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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百三十二話 忌み地の少女 一

過去の回想が二話続きます。

今話、中間でシャラの地下迷宮ができた理由と内乱の背景についてつらつらと書いていますが、話の筋的には飛ばして頂いても構いません。

また、残酷描写はありませんが今話に関しては良い回想ではありませんので苦手な方はご注意下さい。

 少女の最初の記憶は、人から奪った食べ物を貪るという酷いものだった。

 他の人間から奪われないうちに急いで嚥下する。

 味なんて分からない。分かっても、きっと不味い。


 物心ついたときにはシャラの貧民窟で生活していた少女は、毎日昼夜一人、本能のまま生きていた。



 誰かといたことがないため孤独というものすら知らなかった。

 そんな彼女が初めて声をかけられたのは、六歳のときだった。


 声をかけたのは彼女の三つ上の、今の兄貴分だ。彼が言うには、彼女以外にも貧民窟には孤児(みなしご)が多く、身を寄せ合って生活しているとのことだった。

 自然と少女もその仲間に加わり、誰かとの生活が始まった。


 当時は年長ではなかった兄貴分だが、体格とともに頭も良く、年上からも頼られることが多かった。特に貧民窟では文字が読める人間というのは貴重だったため彼は重宝されていた。少女もまた、彼から読み書きを教わった口だ。



 それからしばらくが経ち、孤児(みなしご)同士での生活を経て、彼と同じように少女もまた姉貴分として見られるようになった。元々の性格に合っていたのか悪い気はしなかったため、そのまま兄貴分と孤児(みなしご)たちの面倒を見る毎日を送っていた。



 とある日の夜こと。


 少女は一人の男児を拾った。どんな晩だったかは覚えていないが、雨が降っていたことは覚えている。地上の雨が貧民窟の天井を叩く音が聞こえていたし、その弟分となった二つ下の男児は全身雨に濡れていたからだ。


 虚ろな目で貧民窟の路地を歩く華奢な男児を見て、地上からきたのだな、と少女は思った。雨に当たっていたからという理由だけではない。彼の身なりは悪くなく、むしろ男児にしては可愛らしすぎるほどだったからだ。どこか裕福な家にでもいたのだろう。周囲の人間に高価そうな衣服を剥ぎ取られる前に、少女は彼を保護してやった。


 そのうち無意識に媚びてきた弟分を説教すると、彼は今度「姐さん姐さん」と後ろをくっ付いてくるようになった。それは色目を使った媚びとは違ったので、彼女も気にせず連れ歩いた。



 一緒に孤児(みなしご)たちをまとめていた兄貴分と、自分にくっ付く弟分。

 少女が特に固い繋がりを持っていたのがこの二人だった。




 不毛の地シャラは、昔から鉱山資源だけは豊富だった。


 その鉱山資源に目を付けた権力者が労働者を連れてつくったのがこの街なのだが、いかんせん作物は育たない。鉱業で得た富とわずかな食料を権力者は抱え込み、労働者は劣悪な環境の中働かされ、物のように扱われた。

 

 そうして人から呼ばれるようになったのが『忌み地』という蔑称だった。

 植物が育たない、ゆえに空気が悪いというだけでなく、毎日のように人が使い捨てられ死んでいく。

 表立つことはなかったが人身売買も行われるほど治安は悪かった。

 穢れた地として、周囲からは蔑まれた。



 地下迷宮、すなわち当時の貧民窟はそんな環境の中で生まれた。


 はじめは小さな穴。それが人が増えるにつれ広がっていく。逃げた者を連れ返すため、あるいは人身売買に利用するために人狩りが来れば、穴は掘り進められ、迷路のように複雑に絡んでいく。

 地中に住む者が逃げられるように抜け道や隠し通路まで造られたそこは、長い期間をかけて地下迷宮となった。

 

 ちょうど少女たち三人がいた頃、地下迷宮は大きな貧民窟を形成していた。鉱山労働から逃げ出した者や、貧しさや何らかの理由で地上での住処を失った者が集まり、常に飢えや人狩りと戦う場所。

 彼女たちはそういった世界で毎日を生きていた。



 貧民窟で暮らしていた彼女たちは食べていくだけで精一杯だったが、それすらも難しくなる事態が起こる。権力者同士の抗争だった。


 元々、限りある食料、財は権力者たちのもの。にもかかわらずそれにすら満足できなくなった彼らはぶつかり始めた。一方は国から任命されていた軍の高官。そしてもう一方は鉱業によって莫大な富と権力、そして密やかに武力を得ていた商人たち。


