第百五十二話 古城戦 四
トウヤが城の東側に行く一方で、アサヒは順調に城の中心へと進んでいた。
城外にいる者たちは知っているのだろうか。城内にいる人数がやけに少ない。
敵兵の何人かとは鉢合わせたが、想像以上に侵入が楽だった。
すでに刃に倒れた兵士が何人も転がっている中、鉄枠が囲う大きな扉の前に立つ。
アサヒが重い扉を押し、広い一室へと足を踏み入れれば。
そこにいたのは、濃い血の繋がりを持ちながら、異能の力でしか見たことがなかった人物。
彼の実の父親がじっと佇み、こちらを見据えていた。
螺旋階段の最下段から戦場を見下ろしていたコウエンがわざわざ謁見室に来たのには理由があった。
突如として現れた反乱軍、それ自体に彼の心は動かなかった。
第三勢力があることは知っていた。実子であるアサヒに声が掛かっていたことも含めて。
そもそも。山ノ国での戦から、二番目の息子が生きていたことは知っているのだ。
死んだと思っていたアカネの息子だが、正直どうでもよく、だから放置した。
――今この戦場で、ひと目見るまでは。
実際に将となったアサヒを見て、彼の気持ちに変化が生じた。無関心の中に、ほんの少し、話をしてみようか程度の関心が芽生えた。
彼の気を引いたのは単純に母親に似た容姿ではない。
心を動かされたのは、アサヒの身の内に宿る炎。
多くの人間がうごめく戦場で輝きを帯びるそれは、母親と同じものだった。
おそらくその炎は、アカネをずっと見つめ続けてきたコウエンだから分かるもの。
そして、アサヒが谷ノ国にいたままではここまで大きくなることはなかっただろうものだった。
「――ヒダカか」
実の息子に姿を見せたコウエンは彼の本来の名を口にする。
「ハツメはどこだ」
対してアサヒはそれだけ言うと、コウエンの方へと赤絨毯を進む。
朝の光が、部屋の奥一面に張られたすり硝子を通して謁見室に射し込んでいた。
アサヒのさらりと流れる黒髪がきめ細かに輝けば、コウエンの艶だった黒髪もまた光をまとう。
「生き別れた親子の再会だというのに父に挨拶もなしか」
「誰が父だ」
互いに剣は抜かない。
コウエンは抜く必要がないため。アサヒはここで抜くべき相手かどうか、決めあぐねているためだ。
甘いところだと彼自身も思っている。
だが父親の人となりを、彼は話でしか知らないのだ。母親やハツメに対する所業に関しての嫌悪感とは別に、興味がないと言えば嘘だった。
「随分と育ちが悪いな」
反抗的なアサヒの態度に、コウエンが軽く眉を寄せる。
「反乱軍だったか。この国の玉座に興味があったのか、はたまた担ぎあげられたのか」
「どちらも違う。ハツメを守るためにできることが、これしかなかっただけだ」
「谷の娘か。確かに利用価値はある」
「そんなんじゃない……俺はお前とは違う」
アサヒがコウエンを睨むと、彼は鬱陶しがるようにすっと目を細めた。
「余があの炎を欲する理由が。単なる異能の力だけだと思うのならそれでよい。誰に何を思われてもどうでもよい。そもそも、人が何かを欲することに理由など要らぬ」
コウエンがアサヒに一歩近付く。手を伸ばせば届きそうな距離で、なおも親子は互いに視線を逸らさない。
父親が首を傾け、頬にかかる黒髪を揺らす。
「ヒダカ。利害の一致はともかく、余に谷の娘を殺す気はないのだ。……アカネが戻ってきたら、親子で過ごすのはどうだ。お前は谷の娘でも何でも、欲しいものを側におけばよい」
甘い誘惑にも思える話をするコウエンの目は冷たく、少なくともアサヒを息子として見てはいなかった。
アサヒは静かに口を開く。
「自分で言ってて気持ち悪くならないか。親子で過ごす……心にもないだろう。俺たちを側に置きたい理由をちゃんと話せ」
彼がそう返すと、コウエンは少しだけ口の端を上げた。
「ふむ、馬鹿ではないのか。アカネは何かにつけて病に臥すのでな。今生き返っても、いつまた身体が壊れるか分からぬのだ」
「……そうやって母上を何度も生き返らせて、縛り付けておくつもりか」
「そうできるだけの力がこの世に存在するのだ」
アカネが亡くなる度にハツメを使い、生き返らせる。そしてそのハツメを置くために、この男はアサヒを利用しようとしている。
ここでようやくアサヒは、実の父親は話が通じない相手だと理解した。
「断る! 俺はハツメを助けるためだけじゃない。母上を弔うために来た。いい加減受け入れろ! 母上は死んだんだろう!」
アサヒが声を荒げると、コウエンの顔がぴくりと歪む。
はっきりした年齢も分からない彼の美貌を歪ませたのは、その言葉の内容。
「受け入れろだと……アカネを知らぬお前に何が分かる! お前に失った者の気持ちが分かるのか!」
「俺は! 育ての親と! 故郷を失った! 全部お前が元凶だ!」
自分で言って堪らなくなる。
そうは叫んだが、分かっていた。
その人が失ったものの大きさを量ることはできないと。
互いの想いを比べることなどできない。
だが、母親を安らかに眠らせることに、彼には一寸の迷いもない。
「母上は眠らせる! 魂の流れに沿うのが人としての在り方だ!」
毅然たる態度で言い切ったアサヒ。
コウエンがその顔にはっきりと憤怒の色をあらわにしたときだった。
アサヒに異能の力が発現した。
彼の視界を覆っていく白い炎。
眼前のコウエンが、思わずその目に手を伸ばす。
不思議なことに、意識は飛ばなかった。
身体に入る力もそのままで、炎越しに透ける視界以外、何ら変化がない。
一度は戸惑ったアサヒだが――瞬時に理解する。
この異能の力で視るものが危険の知らせだとするならば。
もうすぐ耳に響くはずだ。
人の心を舐り、そのまま食べ尽くそうとする甘い声が。
「ヒダカ」
広い謁見室に、先ほどの白熱とは違う種類の熱が混じる。
開けた謁見室の扉の前、吐息混じりにその名を呼んだのは、
紛れもない、彼の異母兄だった。
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