第百二十二話 荒野の町 一
峠を下り数日歩くと、土っぽく乾いた空気になってきた。
早朝。他の三人よりも一足先に起床したトウヤは岩場を登り、眼下に広がる景色を眺めていた。
錫ノ国の国土が荒野ばかりというのは本当らしい。
国土の中央部に入るにつれ茂っていた緑は少なくなり、今は土埃で薄っすらと揺らぐ赤茶けた大地が広がっている。遠目には森も見えなくはないが、これまで旅してきたどの国よりも少ないことは明らかだった。
だが荒野にも春は訪れるもので、彼の足元には白に近い桃色の花が岩の隙間から細い茎を伸ばして咲いている。小さな花がいくつも寄り合って球をつくったような形が可愛らしい。
ふと。頭上をちらついた影に彼は空を見上げた。顔にかかった前髪を軽く払いよく見れば、鷹が一羽飛んでいた。昇った朝日から遠のくように、からりと晴れた天を真っ直ぐに翔んでいく。
大地といい空といい、これはこれで絵になるものだ。
人にとって生きやすいかどうかはともかく、自然はいかなるものも美しいのだと彼は再確認した。
「早いなトウヤ」
背中にかけられた声に振り向けば、アサヒが起きて来ていた。
「アサヒか、おはよう。ハツメ嬢とケイはまだか」
「いや、ケイは起きたみたいだ。朝支度じゃないか。ハツメはまだ寝せている。ここずっと歩き通しだし、無理に起こすのもな」
そう言いながらトウヤに歩み寄ったアサヒは彼の足元に視線を移す。顔には出ていないが気になったのだろう。この花は小ぶりながらも辺りに強い芳香を漂わせていた。
アサヒは花ノ国のときから花の香りが苦手になっていたはずだ。少しだけからかってやりたい気持ちを押さえつつ、トウヤは口を開く。
「確かにそうだ。今日やっと大きな町に着くとケイは言っていたか」
「はい。今日一日歩いて、夕方には着くと思いますよ」
アサヒに続いてケイも岩場を登ってきたようだ。ふあ、とあくびをしながらケイが二人に歩み寄る。
眠そうだが、すでに目や口には艶っぽい赤紅が丁寧に塗られていた。
「結構大きい町なので、着いたらちょっとゆっくりしましょう。なんか、美味しいもの食べたいです」
予定の町には、日が山脈に隠れ始めたときに到着した。
海ノ国との国境辺りでは一番大きい町というだけあって、確かに今の時間でも人通りは多く、帰宅する者だけでなくこれから遊びに出掛ける様子の人たちも多く見られた。
建物は白い石造り。一階建ての家もあるが、一番多いのは二階建て。
錫ノ国の文化が流入したという海ノ国で見た、石造りの民家と同じ様相だった。
そんな建物がずらりと立ち並ぶ、町では大きめの通りを四人は行く。
踏み固められた赤土の上を歩きながら、ケイは真面目な顔で口を開いた。
「軍人がいないのはありがたいですね。普通なら何人かは見かけるんですけど」
戦のため海ノ国に多数出兵したからか、ほとんど軍人は出払っているようだ。
実際軍服姿の人間は一人もいなかったし、戦士のような雰囲気の者も見当たらなかった。
「だが近いうちに戻ってくるだろう。戻ったら動きにくくなるな」
「そうですね。色々楽しむなら今のうちですよ」
周囲を見渡しながら話すアサヒに、ケイがにこりと微笑んだ。
「ケイ。あれって何?」
二人の後ろを歩いていたハツメが、通りの端を見やって言う。
彼女の視線の先には建物の一階分ほどの高さに伸びる金属製の細い柱。柱の先には普通のものよりも大きいランプがくっ付いている。ランプなのだから、外灯であることは間違いないとは思うのだが。
「ああ、他の国にはまだありませんもんね。ガス灯です」
「ガス灯?」
「はい。地中と柱の中に金属管を通していて、石炭から出たガスを送ってるんです。一度火を灯せば、消すまで燃えてますよ」
「油じゃないのね。でもその火ってどうやって点けるの?」
ハツメの質問に快く答えているケイが、きょろきょろと辺りを見渡す。
「ああいた。ほら、あの男の人」
ケイが指を差した方向へ三人が視線を移すと、橙の衣を羽織った一人の男が長い竿を一本持ち、ガス灯へ竿の先を伸ばしていた。
「ガスの栓を開けると、火を灯した竿をランプに入れて点火するんです。毎日夕方になるとああやって町のガス灯を回ります。『点灯夫』っていうんですよ、あの人たちのこと」
「ガス灯は提灯みたいに消えませんし、一晩中明るいです」とケイが付け足す。
その言葉を聞いたトウヤは顎に手をやると、神妙な面持ちで口を開いた。
「なんというか、錫ノ国の技術には感服せざるを得んな」
「鉱山資源が豊富ですし、力を入れてますから」
そうこう話しているうちに、夕日に沈む町は煌びやかな光を帯びていく。
夕日の赤い光にとって代わるように、一つ一つのガス灯がはっきりとその存在感を放つ。
その様子をじっと見ていたハツメが口を開いた。
「この光も眩しくて綺麗だけど、山ノ国の石段に並ぶ提灯も素敵よね。光を包んでいて、柔らかくて」
彼女の言葉に一番反応したのはトウヤだった。
「それは嬉しいな、ハツメ嬢。確かにあの光景も美しいものだ。……うむ、そうだな。素直に嬉しい」
予想以上に嬉しい言葉だったのか、トウヤは片手で口を覆うと言葉を無くす。
いつもは余裕を感じさせる眼差しもわずかだが揺らいでいて、少し珍しい様子の彼だった。
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