 孤児(みなしご)たちとは全く関係のないところで始まった抗争だったが、彼らの唯一の住処だった貧民窟は脅かされる。街中に張り巡らされた地下迷宮は暗い使い道には便利だったし、双方、兵を一人二人でも増やそうと人狩りが増えていた。


 戦時中では食料も更に限られる。地上では権力者の次に兵士に食べ物が行き渡るという。

 住処を侵され、飢える仲間が出てきた頃。

 彼女たちは地上に出た。自らの食料を得るため、兵士を志願したのだった。


 向こうからすれば使い捨ての兵士だ。扱いは良いものではなかったが、少なくとも飢えることはなくなった。その代わりだが、戦闘が起これば帰ってこない仲間が増えた。


 元々地下迷宮に精通した彼女たちはその利を目一杯利用しながら戦い続けた。

 命のやり取りを怖いと思ったことはない。

 飢えと人狩りへの恐怖が戦に変わっただけだった。




 そうして三年間、シャラでの内乱が続いたとき。


 国が所詮忌み地と内乱を放置していたシャラに、都からの本格的な派兵が決まった。

 理由としてはシャラよりも都に近いカラミでの鉄生産が底をついたということだった。

 内乱に手こずっていた軍の高官はほっとしただろう。


 シャラの商人たちの下で買われていた彼女たちは逆だった。


 都からひとたび派兵が決まり、平定が始まれば。

 内乱の幕切れはあっという間だった。


 運良く殺されず、捕まった彼女たち。

 何の才か最後まで戦い抜いた三人は同じ収容施設に入れられた。


 戦が終われば戻ってくる、飢えへの恐怖。人狩りへの恐怖。


 貧民窟から出ても、地上にだって光などない。

 薄暗い部屋の中、何を待っているのかも分からない日々が続いた、ある日のことだった。



 三人の軍人が収容された少女たちの元を訪れた。

 彼女たちが座り込む暗い部屋に、廊下からのランプの光が射す。


「これかぁ、行き場のない孤児(みなしご)って奴らは」


 頭を少しぐらつかせながら品のない笑みを浮かべる一人の男。

 軍服をまとった健康そうな男たちは、酒に酔っているらしかった。


「本当に、どうするつもりなんだろうな」

「何するにも金かかるしなぁ。食料ももったいない」


 他の二人も面倒臭そうな軽い様子で男の言葉に合わせる。


「金なぁ。……なあ、こんな忌み地の孤児(みなしご)、一人くらい減っても誰も気付かないよな」


「まあ仮に気付いたところで気にしないだろうが……何するつもりだ」


「ちょっと一人もらおうかと思って」


 そう言ってにやにやと笑う男が手を伸ばした先は――少女の弟分だった。


「や、やめ――」


 抵抗する華奢な少年を引きずろうとする男に仲間の一人が気だるそうに声をかける。


「趣味悪ぃぞ」


「俺じゃねぇよ。こういうのが裏だと一番高く売れるんだよ……ほらっ立て!」


 腕を乱暴に掴み無理矢理連れて行こうとする男に、少女の弟分は短く悲鳴を上げる。


 ぼろぼろと泣きだす弟分と目が合えば、


 少女の身体は自然と動いた。



「うわっ、なんだこいつ! 抵抗し――」


 少女は男に掴みかかると、弟分から引き離す。

 二人とも床に転がり、もつれ合い、彼女が男に馬乗りになる。


「ふざけんなクソガキ!」


 男が腰の剣を抜こうとしたが――剣はなかった。鞘だけだ。


 少女はもつれ合う間に、男の剣を抜き取っていた。

 やらなければ、やられる。そう思った少女は両腕で柄を握ると、男の胸に刀身を一突きした。


 ためらいなど、なかった。


「は……?」

「おいおい」


 男と共に来ていた二人の軍人は、それで一気に酔いが醒めたようだ。


 片方の男が少女を突き飛ばし、今度は彼女が馬乗りにされる。


 もう一人の男も動いたが、それを止めたのは少女の兄貴分だった。

 立ち上がった彼もまた男と取っ組み合いを始めた。



「調子に乗るなよ、忌み地のガキが。お前らの命ぐらいいくら消えても――」


 仰向けで転がる少女にそう吐きながら、男は彼女の首を片手で押さえた。

 息苦しさに自然に涙がこぼれる。


 殺気立った男の顔を見つめながら、もうどうやって生きたらいいか分からないと、少女が諦めたときだった。


 廊下から漏れる橙の光が何かに遮られ、少女を睨む男の顔に影がかかる。


「どうしたの? 随分と騒がしいけれど」


 少女の耳に、甘い、少年の声が響いた。

お読み頂きありがとうございます。

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