんと言ったらいいのか、不適切な言葉かもしれませんが……よかったと思います」


 新緑に包まれた丘の上に風が吹けば、さわさわと草木が泣き揺れる。

 水色の空の下。黒衣に身を包んだ二人の間に、新しい時間が流れ出す。


「シンが。誰でもないシンがそう言ってくれるなら良かった」


 シンが顔を上げれば、アサヒは眉を下げて微笑んでいた。


「言うのが遅れたが、よく戻ってくれた。ありがとう、シン」


「……必ず戻れとの主命でありましたが、何より、私自身がもう一度アサヒ様の元に戻りたかったのです。――アサヒ様」


 初夏の日が天に輝き、湖に、丘に、二人に、火床に、あらゆるものに等しく光を注ぐ中。

 シンもまた、柔らかく目を細める。


「ただいま戻りました」





 同日の昼下がり。


 アサヒとハツメは二人で湖のほとりに来ていた。


 反乱軍の本拠地となっている別荘地は相変わらず閑散としている。実際は閑散とさせているという言い方が正解なのかもしれないが、いずれにしても人がいない分、自然の存在感というものは増していた。

 なにより、彼にとってはハツメが戻ってきたのだ。ここはこんなに綺麗な場所だったのかと、素直に感じた。

 彼の見る風景に、再び色が芽生え始めていた。


 二人並んで水際の地面に座り込む。

 周囲の木々から広がる枝葉が二人の頭上に影をつくる。ゆるく編まれた織物のような隙間から暖かな日の光がこぼれ、鮮やかな青を呈する水面には数枚の葉がゆらゆらとたゆたう、静謐なひととき。


 じきにアサヒが口を開いた。


「ハツメ。全てが片付いても、俺は錫ノ国(ここ)に残るよ。誰かが国を立たせなくてはいけないんだ」


 そのつもりで反乱軍の将になったのだと、アサヒは言う。


 再会したときから、彼の覚悟はハツメにも伝わっていた。

 先の戦場で、今この地で、彼女の目に入る深緑色は痛いくらいに綺麗だった。


 アサヒは心に決めていたような、凪いだ口調で続ける。


「でもハツメにとって、ここは生きにくいだろう。だから、谷ノ国でなくても例えば――」


「アサヒのいないところより生きにくい場所なんてないわ」


 アサヒが全てを言葉にする前に、ハツメはそれを遮った。


 珠のような黒目を艶めかせて、ハツメはアサヒを見据える。

 ハツメが自身の気持ちに気付いたときから、その想いは何ら変わっていない。

 彼女もまた深い覚悟でもって、言葉を紡ぐ。ありのままの、素直な心を。


「私は何よりもアサヒを選びたい。今までもそうだったように、これからもアサヒの隣にいさせて欲しい。好きなの、アサヒのこと。……家族とかの好きじゃなくて、恋人の方よ」


 ハツメの真摯な表情に、アサヒは切なそうに顔を歪めた。彼の涼やかな目が潤みを纏う。


「そんなこと言われたら、もう手離せなくなる」


「そうして欲しいの」


 ハツメが一層決意を込めた瞳でアサヒを見て微笑むと、彼の身の内に熱が宿った。


 前にハツメが見た朝の陽ではない。

 今のアサヒは天に高々と輝く太陽を彷彿とさせる。熱く激しく燃え盛る、活火のようだった。


 アサヒがその情念を太陽の如く燃やすなら。

 その身を焦がしても良いと、ハツメは目を閉じた。


 アサヒの白い手が、ハツメの桃色の頬に添えられる。

 薄っすらと色付いた彼女の唇の端を、彼の親指は恐る恐る撫でる。




 一瞬だけ、彼女の唇に何かが触れた。


 淡い熱をもったそれは一度離れると、今度は強く、吐息まで食べ尽くすかのように、何度も口を塞ぐ。




 アサヒはこれまで秘めてきた情念を、咬みつくようにハツメに注ぎ続けた。


 じきに押し倒され、大地に背を付けた後も。

 ハツメは晴れ渡る心で、彼から注がれる熱誠を受け入れていた。

お読み頂きありがとうございます。

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