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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百四十話 地下迷宮戦 六

 本当の実力からいえばカリンの方が強かった。

 それに、万が一押されたとしても。

 冷静な彼女なら、一旦引くことはあっても負けはしなかっただろう。


 それが分かっていてアザミはカリンを挑発し、激昂した彼女は彼の思惑通り、引くべきところで引かなかった。



 無理をきかせたカリンの一振りを、アザミは軽やかに避ける。

 彼は剣を振り終えた後の彼女の手首を見据えると、自身の短刀の先でぷすりと刺した。



 その一瞬。その一刺しで勝敗は決まった。



 はっと我に返り、数歩よろけるカリン。

 その小さな一刺しの意味が分かっている彼女は立ち尽くし、剣を握る右腕を自身の前に掲げた。


 彼女の右手が小刻みに震え出す。

 次第に指の一本一本が強張り、花が咲くように、ゆっくりと開いていく。

 手入れの行き届いた美しい手から剣の柄が離れ、落ちていく様子を、彼女は絶望に近い目で見つめていた。



 そんな中、二人が戦う様子を見ていたのか、機会を図ったかのように黒と濃紫の装束をまとう『菊葉紋』の男たちがするすると現れた。


「アザミ坊ちゃん、お疲れ様です」


「その呼び方やめてもらえませんか? あ、ハツ……そこの谷の娘はぼくがもちます」


『坊ちゃん』という呼び方に眉を下げたアザミだが、それでも慣れたように男たちと会話する。


天剣(あまのつるぎ)天比礼(あまのひれ)が落ちているので、何でも使って回収を」


「かしこまりました」


「……なんだか数、減りましたね」


「そこの大将の他に、中将と谷の娘の仲間にもやられてしまいました」


「あの人たちならしょうがないです……あ」


 日常会話のように軽い調子で話していたアザミが、通路の先の影に気付く。


「リンドウさんより先に来るのは意外でしたね」


 菊葉紋に囲まれ、気を失ったハツメを抱える彼が笑いかけた先には、アサヒとトウヤがいた。




 リンドウよりも二人が先に辿り着いたのは偶然だった。

 地下迷宮でかち合った装束姿の一団――菊葉紋と戦いながら、それでも彼らの存在のお陰で二人は迷うことなくここまで来たのだ。


「ハツメ……!」


 焦燥に駆られ走り出すアサヒに向かい、アザミは悪戯が成功した子供のように笑う。


「アサヒさん、トウヤさん。いつかの歌のお代ですけど、ハツメお姉ちゃん頂いていきますね」


「ふざけるな! ハツメを返せ……!」


「返すだなんて。駄目ですよ。ハツメお姉ちゃんは陛下のものです」


「まあ文字通り『物』なんですけどね」と、アザミは意識のないハツメに目線を落とす。


「アザミ坊ちゃん。早く行きましょう。こんな低俗の輩たちと慣れ合う時間はございません」


「……はーい」


 装束姿の男の一人に促され、菊葉紋とアザミは二人に背を向ける。


「ハツメ!」


「じゃあさようなら。 アサヒさんとトウヤさん。……お元気で」


 アザミは一度だけ振り返ると、感情の見えない笑みで二人に微笑んだ。


 アザミたちの姿がふっと闇に消える。


 暗闇に向かい追いかけたアサヒだったが、彼を阻んだのは強固な壁。

 また地下迷宮の仕掛けかと、壁を叩き、四辺を探るも、その固く閉ざされた道が開くことはなかった。


 壁に両手を付けたままアサヒはずるずると床に崩れる。

 彼は自身の額を強く壁に打ち付けると、頭に響く鈍い痛みに目を伏せた。






「姐さん!」


 二人に遅れて到着したリンドウは地下迷宮に入る前よりも血塗れだった。アサヒに付けられた左腕の傷からはまだ出血してる様子だったが、左腕以外に付いた血はおそらく返り血。彼は相当数の菊葉紋を相手取ったようだ。


「アザミに刺された」


 その一言にリンドウはびくりと反応した。彼はカリンの手首の刺し傷と、その周囲の紫に変色した肌を見ると目を見開き、「神経毒……」と震える唇で呟いた。


「リンドウ。お前は第二王子を何とかしろ。私はアザミを追う」


 淡々と話すカリンとは逆に、リンドウはひどく狼狽えた様子で彼女に訴える。


「いや、いくらなんでも……それよりその腕! 早く帰らないと……解毒剤、解毒剤ってどこに」


「そんな時間はない」


「でも全身に回ったら!」


 似合わない、悲痛な叫びを上げるリンドウを一瞥してカリンは言い放つ。


「なら腕を落とす。


 私の腕を切れ、リンドウ」


「……は?」


「お前がやらないなら私がやる」


 そう言ってカリンはふらりと動き、地面に落ちた剣を左腕で拾う。神経毒で震える右腕を横に掲げた彼女は剣を握った左腕を持ち上げ――振り下ろした。


 ぱしん、と乾いた音が鳴る。

 カリンの右腕は付いたままだった。

 振り下ろす途中、リンドウが彼女の左腕を掴んで止めたのだ。


 リンドウを見上げたカリンが顔を歪ませ、狂ったように叫ぶ。


「どうして止める! どうして……どうして皆邪魔をする……どうして皆私たちの、イチル様の邪魔をする!? どうして! どうして! どうして!」


「――っ! ……すみません、姐さん」


 リンドウは空いた左手で拳をつくると、カリンの鳩尾を軽く叩いた。彼女は意識を失うと、リンドウにずるりとしなだれ掛かる。


 カリンの左腕から剣が落ち、からんと音を立てた。


 リンドウは血で汚れた腕でカリンを支えると、落とさないように一度抱え直す。かがんで彼女の愛剣を丁寧に拾い、彼女の腰に収めた彼は、壊れ物を扱うかのように優しく彼女を抱き上げた。


 そのまま二人に背を向け歩いていくリンドウに、トウヤが声をかける。


「リンドウ。あいつらはどこへ……」


 声をかけられた彼は半分ほど振り向いたが、何も言わなかった。

 彼の表情を見たトウヤもまた、何も言えなくなった。




 リンドウとカリンも消え、ほの暗い地下迷宮に残された二人。


 しばらくして、壁に縋っていたアサヒが静かに立ち上がる。


「俺は……俺はカナトに会いに行く。……トウヤ、お前は」


 山ノ国での立場があるだろう、と続けようとしたアサヒの言葉を、トウヤは最後まで言わせなかった。


「前に言っただろう、俺はお前にも付いて行くと」


 トウヤはそうきっぱりと話した。迷いを一切感じさせない様子の彼だが、すぐに額に手を当てて自嘲気味に笑う。


「それに正直なところ、一人になれば気が狂いそうだ」


「ああ。……俺もだ」


 小さく呟かれたアサヒの言葉は、地下迷宮の湿った空気に溶けていく。

 それはともすれば泣き出しそうな声音ではあったが、彼の目には確かな決意が秘められていた。

お読み頂きありがとうございます。

作者としては心苦しい展開ですが、ここからはアサヒにもハツメにもさらに頑張らせたいものです。

今年の更新、あともう少し続けます。

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