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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百五十話 古城戦 二

「姐さん絶好調っすねー」


 戦の最前線に追い付き、圧倒的技量で敵兵を屠るカリンを見やりながら、リンドウは砕けた調子で言う。そしてその軽口は、同じく先頭で片腕を振るう、主についても。


「イチル様も色々溜まってたんですかね」


 利き腕は使えなくなったイチルだが、彼の鮮やかな剣さばきはそれを全く感じさせない。以前と変わらぬ強さを保つのは才能か、努力か。実際のところを知る者はいないが、事実としてあるのはその戦人(いくさびと)としての力。周りにいた敵兵たちが、彼に恐れをなして離れていく。


「元々、陣頭指揮がお好きな方だからな。……お前こそくすぶってた割に大人しいな」


 少々解せないといった表情でエンジュがリンドウを見やれば、大身槍を持て余した彼は地面に転がる敵兵に軽く一蹴り入れたところだった。


「俺はまあ、もうちょっと後で」


 リンドウはそう言いながら、目の前に来た兵に気怠げに対処する。

 エンジュも同様に、無謀ながら自身に向かってきた兵を軽くいなすと、大剣で地に伏せる。

 彼らが来たことで戦況は進んだようだった。



 闇夜の中、互いが松明の明かりを頼りに剣や槍を振るい、弓を引く。

 母国を同じくする者同士が傷付け合う戦場に流れるのは、同じ国民の血。

 内乱を経験している彼らはその凄惨さを知っている。それでも戦う必要があることも。

 もちろん、初めての者にも当然軍人としての矜持があり、それぞれに戦う理由がある。


 だがけっして晴れやかな気持ちではない。他国を攻める以上に戦場を覆う、一言では表せない負の感情。

 暗い淀みに落ちていくような一夜だった。




 じきに朝が近付く。


 深く濃い黒色の空に青みが差し、東から薄い白光が広がっていく。

 小山の彼方の方から、汚れのない、澄みきった白い空へと変わっていく。


 昇る朝日が、戦場をまばゆく照らす。



「――来た」



 イチルは東の方角を見上げた。

 つられるように、三人も朝日を向く。


 白く輝く朝日を背負って小山に立つのは、身元の知れぬ一群。

 そこに掲げられるのは大きな一流(ひとなが)れの軍旗。


「ヒダカ」


 逆光でつくられた黒影を見て、イチルはそう呟いた。

 なぜ分かるのかという疑問を持つこと自体が愚かなことであるかのように、その名前は確信の響きをもって紡がれた。


 三人はイチルを見る。

 感極まったようにその名を呟いた主の顔は、朝日に反射しきらめく金色の輝きによって見ることが叶わなかった。





 小山の上。目下の戦場を見下ろしながら、一人の男が口を開く。


「時機としては上々か」


 抑揚のきいた独特の口調。声の主が好戦的に口角を上げれば、隣に立つ男は冷静に言葉を返す。


「ハツメを思えば遅いくらいだ」


「あの門の状態ならまだ大丈夫だ。心配なのは変わらぬがな」


 そう言ってトウヤが隣を見やれば、アサヒは漆黒の古城を見据えたまま頷いた。


「二頭のぶつかり合いに国民は混乱している。反乱ののろしを上げるには絶好の機会だ。……まあ、そちらの方は任せておけ」


 二人に並ぶように前に出たのはカナト。彼がアサヒを見上げれば、一つに結われた髪束がうなじの辺りで小さく揺れる。


「ああ。俺とトウヤはハツメを探すぞ」


「はなから承知だ。今回の我々の最優先事項は橋姫の救出だからな!」


 目を合わせた三人は頷き合う。

 背後に従える者たちも含め、全員の服装は黒衣に黒袴。加えて、深緑の長い襟巻。首に巻く者、腕に巻く者と様々だが、これも揃いのものだ。

 彼らの頭上で大きくはためく軍旗も深緑色に染められている。


 黒に映えるも派手すぎないその色は、草木が萌え出ずる色。

 他でもない、アサヒが選んだ色だった。



***


「アサヒ! 反乱軍として決起するからには、旗が必要だ! 何色がいいだろう」


 反乱の準備を進める雨季のある日、カナトがアサヒの元へ駆けてきた。

 「ちなみに服装は黒だ。憧れのあの方といえば黒だからな!」と言うカナトに苦笑しつつ、アサヒは口を開く。


「緑がいい。落ち着いた新芽の色」


 即答だった。


「どうしてだ?」


 カナトの問いに、アサヒの側にいたトウヤが穏やかな笑顔で答える。


「麗しの橋姫の名前は『ハツメ』というのだ」


「なるほど、『初芽』か。よし分かった! すぐ作らせよう」


***



 夜が明ける。


 朝日と共に現れた若い芽は、各々の生と、次代を掴むために立ち上がる。


「――いこう」


 反乱軍の将となったアサヒのその一言で。彼らは日の射し込んだ戦場へと駆けていった。

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