表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
141/194

第百三十七話 地下迷宮戦 三

 アサヒがリンドウと対峙する少し前に時間は遡る。



 アサヒを一階に見送った後、ハツメは布団の中に潜ったまま彼の帰りをほんの少しだけ待った。


 少し目を動かせば、硝子窓に吊り下げた黄色の厚布が目に入る。

 錫ノ国は他の国に比べて硝子が薄く、そのぶん光も通しやすい。だから窓にかける布も必要だし、厚いのだなと、とりとめもなく彼女は考えた。



 ふいに、誰かが廊下から、この部屋の扉に手をかける音がした。



 扉は木製の引き戸。横に動かす形の扉だったが、誰かが触れたことで戸がその木枠とぶつかり、かたりと音を立てる。


 アサヒが帰ってくるには早すぎる。

 トウヤかケイ、もしくはユーマだったとしても扉を開ける前に一声かけるだろう。


 何か理由があってアサヒが引き返してきたことも考えられるが、ハツメはなんとなく、アサヒではない気がした。



 そう判断したハツメは即座に行動した。


 飛び降りるように寝床から出ると、手元に置いていた天剣(あまのつるぎ)を手に取る。

 天比礼(あまのひれ)天宝珠(あまのほうじゅ)は既に懐に入っている。



 ずず、と床を引きずりながら部屋の戸が開く。

 部屋の入り口で、なんでもない顔でハツメを見やったのは、ハツメが二度会ったことのある相手。


「あら。もう構えているなんて、思ったより警戒心がございますのね」


 室内に優雅に足を踏み入れたのは、整えた一本の三つ編みを前に垂らした軍服姿の女。

 三剣将、カリンだった。


「アサヒはどこ?」


「さあ。あの馬鹿が一階でだらだらしてたら、鉢合わせるんじゃございません?」


 そこまで言うとカリンは右腕を半分ほど持ち上げる。

 彼女の顔の前で光るのは、磨き抜かれた細い刀身。

 既に剣を抜いていた彼女は顎を上げてハツメを睨むと、軽やかに床を蹴った。


 隙のない動きでこちらに接近するカリンに、ハツメは天剣(あまのつるぎ)を抜く。

 抜いた瞬間、黒い炎がちらついたが、カリンは怯まなかった。


 (にび)色と漆黒。光沢をもった二つの剣が交差する。


 ハツメは剣を振る余裕も与えられず、ただカリンの剣を受け止めた。



 その一回の動作で分かる、自分と眼前の相手との力量の差。


 剣技ではとてもじゃないが敵わない。

 力も向こうが上。


 だが。根本的に自分とカリンは違う。



 ハツメは懐から天比礼(あまのひれ)を引き抜いた。

 抜くとともに瑠璃色の布がふわりと宙を舞い、幾つもの青い光の粒がハツメの前に薄い壁をつくる。


 カリンはその光に触れる前に一度後退すると、ハツメから距離をとる。

 忌々しげに舌打ちをした彼女は、机に納まっていた椅子に目を留めた。想像以上に腕力があるようで、彼女は木製のそれを片手で引き抜くとハツメ目掛けて勢いよく投げ付けた。


 ハツメの目の前で椅子は弾かれるように静止すると、きらめく砂へと変化する。

 それとともに、天比礼(あまのひれ)の光は減る。

 カリンもそうなることについては花ノ国でしっかりと見ているのだ。


 このままでは押されるだけだ。


 そう思ったハツメは背後の窓硝子を天剣(あまのつるぎ)で思い切り叩いた。

 厚布越しに感じる剣と硝子のぶつかる感触。

 錫ノ国の薄い硝子だからこそ、彼女の力でも派手に割れる。


 硝子が激しく割れる、高い音が辺りに響く。


 アサヒがどうしているのかは分からない。それでも、これでアサヒにも危険が伝われば。

 そう思いながら、ハツメは窓から身を乗り出す。


 ――この高さなら大丈夫。


 天比礼(あまのひれ)の光が消え、こちらに駆け寄るカリン。

 彼女を背後に、ハツメは二階から飛び降りた。






 ガス灯が照らす夜のシャラをハツメは走る。

 豊かな黒髪をなびかせる少女の格好は夜間着だが、恥ずかしいと思う余裕などない。

 それに、カリンは人払いでもしたのだろうか。明るい街にもかかわらず誰とも会わなかった。


 ハツメは女性の中ではかなり走れる。ただ速いだけではなく、『強い』走りができる。

『強い』というのは、走る自分自身に対してだったり、自分が追い掛ける誰かに対してだったり、あるいは自分を追う誰かに対してだったり。


 だがそれも、身体が本調子であれば。

 上手(うわて)なのは土地勘があり、万全の身構えで臨んだカリンなのもまた事実だった。


「まさに『袋の鼠』というやつですわね」


 愉快げな笑みを浮かべてカリンはハツメに詰め寄る。

 ハツメは早々に小さな袋小路に追いやられていた。


「穴鼠にはぴったりの言葉だと思いませんこと?」


 以前も聞いた侮蔑の言葉にハツメの心がざわざわと震える。

 周囲に壁が立ちはだかる中、ハツメは強い目でカリンを見据えると、漆黒の剣を構えた。


「『窮鼠猫を噛む』って言葉、知らないの?」


「……」


 その言葉に眉をよせたカリンは答えない。


「え、本当に知らないの?」


「うるさいですわよ!」


「ああ忌々しい」、と吐き捨てたカリンが流れるように剣を振り上げた、そのときだった。



 二人の立つ小路に一本の矢が立った。


 ハツメは一瞬トウヤかと思ったが、石畳にぶつかり落ちたそれは明らかに彼の矢ではない。

 彼の矢の羽は基本的に白。今しがた放たれた矢の羽は黒に染まっていた。


「この矢……『菊葉紋(きくはもん)』か!」


 そう言ってカリンが顔を上げた瞬間、黒と濃紫の装束に身を包んだ男が小路に数人降り立った。

 不思議なことに、ハツメの背後からも一人。


 後ろは壁なのにどうして、と彼女が首だけで振り返れば、先程まではなかった地下への入口が姿を見せている。

 何者か分からない装束姿の男たちとカリンが睨み合う中、ハツメは誘われるように一人、地下迷宮へと駆け下りた。

お読み頂きありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