第百三十六話 地下迷宮戦 二
民家の一階でリンドウと刃を交えるアサヒは焦っていた。
今までに聞いた彼らのやり取りから、リンドウの言う『姐さん』というのは三剣将のカリンのことだ。
アサヒは彼女の戦う姿をこれまでに二度見ている。
一度目は山ノ国でのコトブキ戦。
二度目は花ノ国を脱出するときの、シンと彼女の対峙だった。
アサヒ自身が力を付けた今だからこそ断言できる。
カリンは剣達者だ。
ハツメの元に彼女が行ったなど考えたくないほどに。
アサヒは受け止めていたリンドウの剣身を払いながら唇を噛んだ。
一瞬でもハツメから離れるべきではなかった。
そう考えながらも、眼前のリンドウへの注意は外さない。意識せずに躱せる相手でないことは、彼の雰囲気から分かる。
アサヒは牽制にと剣を横に一振りすると、踵を返し廊下を駆け出す。
すかさずリンドウが床を蹴りアサヒに斬りかかったが、剣の先はアサヒの背中より少し離れたところで空ぶった。
「あー。剣だと距離感がいまいちなんだよな。狭いとこ苦手なんだよ、槍も使えねえし」
リンドウがそうぼやく間に、アサヒは民家の玄関から外へと飛び出した。
白い石畳の路地には硝子の破片が散らばっている。二階を見上げれば、ハツメが休んでいた部屋の窓硝子が派手に割れていた。
「ハツメ―!」
叫んでみるが反応はない。割れた窓硝子からは黄色い厚布が外にはみ出し、風ではためいている。漏れてくる二階の雰囲気から、彼女は既にここを離れてしまったのだと感じた。
じり、とアサヒの背後に影が近付く。
「俺はエンジュ兄さんみたいに男相手に優しく戦うとか無理。ほんと、ハツメちゃんが良かったなー」
アサヒが振り向けば、リンドウが右手に持つ剣を試し振りしながらこちらを見つめていた。
「この際、多少怪我させちゃってもイチル様も許して……くれないかもしれないけど、まあ流石にお手打ちなんてことはないだろ」
「たぶん」、と彼は空いた手を口元に添えると苦笑いをする。
リンドウの嫌な目付きにアサヒが顔をしかめると、リンドウの方から先に動いた。
彼が斜めに薙いだ剣をアサヒは避けきり、今度はアサヒが剣を振り上げる。
しばらく刀身同士が触れないやり取りを続けながら、アサヒは感じ取っていた。
リンドウは自分の急所から離れた、しかも傷が残っても目立たないような部分を狙っている。
肩しかり、脇腹しかり。
自分の全力の振りを流しながら狙えるだけ手強いのだが、それなら考えがある。
アサヒは剣を自分の脇に下ろすと、リンドウの剣筋に突っ込んだ。
一番先に出したのは自身の顔。彼の涼やかな色白の顔に、相手の剣先が迫る。
アサヒは避けようとしない。
まだ近付けられる。まだ――まだ。
アサヒが逃げない中、先に引いたのはリンドウだった。
リンドウが肘を引きアサヒから剣を離した瞬間。
彼の前に大きな隙が生まれる。
アサヒは一気に腰を屈めてリンドウの足元に潜りこむと、地面を思い切り踏み込む。
その勢いは削がれることなく。
彼はリンドウの喉元目掛け、剣を突き上げた。
とっさに下を向いたリンドウの目に映るのは、自身の顔に迫るアサヒの剣先。
今大きく身体を反らせば体勢を崩し、次の一太刀を受けるのは明らか――。
そう思った彼は左手で顔をかばった。
アサヒの剣がリンドウの肘から手の平を深くなぞる。
顔への斬撃をしのいだリンドウはすぐに後退し、アサヒと距離を取った。
彼はアサヒを睨みながら吐き捨てる。
「いってえなー。こっちはお前の顔傷付けないように気を遣ってんのに、お前は俺の顔狙うとか。非情すぎんだろ」
「これでも大事にしてんのに」、と片手を顔に掲げるリンドウ。
軍服の丈夫な生地は肘から先が裂け、赤く滲んでいる。手から滴る血が、ぱたぱたと地面に落ちた。
「全部そっちの都合だろ」
アサヒが短く言い放ったときだった。
路地の脇から一瞬、細い光の筋が走った。
ガス灯の光を反射して放たれたのは、一本の矢。
矢は夜の空を切り裂きリンドウへと向かう。
「うおっ」
またもや顔目掛けて飛んできたそれを彼はすんでのところで躱すと、崩した体勢を一歩二歩と整える。
矢の放たれた路地からするりと現れたのはトウヤだった。
息の上がった彼は真剣な面持ちでアサヒの元へと歩む。
「なんだお前もかよ色男! ……お前ら二人が相手とか、もー最っ悪」
リンドウは血が付くのも厭わずに襟足をぐしゃりと掴む。彼は相当に苛立っていた。
「アサヒ! ハツメ嬢は!」
「多分カリンに追われている。……ケイはどうした」
アサヒが重々しくケイの名を呟くと、トウヤは「聞いたのか」と眉をしかめる。
「逃げられた。半信半疑で確認しようと思ったらこの有り様だ。すまぬ」
「謝るのは俺の方だ。ハツメが――」
そのとき。
甲高い女性の悲鳴が響き渡った。
普通の悲鳴でもなければ、普通の響き方でもない。
アサヒが聞いたことのないような絶叫。そしてその響き方は、地上ではなかった。
「この反響の仕方……地下か?」
最初に動いたのはリンドウだった。
悲鳴を聞いて瞬時に顔色を変えた彼は、アサヒとトウヤを置いたまま駆け出し、脇道にそれる。
二人が急いで追えば、既にリンドウの姿はなかった。
あるのは、彼が開きっぱなしで行ったのだろう、隠し階段の入口。
その隠し階段――地下迷宮へ下りる道は、地の底へ二人を導くように。
不気味なほど無防備に、その暗い口を二人に向けて開けていた。
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