第百五十七話 古城戦 終
黒に艶めく螺旋階段を登りきったシンは、出迎えたアサヒと共に古城最上階の部屋に入った。
「じきにトウヤがくる。母上を抱えてくれるか」
「かしこまりました」
アサヒの言葉にシンは部屋の中央に置かれた銀製の寝台に目を移す。そこに綺麗な姿で寝かせられたアカネを見ると、彼は複雑そうに眉を寄せた。彼がアカネを見るのは彼女の生前、危篤中にアサヒを頼まれた今生の別れ以来だった。
「アサヒ様。先程の光は……」
「天鏡は、母上の身の内にあったんだ」
「――そうでしたか」
その一言で主の異能の力の正体も分かったシンは、一度静かに目を伏せた。彼はすぐさま目を開けると、両腕で至極丁寧にアカネを抱える。
病で痩せ細ったまま亡くなった主の身体。力が抜けきった人間の身体は重いものだが、シンには抱きかかえた主が軽いのか重いのか分からなかった。ただ、そこに身体はしっかりと残されていて、硬く冷たかった。
「アサヒ! トウヤが来たわ」
窓際から塔下を覗いていたハツメが声を張る。
ハツメとアサヒ、そしてアカネを抱えたシンが脱出のために窓辺に寄ったとき。
「ヒダカ!」
イチルとカリンが部屋に飛び込んできた。
「シン! 先に母上と降りてくれ!」
アサヒはイチルを見ながらそう叫ぶと、剣を抜く。両腕が塞がっているシンだったが、当然躊躇した。
一方のイチルは抱えられたアカネの姿をその目に収めると、遠くを見るように瞼を下げる。何かに想いを馳せるような目だったが、それも一瞬。誰も気付かないような刹那の後、彼は他の三人に視線を移す。
先ほど神宝の光を見たのだろう。ハツメの手の天鏡を見つけると、イチルは落ち着いた口調で言った。
「知っていたの? そこに天鏡があると」
「いや」
アサヒは即座に否定する。
「俺は最初から母上を弔いたかっただけだ。……もしかしたら母上が、俺とハツメを導いて下さったのかもしれないが」
アサヒのその言葉を聞くと、イチルは口元に自身の指先を添え、小さく笑みをこぼした。
「ふふっ……何それ。親を弔いたいなど、私には理解できないな。……今しがた父親を殺してきた私には」
可笑しげな様子で金色の髪を揺らしたイチルだったが、すぐにアサヒをじっと見つめ直す。その瞳は熱っぽく、光を帯びて。
「本当に、ヒダカは優しい子に育ったんだね。優しすぎて眩しいくらいだ。欠陥品の私なんかじゃ目が焼けてしまいそう……それでもいいような気がするけど、兄はやっぱり、弟を守る存在でないと。ヒダカは私を必要としてくれるよね?」
言葉通り眩しいものを見るように、それでもその存在を焼き付けるように、彼の焦茶色の瞳はアサヒを映す。
「その優しさ、全部私のものにしたい」
そう言ってイチルは前に出た。
カリンも主に合わせるように踏み出し、抜き身の剣身を一つ振る。
「降りるぞ! シン!」
アサヒが強い目でシンを見れば、シンはきつく口を引き結び、窓を飛び出した。
中々の時間、宙を落ちる。
アカネを抱えた彼が降りた先は――川岸に着けられた小舟の上。
「久しいな、シン」
そう言って笑いながらシンを迎えたのはトウヤだった。
古城に入る直前にアサヒに頼まれたトウヤは、脱出用にこの小舟を見つけ出し、城のすぐ裏手を走るこの川で彼らの回収を図っていた。
立地こそ下調べはしていたものの、アカネの居場所は会話の時点では分からなかった。城の全景を見て居場所に検討を付けたことはもちろん、自分を別行動にさせて回収役に回すとは。アサヒは胆力が付いたな、とトウヤは思う。回収役こそ信頼の証なのだから、嬉しいことこの上ないのだが。
トウヤは上に向け、ぐっと弓を引いた。
「行こうハツメ!」
「ええ!」
シンがアカネを抱えて降りた後、二人は同時に窓枠に足を掛ける。
背後にはすぐそこにイチルが迫っていた。
アサヒはハツメの細い腰を片腕で抱くと、ぐっと足に力を入れた。
「待って! ヒダカ――」
焦ったようにイチルが手を伸ばす。
本当に焦っていた。
咄嗟に、掴めない方の右腕を出してしまう程に。
アサヒまであとほんの少し、指先が掠るような距離だった。
ぐぐ、と押し付けられるような強張りと痛みにイチルがその美貌を歪める。
痛みに苦しむ異母兄の顔をアサヒは一瞬だけ見やりながら、ハツメと共に塔下の川、小舟の上へと飛び降りた。
即座にイチルが窓から上半身を出したが、その瞬間を狙ったように放たれたのは、風を裂く一筋の矢。川の独特の気流を読んだ上で放たれた矢筋は真っ直ぐにイチルへ向かう。
「イチル様!」
同じく身を乗り出したカリンが、主の横で矢を弾き落とす。
彼女もまた塔下に目を凝らせば、舟上のトウヤが次の矢を引こうと手をかけていた。
その間に舟は岸を離れる。飛沫を上げる急流に乗り、青緑の川を下っていく。
互いの姿が見えなくなるまでのわずかな間。
異母兄弟は別々の想いを胸に、静かに視線を交わしていた。
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