第百五十一話 古城戦 三
突如現れた黒衣の一群。
掲げられた深緑色の軍旗は、彼らが何らかの意思を一つとしていることを示す。
反乱軍が参戦したことにより、古城前の戦場は混沌と化した。
国王軍も第一王子軍も、一般兵は戸惑わざるを得なかった。
この二頭に喰らい付こうとする将は誰だ――と。
また、その将の正体である第二王子ヒダカの生存を知っている者も面食らっていた。
「誰か行かなくていいんすか!?」
城門前、ようやく引きずり出した菊葉紋の一人と交戦しながらリンドウが声を張る。
彼らが向かいたいのはアサヒの方ではなく、主のイチルのところだ。
反乱軍を率いて現れた異母弟を遠目で見たイチルは、「君たちも好きにしていいから」とたった一言残して、ふらりと戦場を抜けて行ってしまった。向かったのは城の内部。自分に向けられる刃をあっさりかわしながら主は消えてしまった。
「私が行きますわ!」
敵の一人を斬り伏せたカリンが眉をつり上げて叫ぶ。
急ぎ城内に向かおうとした彼女だが、すぐに足を止めた。
城内から一人悠々とした足取りで歩いてきたのは、その有名さゆえ、彼女らもよく知る人物。
「雑種犬が騒がしいな!」
彼らを見下すように顎を上げ、目を細めるのは、菊葉紋の長にして、前任の大将。キダチだった。
「このっ……国王の盲信者が! そこをどけ!」
「姐さんがそう言うと、なんつーか、自分に返ってくるような」
大身槍で一度に二人を薙いだリンドウが、カリンと同様にキダチに対峙する。
「それより俺は。自分の衰えに気付けない老犬よりも、きゃんきゃんうるさい子犬の方に用事があるんすけど」
「アザミか。さて、どこにいるのやら」
さして興味もないという風に言い放ったキダチが剣を抜く。
いくら生まれがよいといっても、錫ノ国の軍でも実力がなければ上には立てない。
血筋と実力を代々兼ね備えるのが菊葉紋であり、前任の大将を務めた経歴をもつキダチの実力は伊達ではなかった。
カリンとリンドウが同時に背後を振り向き、口を開く。
「エンジュ」
「エンジュ兄さん」
「……好きにしろ」
軽く息を吐いたエンジュは二人の前に進み出て、キダチへと接近した。
エンジュの大剣とキダチの剣が固くぶつかり合う。
その隙に、彼の妹分、弟分はするりと城内へ走り抜けていった。
「薄情な仲間だな」
「俺一人で十分だ」
一度距離とったエンジュが大剣を下げる。
自分から会って話したいほどの用ではない。
だがもし顔を合わせることがあれば、この男に聞いてみたいことが彼にはあった。
「なぜ長い間大将を務めていて、あのシャラの惨状を放置したのだ」
当時の大将ならば分かっていたはずだ。エンジュたちが内乱に参戦する以前からの、シャラの悪政を。
カリンは自分の力の及ばない部分を神という存在に委ねる節がある。悲惨だった頃のシャラは火ノ神のせいになっていて、そのシャラを救ったイチルは神同然の存在になっている。シャラの歴史を古くまで振り返れば、不毛の地となったのは火ノ神が原因で間違いない。
だがエンジュは、その後の悪政に関しては人間のせいだと思っていた。彼の親が政治に関わるような固い職業だったこともあるかもしれない。
いずれにせよ、彼には分かっている。自分たちの仲間を殺したのは人間だと。
エンジュの問いに、キダチは普段の息を吐くように答えた。
「この私たちが。愚民を気に掛ける必要がどこにある? 愚民は愚民らしく私らとは別の下界で戯れていればよい」
「ではまだ十二歳のイチル様をシャラの平定へと駆り出したのは」
薄っすらと彼の心に広がる怒り。その理由は自分たちのことだけでなく。
「それは私ではない。イチル様の少しでも早いご自立を願っていたのは紛れもなく陛下だ。――まあ、予想以上の出来には驚いたがな」
「……イチル様を試したのか」
「ああ、そういうことになるな。……なんだ、雑種共はそれで拾われたんだから良かっただろう。むしろ感謝するべきではないか?」
首を傾け、目の前の男はせせり笑った。その様子を見て、エンジュは静かに目を伏せる。
