第百三十話 三剣将ともう一人の話
四人が部屋でくつろぎ始めてから少しすると、ケイがユーマと呼んでいた男が部屋に来た。茶器一式と果実が盛られた皿、そしてケイが頼んだのだろうハツメの薬を運んできた彼は、机の上でそつなく支度を始める。
茶を淹れた後で彼が黄色い果実を一つ手に取れば、ケイは「剥くのは自分でやるからいいです」と言って、彼を帰した。
帰り際、机に移動していたハツメが男に礼を言うと、彼は何も言わないまま小さく頭を下げただけだった。
男が戻ると、ケイは彼が持ってきた小さな包丁を右手に取る。枇杷の身を器用に剥いていくケイにアサヒが話しかける。先程までの話題だった、軍閥に関しての続きだ。
「そうすると前に荒野の街で言っていた、都の飲み屋には男しかいない理由というのは、軍人が多いということか」
「わ、すごい。お察しの通りです。軍人が出入りする飲み屋に行くのを普通の人は控えるので、飲み屋には軍人……つまり男ばっかりになります」
「まあ、ある程度住み分けはされているんですけどね」とケイは言う。手元では熟れた枇杷の皮の端をぺらりと持ち、実とは別の皿にそれを移していた。
「軍人向けの飲み屋も様々ですよ。新兵、中堅、階級持ち、それとここでも家柄によって、使う飲み屋も格で分かれてきます」
どうやら錫ノ国の軍は三人の想像以上に上下関係が厳しいらしい。それでも軍人だというだけで国民全体からみれば強い立場なのだから、人数が減らないのは納得のいくことだ。
ただ、アサヒには一つ疑問があった。
「そんなに家柄が重視されるのに、例の三人はここの貧民窟出身なんだろう。大将とか中将になれるものなのか」
「カリンさんとエンジュさん、それともう一人は第一王子の側近ですからね。もちろん実力がないとなれないんでしょうけど、きっかけは主の力が大きかったんだと思いますよ。あの三人はどこの軍閥のことも毛嫌いしてるし、これまでの軍からいっても相当変わってるんじゃないでしょうか」
そう言いながらケイは剥き終わった枇杷の一切れを口に入れる。「うん、美味しい」と頬を緩めると、机向こうのハツメに向けて剥かれた枇杷をのせた皿と薬を差し出した。
立ったまま壁にもたれて話を聞いていたトウヤが、「ケイ」と声をかける。
「大将は三人いたな。三剣将だったか。もう一人、アザミというやつはどうなのだ」
「ああ。その人は軍閥の推しで大将になった人ですよ」
ケイはさらりと答えた。
「シンが前に『神童』と呼ばれている、とか言ってたな」
アサヒも枇杷を一切れもらいつつ言う。
「『神童』ですか。先代の大将だった父親を継いだだけですけれど、まあ、その辺の人よりは強いんじゃないですか」
「詳しいな」
「軍閥の関係で」
そう言うとケイは椅子から腰を浮かせて、ハツメの前の枇杷へと手を伸ばす。ハツメが少し皿をケイの方に動かすと、ケイの大きな目が嬉しそうに細まった。
旬の枇杷を堪能しながら休んでいると、外はいつの間にか日が傾いていた。部屋の窓の外を見れば、赤に染まっていく白く均整な街の夕映えが広がっている。
薬のおかげか空咳も落ち着いたハツメがゆったりとした気分でそれを眺めていると、ふと窓の下の路地に目がいった。一人の女性が背伸びをしながら両腕を伸ばし、ガス灯の灯を付けようとしている。
「あれ? 女の人がガス灯を付けてるわ」
「ああ。シャラの街は女の人がガス灯を付けるんですよ。普通は『夫』と書いて『点灯夫』と言いますけれど、ここでは女の『婦』を使って『点灯婦』と呼ぶんです」
「へえ。どうして?」
ハツメが興味深そうにケイを見ると、ケイはあからさまに顔をしかめた。
「理由……知りたいです?」
「ええ」
ケイがそんな顔をする理由が想像できず、純粋に頷くハツメ。
対してケイは三人に少し言い難そうに口を開いた。
「ガス灯が付き始めるのって日暮れ前でしょう。その時間帯って……その、リンドウさんが街に繰り出す時間帯で。そのときに男がガス灯を巡ってうろうろしてるのって、あの人からすると見映えが良くないらしいんですよ。だから女の人になった、という話です」
「……」
「嘘だろ」
黒い瞳を丸くして驚くハツメの横で、無表情のアサヒがケイに返す。
「ほんとです」
「ろくでもないな」
「あたしもそう思います」
ろくでもないというトウヤの言葉に苦笑しながらも淡々と言葉を返すと、ケイは少し真面目な顔になる。
「でも。それで女性の外での仕事が増えたのは確かですし、錫ノ国で女性が公的な仕事をできるのって珍しいんですよ。カリンさんがいるのも大きいですけど、そういうのもあってこの辺りでの女性の地位は高いんです」
そのろくでもない本人はそんなこと考えてないと思いますけど、とケイは再び眉根を下げた。
その頃、夕日が刻々と沈んでいくシャラの一角で。
くしゅん、と小さいくしゃみをする男がいた。
「あら、リンドウくん。風邪?」
男の左隣りを歩く美人が彼を見上げる。
「いや。病とかかかったことないんだけどなー。……おっ。点灯婦のお姉さん」
対する男は軽い口調で返すと、路地の先でガス灯に両腕を掲げる女に目を付け、にやりと笑う。
「良いよなー。ああやって頑張って腕を伸ばしてるの見ると、ちょっかいかけたくなる」
「嫌だわリンドウ様。私たちがいるのに他の女を見るなんて」
ここで口を開いたのは彼の右隣りの女。こちらは綺麗というより可愛いといった印象の女子だ。
彼女もまた言葉とは裏腹に実に楽しそうな、冗談めかした話し方だった。
「それはしつれい。……でもあれだよな、なんで人間って腕が二本しかないんだろうな。一度に二人しか抱き寄せられない」
彼が芝居がかった喋り方で二人の腰に手を回すと、彼に捕まった両手の花はくすくすと笑う。
「まぁ欲張り」
「でもリンドウくん。その台詞、少し寒いわよ」
「あー、やっぱり?」
その男と女二人は、ガス灯が煌きだす夕暮れのシャラの街を愉しげに歩いていく。
彼らの上には紺色の夜の帳が下りようとしていた。
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