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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百四十四話 謁見

 ほのかに甘い香りが漂う中、ハツメは薄っすらと目を開けた。

 霞む視界に映るのは寝台の横に飾られたの白いツツジの花。花器は割れるようなものではなく、つるりと磨かれた球状の薄い木工細工だ。


 白色の花弁と漆黒の壁の取り合わせを見るのは、この二日で何度目か。

 三日前までは菖蒲の花を飽きるほど見た。


 夢であって欲しいと何度横になり目を閉じても、眠れないまま目を開ければ同じ光景。

 ハツメは四辺を漆黒の壁で囲まれたこの部屋から抜け出す術を見つけられないまま、何ができるわけでもなく毎日を過ごしていた。


 アサヒとトウヤは無事なのだろうか。

 彼らがシャラで交戦したかも分からないハツメは、ただそれが心配だった。 



 こんこん、と楽器を打ち鳴らすような跳ねた音が部屋に伝わる。


 ハツメが寝台を降りて淡黄色の絨毯を踏みしめると、時間差を測ったかのようにちょうど良く少年が一人、部屋に入ってきた。


「……ケイ」


「やだなぁ。この姿のときはアザミと呼んで下さいって、言ってるじゃないですか」


 綺麗な少年はハツメを見つめながら、茶目っ気を込めて身体を横に傾ける。軍服姿で化粧をしていない彼は紛れもなく少年だった。波打つ長髪は後ろの高いところで一つに纏められており、彼の動きに合わせて大きく揺れる。

 彼の手には黄色い百合の切り花。二日毎に新しい花を持ってくるのだ、この少年は。


 それだけではなく、アザミはハツメの衣食住をかいがいしく世話していた。不足ない、むしろ過分な生活だったが、それがまるで飼われているようで、彼女は気持ち悪かった。


 アザミは軽い足取りでハツメに近付くと、彼女の近くの花器からツツジを抜き取り、代わりに百合を差し入れる。身体を少し引いて見栄えを確認した彼はにこりと笑うと、ハツメに向き直る。


「今日、陛下がお会いして下さるそうですよ」


 ぞくり、とハツメは思わず身体を震わせた。会ったことすらないというのに、『陛下』という言葉だけで背筋に冷たいものが走る。


「別に望んでるわけじゃない。……会いたくないわ」


「言い方の問題です。要は謁見しなきゃなんですよ」


 アザミは眉を下げて苦笑しながら、ハツメの怯えた顔を覗きこむ。


「せっかくですからおめかししましょうか。準備しましょうね、ハツメお姉ちゃん」




 アザミの準備した上質な着物に着替えさせられ、無理矢理化粧を施されたハツメは彼の後ろを歩く。

 漆黒の廊下を真っ直ぐ進むと、左手に続く窓から川の端が見えた。どうやら裏手のすぐ下は川が流れているらしい。川岸より向こうは山々が連なり、新緑が生い茂っている。


 廊下の長さから察するに、この古城はそれなりの大きさを持っているようだ。

 奪われた神宝(かんだから)はどこにあるのだろうか。

 そして、国王と来ているだろうアサヒの母親も。

 アザミは第二夫人もいるということは教えてくれたが、それ以上は答えてくれなかった。




 古城と呼ばれているだけに、謁見用の部屋というのも存在しているらしい。

 アザミが鉄で縁取られた大きな開き戸の前に立つと、戸の横で控えていた二人の兵士が同時に戸に手を掛けた。重々しい音と共に視界が開ける。


 長く敷かれた赤絨毯の先の人物を一目見て、ハツメは無意識に息を飲んだ。

 思わず(うつむ)けば、アザミに背を軽く押される。目線は床に向いたまま、彼に促され恐る恐る前へと進む。


 気を張らねば押し潰されそうな閉塞感がハツメを襲う。

 視界は嫌になるくらい鮮明に絨毯の赤を映すのに、濃密な霧が立ち込めたように息が苦しく、彼女の呼吸は自然と浅くなる。

 

 気を強く持たなければ、『何か』に引きずられる。

 そう思ったハツメは、拳を握りしめ、唇を噛み、ぐっと目を閉じた。

 頭に浮かべるのはアサヒの姿。


 怖れてはいけない。

 目の前で座する人物は、アサヒの実の父親なのだ。


 アザミに腕を引っ張られ、二人並んで膝を付く。

 このとき初めて、ハツメは(うつむ)いていた顔を上げた。


 無表情でハツメを見下ろしていたのは、見目麗しい黒髪の男。アサヒの父親ならそれなりの年齢のはずだが、かなり若々しく見える。男が纏う金鶏と牡丹があしらわれた着物は果てしなく華美だが、本人もそれに負けない美貌を備えていた。


 耳にしていた通り、ミヅハに似ている。

 だが決定的に違うのは鋭い目付きの中の、その瞳。瞳に宿る感情の色が全く違う。


 この男の瞳には眼前の自分など映っていない。

 自分だけでなく、おそらくアサヒの母親以外の全てを見てはいないのだろう。


 世の中に興味を失ったように、その美貌の中の双の瞳は深淵の闇に染まっている。

 この男が錫ノ国の国王、コウエンであり、アサヒの実の父親だった。




 ハツメとアザミよりも一段高い台には、肘置きに頬杖を付いて椅子に座るコウエンと、脇にもう一人、こちらは年相応の短髪の従者が控えている。


 アザミは一度コウエンを見上げると、深々と平伏した。


「遅くなり申し訳ございません、国王陛下」


 うやうやしく話すアザミに、コウエンは何も答えなかった。 

 代わりに口を開いたのは彼の脇に立つ男。


それ(・・)に頭を下げさせろ。アザミ」


 至極不愉快そうな男の言葉に、アザミははっとして横のハツメを見る。


 膝を付いたハツメは背筋を伸ばし、ただ真っ直ぐにコウエンを見据えていた。

 彼女の珠のような黒目が澄んだ輝きを放つ。

 口を引き結び強く前を向く彼女は、何にも屈しないという意思を、コウエンの前にはっきりと示していた。


「ハツメお姉ちゃん、伏して下さい」


 アザミは頭を下げたまま小声で話し掛けたが、ハツメは応じない。


「お願いですから」


 張り詰めていく空気に、焦ったように少年の語気が強まる。


「ハツメお姉ちゃん……!」


 アザミの声を無視して。

 ハツメはコウエンから目を逸らさずに言い放った。


「どうせ私のことは殺せないんでしょう?」


「――っ!」


 一瞬で血の気が失せたアザミがハツメの襟首をつかみ、無理矢理頭を下げようとする。

 だが、ハツメはぴくりとも動かなかった。

 彼女の固い反抗の意思は、依然として削がれることなく眼前のコウエンに向けられている。


「――申し訳ございません! ぼくの方から、よく言っておきますので……!」


 アザミはハツメから手を離すと、ざっと平伏する。

 綺麗な顔を恐怖に引きつらせ、両手と額を床に付け、先程よりも深く深く。


 その一連の流れを見ていたコウエンは二人から目を逸らすと、平然とした顔で唇を開いた。


「……娘自体には興味も沸かなかったな」


 声量は小さいが、不思議と耳に響く冷たい声。

 それを追うように、今度は隣の従者が怒りの差した表情で吐き捨てる。


「アザミ、早くそれを下げろ! ……これ以上陛下の御目に触れるのも耐え難い」


「……寛大な御心に感謝いたします……!」


 アザミは床に伏したまま大きな声で言う。

 錫ノ国を統べる国王との謁見において、ハツメは一度も頭を下げなかった。




「ハツメお姉ちゃん!」


 元の部屋に戻るなり、アザミは声を荒げた。


「何したか分かってるんですか! 死んでもおかしくなかったんですよ!」


 アザミがこんなに余裕をなくすのは初めてではないだろうか。目の前で必死に自分に訴えかける彼を見やりながら、ハツメは冷静に口を開く。


「だから。私のことは殺せないんでしょう?」


「それでも! 命までは取られなくても! 神宝(かんだから)を扱えさえすればハツメお姉ちゃんがどうなっても構わないんですよ、父上は!」


「父上?」


「陛下の隣にいた男です!」


 アザミはそう言うとハツメの両腕を掴み、彼女を見上げる。


「父上なら足をもぐ(・・)くらいのこと平気でします。どうかもっと自分を大切に」


「あなたがそれを言うの?」


 続きを遮るようにハツメが言うと、必死の表情だったアザミは一瞬固まり、頭を下げる。


「……そうですね」


 ずるり、と彼の手がハツメの腕から落ちる。


「とにかく。大人しくしてて下さい、頼みますから」


 ハツメと目を合わさずに、アザミは部屋を出ていく。

 彼が勢い良く扉を閉めると、新鮮なはずの黄色い百合が一輪、首からもがれたように床に落ちた。

明けましておめでとうございます。

本日より更新再開になります。

またお付き合い頂けましたら幸いです。

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