「……正直、この出兵が決まったとき。イチル様らしからぬ、少々強硬に過ぎると思っていた。だがそうでもないらしい」
無愛想な表情はそのままに、再び上がる瞼。見せる瞳は、彼が珍しく激昂していることを示していた。
「この国の膿。一刻も早く取り除かねば」
エンジュは大剣を振り上げながら、強く地を蹴った。
アサヒとトウヤは、第三勢力の突然の乱入に混乱する戦場を駆け抜ける。
反乱軍の今回の目的は戦場のかく乱によってハツメの救出を助勢すること。
そして同時に、反乱軍の存在を世に知らしめることだった。
まとまった数とはいえ、第一王子軍にも国王軍にも戦力はやや劣る。
反乱軍におけるこの戦での勝利条件はあくまでハツメの奪還で、それさえできれば後はここを引く予定だ。
相手が倒れるまで喰らい付く必要はない――今はまだ。
首に巻いた深緑の巾をなびかせながら、二人は刃の間をくぐる。
「トウヤ! ハツメの救出が終わったら、母上も連れて行きたいというのは我が儘か」
言うまでもなく、最も大切なのはハツメ。
だが、アサヒの旅の目的がここにあるのもまた事実だった。
アサヒの隣に付いていたトウヤが彼を見やり、にっと笑う。
「いいや。後々を考えればそれが一番良い」
「そうすると。一つ頼みがあるんだが――」
アサヒがそれを最後まで口にすると、トウヤは「任せておけ」と、頼もしく頷いた。
正門ではなく、世話係用かと思われる脇の小さな入口から城内に侵入する。
最初の廊下にあたったところでアサヒとトウヤは別れた。
アサヒは謁見室を含む城の中心部へ、トウヤは中心部から離れた場所へ。
漆黒の廊下を一人走りながら、トウヤは違和感を感じていた。
予想よりも人が少ない。戦場はもはや城外が中心となっているし、国王の領域ならばまた違うだろう。
しかし城のはずれに向かっているとしても、ここまで誰もいないものだろうか。
原因を知ることができないまま城の東部から屋外に抜けると、出たのは生垣や花々が彩る小さな庭。
城の裏手に出ようと生垣を曲がったところで、彼は見覚えのある人物に出会った。
植えられたツツジの前で佇み、ぼんやりと白い花を眺めるのは軍服姿の少年。
トウヤがこの姿での彼を見るのは初めてだが、その波打つ長髪や綺麗な顔立ち、背格好から正体はすぐに分かった。
「ケイ……いや、アザミと言った方がいいのか」
トウヤは迷わず弓をつがう。
「……トウヤさん」
アザミは剣を抜かない。ただ身体の向きをトウヤへと変えただけだ。
「こんなところでどうしました? ハツメお姉ちゃんがいるのはもっと城の中心ですよ。……今は分かりませんけど」
「そちらにはアサヒが行っている」
「トウヤさんは大人なんですね。いつだかトウヤさんに、大人びてるなんて言ってもらいましたけど、ぼくは――」
少年が言葉を続けようとしたときだった。
二人の横の石垣が大きく揺れ、割れる。
生垣ごと一閃するように二人へと振るわれたのは、特別に長い槍の穂先。
咄嗟に避けた二人は、見知っているだろう得物の主へと視線を向けた。
「あんまり探させんなよ。クソ子供」
無残な姿になった生垣に片脚をのせるのは、大身槍を下げた細身の男。
「……リンドウさん。瞳孔、開いてますけど」
ぎこちない笑顔をつくりながら、アザミは思う。背筋が凍るとはこのことか、と。
向けられる殺気は、少年がいまだかつて味わったことがないものだった。
その冷たい殺意はトウヤにも伝わってきた。
思わず、シャラで最後に見たリンドウの様子が頭に浮かぶ。
「ぼく、リンドウさんになんかしましたっけ?」
「うるせーよ」
そう言って躊躇なく槍を振りかぶったリンドウに、アザミは短剣と小刀の両方を抜く。
そのまま激しく戦い始めた二人を見て、トウヤはすぐに行動を再開した。
あれに巻き込まれては堪らない。
敵同士でやってくれているなら好都合だ。自分の目的は戦うことでないのだから。
背後で穂先と刃が擦れ合う鋭い音を聞きながら、彼は庭から川べりへと下りていった。
お読み頂きありがとうございます。
視点が多くて申し訳ないのですが、明日からは大体アサヒになります。




