第百二十九話 地下迷宮
暗く湿った通路をひたひたと歩く。風はなく、淀んだ空気に満ちたこの地下にランプはない。時々みられる天井の明かり取りから、細い光が弱々しく入るだけだ。何もなしでは歩けない、闇に落ちたようなそこを四人は進む。先頭を行くケイの手には小さな携帯ランプ。旅荷の一つとして最初から持っていたものだ。
シャラの地上の出入りが全て監視されているのを察した四人は、ケイの話から地下よりシャラへと入ることにした。街はずれのとある建物の裏から地下に降りた四人の前に広がったのは、入り組んだ地下通路。
通路の四方は土がむき出しであったり石で覆われていたりと統一感はなく、道の狭さもところどころで変化する。不思議な間隔で分岐路が現れる。街を構成する全てのものが緻密に配置された地上とは真逆に、地下のここは不均一で歪んだ空間。
それが、シャラの地下に広がる地下迷宮だった。
「どこまでも続いてるみたい」
アサヒの背から降りたハツメが言う。小さく漏れた声は反響することなく、周囲の闇へと溶けていった。アサヒの足元も安心できない暗い中では背負われている方がかえって危険だったため、彼女は地下に入ってからは自分の足で立っていた。
「この地下通路。街中に張り巡らされていて、抜け道、隠し通路、隠し部屋。何でもありますよ」
「人はいないんだな」
「滅多には。変に入ると出られなくなって、野垂れ死にますから」
アサヒの言葉にケイは苦々しい顔で笑う。
確かに雰囲気としては、冒険の好奇心をくすぐる迷路というわけではなかった。戦場の後に感じるような現実的な死の香りがする。
「どうしてそんなのがあるんだ」
「忌み地時代の遺物です。貧民窟だったんですよね、ここ」
ケイはそう言うと、右手に見えた階段の前でぴたりと止まる。地上へ続いているだろう上り階段を確認した後、アサヒたちの方を見る。
「ちょっと待ってて下さいね。絶対大丈夫なんですけど、泊まれるかだけ一応確認してきます。どっか行かないで下さいよ」
ケイは強い目力で三人に念押しすると、音を立てずに階段を上がっていった。
ケイの姿が見えなくなった後。
けほけほ、とハツメが咳をする。彼女が特に意識することなく、横の石壁に手を付いたときだった。
「――っ!」
咳の余韻で声を出せないまま、彼女の身体が石壁の向こう側へと消えそうになる。
「ハツメ!」
闇に吸い込まれるようにハツメが壁向こうに体勢を崩したとき、アサヒが彼女の腕をがしっと掴む。
下から吹く冷たい風が、静止したハツメの背をなぞる。
間一髪で、ハツメは壁向こうの穴に落ちずに済んだ。
「大丈夫か、ハツメ」
「ごめんアサヒ。……びっくりした」
アサヒによって安全な通路側に引っ張られたハツメは、恐る恐る後ろを振り返る。
石壁は何らかの仕掛けで一部分が回るようになっていて、通路の向こう側は穴になっているようだった。深くはない……と思いたいが、真っ暗で何も見えない。
「隠し通路……通路かどうかも分からぬな」
二畳ほどの広さの穴を覗きながら呟いたトウヤも含めて、三人は安堵と恐怖が入れ混じったような表情で顔を見合わせる。
「わっ、大丈夫ですか? 変な仕掛けでも押しちゃったんでしょうか。気を付けて下さいね。こういうの一方通行だったりするんで」
階段の方を見れば、ケイがこちらに戻ってきていた。半分ほど開いた石壁の仕掛けを見て察したらしい。
「恐ろしいわね」
地下迷宮の怖さを身を持って知った三人だった。
階段を上り、四つん這いになって小さな木戸をくぐると、日陰になっている小さな路地に出た。ケイは辺りを見まわしながら木戸からすぐの民家の裏戸を開ける。四人が民家に入りきれば、すぐに戸を閉め、鉄製の錠を掛けた。
「戻りました」
「おかえりなさいませ、ケイお嬢様」
四人を出迎えたのは老年の男だった。地味な衣に身を包んだ痩せ身の男。頬のこけ方は病にかかっているのではと思うほどだが、眼光は病人の弱々しいものではなく、むしろ武人に近いそれだった。
男の恭しい物言いにハツメが思わず口を開ける。
「お嬢様……?」
「ユーマ。今のあたしはただの旅芸者です」
男の態度に特に気を良くするでも悪くするでもなく、慣れたように話すケイ。
男が無言で一礼すると、ケイはそのままハツメたち三人を連れだって民家の二階に上がる。
階段も外壁や内装と同様に石灰岩でつくられている。白くざらついた階段を一段一段登りながら、ハツメはケイに話しかける。
「ケイの家の人?」
「いえ。実家繋がりの、ただの知り合いです」
「それにしてはずいぶんと改まっていたな」
「面倒なんですよ、軍閥とか家柄って」
アサヒにも言われると、ケイは堅苦しくてかなわないといった顔で片手を軽く振った。
ケイ曰く。
錫ノ国も他の国と同様に身分制度はないが、立場の強い弱いはあるということだった。
頂点に立つ王族は抜きにして、錫ノ国ではつまるところ軍人が最も偉い。軍人のいる家が強い。
そして軍人の中でも家柄で上下関係があり、ケイの実家は家柄が良く上の方なのだそうだ。
「じゃあケイは軍閥名家のご令嬢ってことで、周りはああいう態度なのね」
「そうですね。家柄なんて実際面倒……なんて、下のあの人に聞こえたら駄目なんですけど」
二階の一室に入った四人は旅荷を置きつつ一息つく。ここはハツメの部屋にしていいとのことだったため、彼女は一段高くなった寝床の綿布団の上に腰を下ろした。座ってから気付いてしまったが、高価な寝具だ。これもケイの家柄によるものだろうか、とハツメは恐縮な思いだった。
「軍閥と派閥は同じものなのか。その、第一夫人派とか第二夫人派とかあっただろう」
ハツメの側の木椅子に腰掛けたアサヒがケイに問う。
「意味合いとしては、それとは別ですよ。当然軍閥が同じだと派閥も一緒だったりしますけれど、元々軍閥のあったところに派閥ができた、という感じです。第二夫人派に行くために軍閥を移ったっていう家もちらほらありましたしね。逆も然りですけど」
「ケイの家は……?」
「どっちにも付いてませんでした。王妃同士のあれこれには一切触れませんでしたね」
ハツメやアサヒに向かい合うように座ったケイが、にこにこと笑う。小さな身体は二人と机を挟むと、両手を使って頬杖をつく。
「だからあたしがみなさんと一緒にいるのは、第一夫人とか第二夫人――アサヒさんのお母さんとは関係ありませんので、安心して下さいね。あたしがそうしたいだけ」
そう言うとケイはハツメをじっと見て、可愛らしく笑った。
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