第百十七話 国境越え 二
大判の布で丹念に覆われた荷台を見下ろして、ケイは満足気に微笑んだ。
「完璧ですね」
ハツメの目から見ても確かに完璧だった。
荷が積み込まれ、かさばった衣類や化粧道具の角が分かる外見。
これでは誰も、中で男二人が潜んでいるとは思うまい。
「何が悲しくてこんな思いをせねばならぬのだ」
「もう嫌だ。出たい。いっそのこと眠らせてくれ」
荷台の中からトウヤとアサヒのくぐもった声が聞こえる。
悲痛な叫びにも聞こえる二人の声にハツメはなんだか居たたまれなくなり、心の中でごめんなさいとだけ謝った。
「じゃあ行きましょうか。すぐ関所ですから、静かにしてて下さいね。お二人とも」
四人は既に峠を登りきるところまで来ていたため、荷台を引いて登る距離はさほど長くない。
ケイは明るい調子で荷台に話しかけると、意気揚々とその持ち手に両手をかけた。
ハツメも足を踏ん張り、共に荷台を動かす。
横を見れば、ケイは鼻歌でも歌い出しそうな笑顔だった。その足取りは実に軽い。
「ケイ、ちょっと楽しんでない……?」
「いえいえ」
ハツメが後ろの二人に気を遣って小声で話しかければ、ケイはその愛嬌の良い笑みを深くした。
関所はハツメが思っていたよりも簡素なものだった。
今や都同士の往来は航路が中心というから、大きくする必要もないのかもしれない。
関所もまた石造りで、見栄えよりも実を取ったその門の前には門番らしき男が三人立っていた。
男たちはいずれも軍服姿。覚悟はしていたが、濃赤の外套を見れば身が縮む思いがする。
ハツメはこくりと喉を鳴らすと、平然を装ってケイの隣を進む。
門に近付くと、眉間に皺の刻まれた三十代ほどの男が口を開いた。
「そこの女子二人。戦時中に何の用でここを通る」
「はい。その海ノ都での戦の話を聞き付けて、逃げてきたんです」
いつもと変わらない声音でケイが答える。丸い目をぱちくりと瞬かせると、男は怪訝そうに二人の出で立ちを見た。
「何者だ。錫ノ国の人間か」
「はい、セイヨウ出身の旅芸者です。この人は妹分。年は逆ですけど」
「その荷台はなんだ」
男が二人の後ろの荷台を見やると、それに合わせて他の男二人も荷台へと視線を移した。
高まる緊張にハツメが口を結んだのとは逆に、ケイはにこやかに男へと言葉を返す。
「商売道具と旅道具くらいでしょうか。二人分だと多くなって」
「見せろ」
「嫌ですよ。どうして殿方に女の商売道具を見せなきゃいけないんですか」
ケイが不機嫌そうに目を細め口を尖らせると、男は眉間の皺を深くし首を傾けた。
「……逆らうのか?」
男にとっても拒否されるのは意外だったらしい。冷たい空気が峠の頂を流れる。
しばしの無言が続いた後、ケイがくすりと笑った。
「やだなぁ。そちらこそ、どこの家の出でそんなに偉そうなんですかね」
「どういうことだ」
「家柄の上下関係は大切にしましょうねってことです。お互いのために」
そう言ってケイは懐から短刀を取り出した。
門番の男が顔をしかめながら短刀の鞘に目を近付ける。ハツメからはよく見えなかったが、鞘には何やら紋が刻まれているようだ。男はその紋を認めるとさっと顔色を変える。
その様子を見て、ケイは楽しげに紅の付いた唇を開いた。
「ほら。ここにいる人であたしより生まれの良い人っているんでしょうか。この紋は身分の証明。あたしの言葉が信用できないなら、直接家に訴えても良いんですけど」
「……いえ。失礼致しました。どうぞ先をお行き下さい」
「ありがとうございます。なーんだ。身分を明かせばこんな簡単に通してくれるんですね。……まぁ、誰かに何か聞かれた時はこの紋と『ケイ』って名前を言えば納得はすると思いますよ」
頭を下げた年上の男にケイは、あはは、と軽快に笑った。
「行きましょうお姉ちゃん」
ハツメが気が付けば、短刀を見て頭を下げた男に続き、他の二人も頭を低くしていた。
錫ノ国の軍人三人が低姿勢で控える中、ハツメとケイは足早に荷台を引いて関所を越えた。
ケイはまだ十四そこらの未成年だ。鮮やかな化粧で彩られた顔は表情次第で大人っぽく、美人にも見えるが、身体は小さく未成熟。
そんなケイに最敬礼にも近い角度で頭を下げる軍人たちがハツメにはよく理解できず、少し不気味に思えた。
関所を越えしばらく峠を下った後、二人は道を外れた。
周囲に人がいないのを確認し、荷台を覆う布をハツメがめくる。中を覗けば、アサヒとトウヤが酷く疲れた様子で横たわっていた。
トウヤが少し気だるそうに荷台から降り、口を開く。
「通過できたようで何よりだ。無事で安心したぞ」
「ありがとう。緊張したわ」
「それで。秘策というのは使ったのか」
続いて地に足を付けたアサヒが腕の筋を伸ばしながらそう言うと、ハツメはケイを見た。
「そうそう。あの門番に見せていた短刀が秘策だったの?」
「はい、短刀に実家の紋が彫られてまして」
「へえ。見せてもらっていいか」
アサヒが聞くと、ケイは「いいですよ」と懐からそれを取り出した。
三人がケイの手の平ほどの長さの鞘を覗き込むと、真ん中に紋が彫られていた。先が羽状に分かれた楕円の葉が二枚、ぐるりと円を作った形の紋だ。
「錫ノ国は家紋の文化が盛んでして。王族の紋が菊の花なんです。この紋は菊の葉の方ですね」
「ケイの家って一体……」
「私の実家、軍閥の名家なんです。旅芸者やってるくらいなので実家の繋がりなんてもうないんですけどね、使えるところは使わないと」
そう言ってケイはハツメに微笑むと、お茶目に片目をつむった。
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