第百四十一話 旧街道にて
ハツメが連れ去られた後、アサヒとトウヤはシャラの街を出て南下した。当てどのない旅にならなかったのはカナトに手渡された書き付けのお陰だ。
錫ノ国を知らない二人でも都を目指して西へ進むことは可能だったかもしれないが、アザミたちの行き先が都だという保証はない。
実際その通りで、彼らの行き先は都から離れたカラミの古城。それすらも今の二人は知らないのだから、結果的にこの判断は正しかった。
そもそも、行き先以前に情報が少なすぎる。ハツメを連れ去ったアザミのこと。突然現れた装束姿の集団のこと。国王のこと。
カナトがいるだろう反乱軍が情報源になることは間違いない。
また、それだけでなく。
錫ノ国の国力と集団の力を見せ付けられたアサヒは、もはや自分だけでは目的を達し得ないという結論に至った。
赤いつつじが新緑に映える山林の中、隙間を取って丸石が敷かれた石道を二人は登る。自然の山道をそのまま活かしたこの街道は歴史古く、旧街道と呼ばれている。
黙っていれば足が止まりそうな彼らは、真面目な話、他愛もない話、なんでも話す。それは互いに意識したわけではなく、彼らの心境が自然にそうさせたものだった。
「錫ノ国にもこういう緑があるんだな」
何かを見てそう言ったわけではない。トウヤの三歩前を行くアサヒは、ただ足を伸ばした先の薄い丸石を見つめながら呟いた。
「珍しいようだがな。先ほど遠くに見かけた豪邸の並びから察するに、この辺りは別荘地だ。こんなところにカナトがいるとは想像しにくいが……だからこそ潜伏場所には向いているのかもしれぬな」
先ほど山林の切れ間から見つけたのは広大な庭をもつ屋敷の数々だった。建築様式は木造に石造りに様々で、建てた人間の好みがはっきりと反映されていた。
山の麓には小さな町もあったが、ここまで奥まると生活感が消える。日常生活の空気を感じないここは、トウヤの言う通り別荘地なのだろう。
今日は朝から曇り空だ。二人の行き先を照らす日光も差さなければ、追い立てるように雨が降るわけでもない、感情を失ったような空。
ハツメがいれば、この空も違って見える。赤いつつじにも、久しぶりに見た自生の木々にも、足音のしみ込む山道の石にも色が芽生える。
だが、それも贅沢な話なのだ。
おそらく彼女は今、それこそ無機質で、色など芽生えるはずもない、漆黒の壁に囲われている。
錫ノ国の国王――自分の父親によって。
アサヒは一つ、ゆっくりと息を吐いた。
「トウヤ。俺は……錫ノ国に来てから、自分とハツメがどこで生きるかばかりを考えていた」
先を行くアサヒが立ち止まり、トウヤを振り返る。トウヤは黙って彼を見上げた。
「俺が谷ノ国へ帰ることが無理なら、ハツメはどこで生きるのが一番幸せか悩んでいたんたが……甘かった」
後悔や悲しみを別に抱えながらも、アサヒの心に薄っすらと熱が宿っていく。
「俺の生い立ちなんてどうでもいいんだ。俺より渦中にいたのは他でもないハツメだった。……俺の隣で生きていけるかじゃない。どこで生きていけるかじゃない。どうすれば生きていけるかなんだ、ハツメは」
二人で生きる以前に。安心して生きていける場所が、今のハツメにはない。
「ハツメが普通に生きていけるなら。俺は何になってもいい。錫ノ国の次王でも、この国を滅ぼす賊でもいい。何に身を落としてもハツメだけは助ける」
今ここで口にすることに意味があった。カナトに会って反乱軍を利用する前に、トウヤには言葉として伝えておきたかったのだ。
その想いを汲んでか静かにアサヒの話を聞いていたトウヤは、少し視線を落とす。
「お前が決めたことにとやかく言わぬ。ただ……そうだな。俺も似たようなものだ」
トウヤは一度逸らした目を再びアサヒへと向けると、ふっと口の端を上げ、普段通りの口調で彼に言う。
「反乱軍に山ノ国の神官がいたということになれば国同士の問題だ。ここはトウヤという神官はいなかったことにしてもらおう」
「まあ今も席があるかは分からぬが」とトウヤは笑う。だがその話をするということは、まだあると思っているのだろう。アサヒもまた、山ノ国の彼らならトウヤの席を残しているような気がした。
「いいのか? 昔から神伯になるつもりだったんだろう」
幼い頃からの夢だったのだと、アサヒはいつだか聞いていた。
「ヒザクラは一度『やりたいことをやれ』と言った。あいつも言葉にすることの意味を分かっている男だ。それに」
トウヤはあくまで明朗に続ける。
「お前とハツメ嬢を見捨てて山ノ国に帰るような男が神伯になるなど、例え周囲が認めても俺自身が許せぬ。……なんだその顔は、アサヒ」
自分とは反対に曇ってきたアサヒの表情に、トウヤが笑う。
「いや。謝ってはいけないと、分かってはいるんだが……」
「そうだな。山ノ国でお前たちに声を掛けたのも、花ノ国まで追いかけたのも俺の意思だ。それでも、そう思うのすら心苦しいなら、恩返しということにしてくれ」
「恩返し……?」
心当たりがない、と眉根を寄せたアサヒにトウヤが息を吐く。
「ああ。忘れているかもしれないが、山ノ国が今も残っているのはアサヒとハツメ嬢、二人のお陰なのだ。思えばあのとき、既に第一王子には打ち勝っているではないか」
「お陰だったとは思わないが……そういえばそうだったな」
アサヒがそう返すと、トウヤは三つ丸石を踏んで彼に並んだ。同じほどの身長の彼らは目線も同じ高さにある。
「自分の選択に誇りを持て。お互い格好良い顔でハツメ嬢を迎えに行こうではないか」
「……そうだな」
晴れやかとまではいかないが、先ほどよりは雲が薄れ、空は明るくなった。
トウヤは追い越す際にアサヒの背を軽く叩くと、そのまま歩き始める。
彼のすぐに後ろで微笑んだアサヒもまた、一歩ずつ旧街道を踏み出した。
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