第百五十六話 武王の最期
錫ノ国の国王は代々武に秀でているといわれるが、そんな中でもコウエンは特別だった。
軍の統率力においても彼は凄まじい才を発揮したが、何より優れていたのは個の力。その戦場を駆ける姿から母国からは武王、他国からは化物として怖れられた彼だったが、肩を並べる者はおろか、どんな剣達者だろうと彼の足元にも及ばなかった。
その才は三人の息子のうちの二人――イチルとアサヒに確かに受け継がれているが、いずれにしても三十年前、大陸最強は彼だった。
そんなコウエンの身体から鮮血が滴る。
「……やはりアカネがお前を側近にしようとしたときに殺しておくべきだったな」
眼前の青年を睨むコウエンは利き腕と脇腹に斬撃を浴びていた。
対するシンは無傷のまま、真剣な表情を一切崩さずに再び剣を構える。
二人の優劣を決めたのは何だったのか。山ノ国のビャクシンと同様、コウエンの力も著しく衰えたわけではない。だが今、ここでの強者はシン。理由を探すとすればそれは時代なのかもしれないし、シンの中の何かにあるのかもしれなかった。
「アカネは渡さぬ。貴様らにも、四神にも」
傷を負いながら、まだシンへと向かうコウエン。四神信仰でいうならば、彼女の魂は弔ったときに海ノ神の元へと流れていく。神にすら彼女を渡さないという彼の想いの強さだけは、シンにも感じ取ることができた。
そうして再び刃が交わったと同時。
二人の頭上を柔らかい光が覆う。両者が思わず天を見上げれば、塔の最上階、アカネの置かれた部屋から光が溢れていた。
こぼれた光が漆黒の空間に降り注いだのは、わずかな間。
じきに光が収まると、今度は赤く細かな光の粒が舞い落ちてくる。
自然では起こりえない現象に、二人は神宝が使われたのだと察した。
だがこの赤い色は火ノ神の貴色。
最上階を見上げたままのコウエンが震える唇を動かす。
「神宝……だがなぜ火ノ神の色なのだ。そうすると、天鏡は……」
彼がよろ、と体勢を崩し、シンから数歩後ずさったときだった。
最上階の部屋からアサヒが顔を出した。
「シン! ここを離れるぞ! 来い!」
主の呼ぶ言葉にシンは螺旋階段へと身を翻す。階段に足をかけた際にコウエンを一瞥すると、彼は衝撃を受けた表情のまま固まっていた。
眼前の男の気持ちは、シンにも分からなくはなかった。
上で天鏡が使われたとなれば、状況からしてアカネが関係していたに違いない。
神宝を使ってまで生き返らせたかった女性のすぐそこに、当の神宝があったのだ。ずっと探していた天鏡が既に自身の手にあったと知れば、誰でも愕くだろう。
放心しているコウエンを背に、シンはアサヒとハツメ、そしてアカネの待つ最上階へと登りだした。
シンが上に向かった後、すぐにコウエンは我に帰る。
「……アカネは無事なのか」
そう小さく呟き、自身も上へ向かおうと足を踏み出した瞬間。
コウエンの横で鋭い一閃が放たれた。
彼は紙一重で、自身へ向けられた刃を受け止める。
「ヒダカの元へは行かせませんよ、父様」
迷いなくコウエンに肉薄し、剣を振りかざした人物は彼の息子、イチルだった。
「なんだ。父に手を上げるようには躾けなかったはずだが」
イチルの剣身を自身の剣で弾き返しながら、コウエンが苛立たしげに吐き捨てる。
焦る父親とは反対に、イチルは穏やかな表情だった。
「父様がヒダカをどうこうするのは許せない」
武王の長子。幼い頃こそ病弱だったものの、身体が成長し一度武才が開花すれば、その才は父をも凌ぐと言われた男。イチルが本気を出せば、手負いの父を上回ることなど容易だった。
数度刃を交わした後、コウエンはイチルによって腹を斬られる。
その深い刀傷にコウエンは剣を落とすと、ゆっくりと後退した。彼は背後の壁に背中を預けると、長く息を吐く。
剣を握り直したイチルがコウエンに歩み寄る。
「私は父様のことが嫌いではないのですよ。辛かったでしょう、第二夫人を失って。私もヒダカがいなくなって苦しかった。耐えられないと思った。でもヒダカが生きていると知ったら……もっと耐えられないのです」
コウエンの血が落ちた漆黒の床をぴちゃり、と踏みしめて、イチルは父の顔を覗き込んだ。
「再びあの光が差した以上、私は一生追い縋る。父様も第二夫人が生き返ると信じる以上、一生追い求めるでしょう。それは辛いと思うのです。だから、こんな貴方でも父と思う息子からの親孝行として、今楽にしてさしあげます」
コウエンがイチルに対し誤算があったとすれば、それはヒダカへの執着。
山ノ国で再会するまでイチルはその想いをひた隠しにしていた。世話係に共通点があったとしても、個人の趣味と取られるような程度に。
「またヒダカか。……ヒダカと何があった」
自身を訝しげに見る父親に、イチルはくすりと甘い笑みを浮かべる。
「もう知る必要もないでしょう。ああ、でも。……父様も、アカネちゃんの全ての時間を知っているわけではないのですね」
彼はそう言い放つと、躊躇せず、コウエンの胸に刃を突き立てた。
『アカネちゃん』
その言葉を聞いた父親の最期の顔に、イチルは小さく肩を震わせた。
「ふ……ふふっ。今の父様の顔、見た? カリンちゃん」
イチルが可笑しそうに振り向けば、塔の入口の辺りでカリンがじっと控えていた。
ただ目を伏せ小さく頭を下げた彼女に構わず、イチルは独り言のように続ける。
「少し意地悪だったかな。でも私のヒダカに手を出そうとしたんだし、仕返しにしては軽いものだよね?」
早くヒダカの元に行こうか。そう言ってイチルが螺旋階段を登り始めれば、カリンもまた頭を上げ、主の後ろに続く。
先で揺れる美しい金色の髪を見つめながら、カリンは胸に湧き上がる様々な想いの全てに、蓋をした。
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