第百四十八話 ミヅハの思惟
錫ノ国東部、カラミの古城から北に離れた宿場町にて。
「あいつら全員馬鹿じゃないの!?」
宿の一室に響くのは少年の苛立った叫び。
ルリが心配そうにその顔を覗けば、見目麗しい少年は険しい表情のまま彼女と目を合わせた。
「ミヅハ様、『あいつら』というのは……」
「父とイチル! ついでにヒダカ!」
そう言ってミヅハは椅子に腰掛ける。
木板が剥き出しになった固い椅子の感触に眉を寄せながらも、少年は細長い脚を優雅に組んだ。
「アサヒさん?」
ルリは宿の人に淹れてもらった茶と先程買ってきた金平糖をミヅハに差し出しながら、首を傾ける。
海ノ国の戦中に別れたアサヒが一体何をしているのか。見当もつかないルリをよそに、ミヅハは呆れたように息を吐く。
「あいつのすることなんて調べなくても分かるよ。性格も目的も一番単純だから」
この場合、ミヅハが呆れているのはルリにではなく、アサヒにだ。それはルリにも伝わったようで、彼女は特段気にすることなく会話を続ける。
「アサヒさんの目的ってハツメさんですよね。ハツメさん……大丈夫でしょうか?」
第一王子が謀反を起こしたことは今や国民の全員が知り得ることだったが、その理由自体は曖昧だった。
実際の理由を突き詰めるとコウエンのアカネへの執着がそうであり、アカネの蘇りにかけてはハツメと神宝が大きく関わる。その部分でもコウエンとイチルは相容れなかったわけだが、そんな理由を国民に堂々と告げるわけにはいくまい。
ミヅハとルリはこれまでの事情を知っているからこそ、国民が混乱している裏で何が起こっているかを最低限の足で調べることができた。そして今、得られた情報はミヅハの中で正しい予想に繋がっている。
「少なくとも今は大丈夫。父はハツメを殺せない。神宝が使えなくなるからね」
ミヅハは茶を一口すすると、その父とよく似た顔を軽くしかめた。気に入る味ではなかったようだ。
「ハツメに関しては、僕にできることは正直ない。あいつ……父次第では多分気付いてるだろうし」
心配そうに声を萎ませた少年は一度目を伏せた。
数瞬置いてから、彼はまたその豊かな睫毛を持ち上げる。
「それよりも、イチルが一番変だよ」
金平糖の一つに手を伸ばしながら、ミヅハが言った。
「いくらあの女に何か言われても。神宝……というより、ヒダカといるハツメが気に入らなくても。手段も時期も強引過ぎる。国民感情が分からない奴じゃないのに、あいつにしては悪手だよ」
口の中に含んだ黄色の金平糖が、かり、と口の中で割れる。
すぐに喉に通さず舌の上で溶かしていると、ミヅハの隣に立っているルリが慎ましく問いかけた。
「……ミヅハ様は、これからどうされるのですか?」
「少し考え中」
ミヅハは金平糖を運ばせた指先を唇に添えたまま、部屋の一点を見つめて思案する。
海ノ国の時点では、錫ノ国を治めるのに最もふさわしい人間はイチルだった。
実際に今でもそうだ。イチルほど優秀な統治者はいない。
ただ――今回の謀反に限ってはおかしいのだ。
自分の治世を築くなら彼らしいやりようがあったはず。
それなのに時機を待たず、軍だけでなく国民まで混乱させ、不信感を与えるなど。
イチルにはそぐわない、刹那的ともいえる悪手だ。
そして出来のいい兄のことだから、周囲が、とりわけ自分がそう思うことも織り込み済みなのではないか――。
どのくらい時間が経っただろうか。しばらく考えて、ミヅハは顔を上げた。
ミヅハが瞳に映すのは、彼の思案の間ずっと横に寄り添っていた女性。
「ルリ。僕に付いてきてくれるって言ったよね」
「はい。どこまでも、いつまでも付いていくと言った、その言葉に変わりはありません」
「今からでも遅くないよ。僕はお前のことが大切だけど、他にも守りたいものはあるんだ」
何かを決意したようなミヅハの真っ直ぐな目。彼と共に錫ノ国に来たときから覚悟はしていた。だが彼の決断を前に、ルリもまた、彼女の決意を固くする。
ルリは静かにミヅハの前に両膝を付いた。
「分かっています。私はそんなミヅハ様が好きだから、付いていきたいのです」
そう言って、ミヅハの手に自分の手を重ねる。
まだ成長途中の彼の小さな手は緊張しているのか、少しだけ冷たく感じられた。
少しの間を空けて、
「好きとか……よくそんな恥ずかしいことが言えるね」
唇をわずかに尖らせた少年が、そっけない声を出した。
「えっ……ミヅハ様も似たようなこと仰ったじゃないですか」
「そうだっけ? まあいいや。とりあえず書簡を書きたいからさ、少し出ようか」
ミヅハはルリの手をかわすと、椅子から立ち上がる。
「ミヅハ様も行かれるのですか? 使いなら私が」
「僕も行くよ。ちゃんと書簡が国境を越えるように、行商に話付けなきゃいけないからね」
そう言うと少年はルリに向けて手の平を差し出した。
「ほら」
自分の方を見ずに手だけを寄こす少年にたおやかに微笑みながら、ルリはその小さな手に自分の手をのせる。
部屋を出る途中で、ミヅハが小さく呟いた。
「……僕も好きだよ」
その少年の声はとても穏やかなもので。紡がれた愛おしい言葉は、優しく彼女の耳に溶けていった。
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