第百二十一話 左遷の理由
彼は待った。
すぐに行動を起こしてしまえば、怪しまれるのは自分だけではなかったからだ。
相手の男を見ると我慢が聞かなくなりそうだったため、宮殿にも軍にも、以前にも増して顔を出さなくなった。
自室と、毎日違う女の部屋との往復。
彼にとってはいつも通りの生活の中、胸にはいつも冷たい殺意が満ちていた。
その殺意を表に出したのは、カリンと大将二人の一件があってから一ヶ月後。
取り立てて何もない、何でもない夜だった。
翌日の晩、錫ノ国では緊急の軍議が開かれた。
少将から上の階級の者が集まる会議。にもかかわらず、大将が二人、見当たらない。
リンドウの姿もなかったが、彼は軍議に出たことがないためそれを気に留める者はいなかった。
「今日父様は籠っているから、私が仕切るよ」
そう言って軍議を始めたのは当時十九歳のイチル。まだ少年期の若々しさが残る青年は、穏やかだが淡々と軍議を進めていく。
本題は軽々と彼の口から出た。
――昨晩大将二人が死んだ。
彼がその旨を伝えると、ざわり。軍議室がどよめく。
反応を見れば、そのことを知っている者とそうでない者がはっきり分かった。
知らなかったカリンとエンジュは目を見張ってイチルを見る。
だがイチルはあえて二人を見ないように、言葉を続けた。
「ちょうど二人とも王都の自宅に帰っていたみたいで、二人の家族も含めて全員亡くなったって。代わりの大将は後で決めるんだけど、それにあたって先に人事異動しようと思うんだよね」
落ち着かない場を抑え込むように、イチルは一句一句はっきりと、だが流れるように人事の配置換えを読み上げていく。
少将、中将と無難なところで配置が変わり、少将からは二人、中将に格上げになった。
大将を決める際の前もっての補充に違いない。
リンドウではない、別の人間だ。
彼の名前が出たのはもっと後だった。
「リンドウくんは……花ノ国の国境付近に行くんだけど、本人がいないから詳細は省くね。あとは……」
他の名前に埋もれるように、イチルは彼の名前を読み上げた。
カリンとエンジュ以外の人間はさほど驚かなかった。花ノ国の国境付近といえば山脈以外何もない、辺境の地。戦闘能力は高いリンドウだったが、あまりにも悪目立ちする彼はいつ左遷となっても不思議ではなかった。
そのまま事務的に異動の話が終わると、軍議は解散となった。
大将二人が死んだというのに、なんともあっさりとした軍議だった。
「イチル様!」
軍議後。他の人間がいなくなった軍議室で、カリンとエンジュがイチルに駆け寄る。
「なに? カリンちゃん」
「リンドウが左遷とは……」
「うん、残念だけど発表のままだよ。私は気にしないけど、彼の素行あんまりみたいで。宮殿内ならまだしも都下でも問題起こすからね、彼。僻地で少しでもあの悪癖が治ればいいね」
少し困ったように笑うイチルの言うことはもっともで、カリンとエンジュは何も言えなかった。
ただ身内が申し訳ないと、二人は頭を下げた。
その日の夜、皆が寝静まった後のことだ。
宮殿内にあるイチルの自室に、リンドウは呼び出しを受けていた。
「ご迷惑をお掛けしました、イチル様」
革張りの椅子にゆったりと腰掛けて肘を付くイチルの横で、リンドウは頭を下げた。
「いや。リンドウくんのさ、自ら手を汚すのを厭わないところ。私は好きだよ」
頭を下げたままのリンドウに、イチルは優しく語り掛ける。
「今いる父様の代の古株は邪魔でしかない。もう少しして軍の実権が私のものになったら、いずれにしても大将は代えるつもりだった。……でもね。今回のリンドウくんの行動は時期尚早だったし、やり方がね。君は自分の処分とかはどうなってもいいと思ってたみたいだけど、カリンちゃんやエンジュくんだって君のこと考えてるんだから。もちろん私も」
不審がられないように左遷させたのも苦労したんだよ、とイチルは言う。
「顔を上げてよ」
甘く穏やかな主の声に、リンドウはゆっくりと顔を上げる。
珍しく硬い表情の彼に、イチルは柔らかい笑顔を向けていた。
「こっちは大丈夫だから、しばらくの間王都を離れていて。その間に大将殺しの件はなんとかするし、私も軍の実権を握って、君たちにとって居心地良いところにするつもりだよ。そうなったら、君をまた迎えてあげる」
その言葉にリンドウは静かに目を伏せると、主の横に跪く。
「これだけしてもらってまだ我儘を言いますけど、兄さんと姐さんには俺がやったということ。黙っていてもらえませんか」
そう言って頭を垂れるリンドウにイチルは手を伸ばし、彼の頭にそっと手を添えた。
「うん、いいよ。知られたら気まずいもんね」
「ありがとうございます」
「気にしないで。君たち三人は私の家族だから」
イチルはそのままリンドウの髪を一度撫でると、手を離した。
「さ、明日から大将を殺した犯人探しが始まるから、リンドウくんは今から準備して明朝にはここを発った方が良い。……いってらっしゃい。向こうでは、遊びもほどほどにね」
「いってまいります、イチル様」
イチルとリンドウだけが知る、彼が左遷された本当の理由だった。
それから四年間、リンドウは左遷先の僻地で過ごした。
その間にイチルは軍の実権を握り、死んだ大将の穴には期間を空けた後、エンジュとカリンが入ることになった。頃合いを見てリンドウは中将に昇格。
年に一度顔を合わせられるかどうかの彼らだったが、関係性は変わらなかった。
強風が夜の庭を吹き抜けると、落ち葉が数枚、二人が面していた窓に叩きつけられた。
硝子を叩く乾いた音、視界に飛び込んだ赤茶けた楠木の葉が、リンドウの頭をすっと現実に戻す。
四年前を思い出していた彼が隣を見ると、静かに盃を傾けていた彼の主は目を合わせ、甘い笑みをつくる。
「リンドウくんはさ、私のこと嫌いじゃないの?」
「イチル様。それ、嫌いって言ったら首飛ぶんじゃないですか」
「君たちにはそんなことしないよ。それで、どうなの? カリンちゃんはあの通りだけど」
カリンの名前にリンドウが目を見開くと、イチルは悪戯っぽく笑う。
「私が気付いてないとでも思った? ああでも、リンドウくんのカリンちゃんに対する考え方はよく分からないな」
「それは……俺もよく分かっていないので。……それにしても、イチル様には本当に隠し事ができませんね」
敵わないと思うには立っている場所が違いすぎるが、本当に敵わない。
とはいえリンドウは今を一番気に入っているのだから、敵う必要もないのだが。
「今の姐さんがあるのは全てイチル様のお陰です。もちろん俺も兄さんもです。だから、嫌いとか好きとかでは済ませられません。……イチル様じゃなきゃ、四年も離れたりしませんよ」
視線を手に持つ盃に落とし、リンドウが呟く。銀の冷たい縁に囲まれた円い水面が、彼の普段見せる表情とは異なったそれを映し出していた。
「酔った口が滑ったと思って聞き流して下さい。不敬でお手打ちとか、なしですよ」
「不敬とか。逆でしょう」
ふふっと唇の端を上げたイチルが硝子の盃を差し出す。
リンドウは自然の流れで彼の主に酒を注ぐと、ついでに自分の盃にも酒を満たす。
彼らは無言で目を合わせると、もう一度互いの盃を合わせた。
リンドウは喉元を過ぎていく酒の吟香を味わうと、酔いかけの心地良さに目を細める。
こんな風に主と盃を交わしていることを知ったら、カリン姐さんは羨ましがるだろうか。いや、十中八九怒るだろうな、そう考えて、彼は喉の奥でくつくつと笑った。
お読み頂きありがとうございます。
四話続いた錫ノ国回でした。
次話からは再び主人公組になります。




