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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第四章 錫ノ国編
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第百二十八話 シャラへ

 翌日からアサヒはハツメを背負って歩いた。ハツメの体調不良の原因がこの『忌み地』と呼ばれる土地の空気だとすれば、少しでも長く留まることは得策ではない。背負ってでも早く抜けた方が良いはずだ。


 そのことをハツメに話せば、彼女は力なく頷いた。けっして優しさだけで言っているのではないと、ハツメにも分かっていた。


「シャラの中はここよりましだと思うんです。環境は整ってるし、薬もあるはずなので……どうしましょう」


 ケイが不安げにアサヒを見る。


 ハツメの体調を考えれば、大きい街だというシャラで回復を待った方がいい。だがシャラに長くいればいるほど、錫ノ国の軍と接触する危険性は跳ね上がる。ケイはそう話す。


 アサヒもまた同様に思案していた。


 先日異能の力で見た国王の口からも『シャラ』の言葉が出ている。彼が言っていたシャラに向かっている人物というのはおそらく自分たち――国王の目的を考えれば、ハツメのことだ。行き先を知られている以上、本来ならばそこに留まるわけにはいかないが――


「アサヒ」


 難しい顔で考えるアサヒの背中から声が聞こえる。止まらない咳で痛んだ喉から絞り出した、掠れたハツメの声。


「私のことは気にしなくていいから。……置いていってもいいから、アサヒは早くお母さんのところに行って」


 その言葉を聞いて、アサヒは悩んでいたこと自体が馬鹿らしくなった。


「できない。……シャラに泊まれるか、ケイ。ハツメが元気でいなければ旅自体意味がない」


 一番大事なものなど、最初から決まっていた。


「分かりました。私も一番大切なのはハツメお姉ちゃんですから。信用できる知人に頼ってみます」


 ケイの心配そうな暗い表情は変わらなかったが、それでも嫌がる素振りもなくアサヒの返答を受け入れた。




 歩くにつれ、木々が増えてくる。森というには年数が短く未成熟。しかし整えられた土に根を張る成長途中の若木たちの姿に、アサヒは心なしかほっとさせられる。用水路を流れる水のせせらぎが遠くに聞こえていた。


 植樹林を抜ける途中、空には大きな白煙が長くたなびいているのが見えた。雲のように広範囲だが、地面からの距離を考えると煙に近い。シャラに近付いているのだと、ケイは言った。




 四人が成長の進む植樹林を抜けると、眼下、広大な山裾にその街はあった。


 道の一本一本が計算し尽くされたように過不足なく通され、錫ノ国の白い建築物が整然と立ち並ぶ。

 これまでの道程からは想像できないほど色彩は豊かだ。

 街中に緑がちりばめられている。

 大きな堀に囲まれた巨大庭園もあり、その中には果樹園も見られる。


 そこに不思議と調和するようにそびえるのが、天に延びる銀色の塔だった。

 海ノ国で見た七階建ての書庫よりも高く、日光を反射し艶々しく輝いている。

 塔の上部からは白煙が絶えず上がっていて、雲ひとつない快晴の空へと流れている。


 聞いていた『忌み地』の名にそぐわない、美しい街だった。


 人の手によって緻密に造られた美しさに、アサヒは思わず感嘆の息を吐いた。


「ハツメ。大変だろうけど……見えるか?」


 アサヒは少し身体の角度を変えて、彼に背負われたハツメからもよく見えるようにする。


「うん。凄い……ありがとう、アサヒ」


 アサヒの首に腕を回しおぶさっているハツメが、頭をこてりと傾ける。彼の黒髪に自分の頭をくっ付けながら街を見下ろすハツメは相変わらず苦しそうだったが、その瞳は感動できらめいていた。


「すごいでしょう。これ、ほんの十年ちょっとで造られたんですよ」


 ケイが街の光景に圧倒される三人を見て、小さく微笑む。


「『忌み地』だったと聞いていたが……とてもそうとは思えないな」


「はい。今はもうその言葉を表立って使うのは古い人か、嫌味でくらいです。不毛の地だったここは、今や錫ノ国の第二の都と呼ばれています」


 アサヒの言葉にケイはゆっくりと頷くと、眼下に広がる街並みを見下ろした。


「この街を造ったの、イチルさ……すみません、第一王子なんですよ。当時十二歳だったあの人が、三年続いた『忌み地』での内乱を終わらせて、約十年かけてここまで大きくしたんです」


 「正直すごいですよね」と呟くケイに、アサヒやトウヤも内心同意する。


「隠すことでもないので言っちゃいますけれど。みなさんって第一王子の側にいる、大将のカリンさんとエンジュさん、あともう一人中将で、ちょっと変な――」


「リンドウってやつだな」


「ああ、そうですそうです。会ったことあるんですね」


 若干の嫌悪が見えるトウヤの表情を見て、ケイが苦笑する。


「その三人、ここ出身なんですよ。シャラが『忌み地』と呼ばれていた頃の、貧民窟の出身なんです。……この街を歩くのはおすすめしません。あの人たちの味方しかいないと思って下さい」

お読み頂きありがとうございます。

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