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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第百十一話 合流

 気が付けば砂浜に向かい海水を漕いでいた。

 意識した途端冬の海の冷たさが身に襲い、ハツメはぶるっと身を震わせる。


「ハツメ嬢!」


 トウヤが岩陰から彼女の元に駆け寄る。ケイも周囲を見渡しながら、そろそろと砂浜に姿を現した。


「トウヤ、ただいま。ケイもありがとう」


 ハツメが陸に上がると、海水を吸って重たかった衣や袴がふっと軽くなっていく。彼女自身どうしたのかと腕を広げ衣を見れば、袖を濡らしていた海水が細かな光の粒となってきらめきながら地に流れていた。純白の光。海ノ神の御心遣いか、とハツメは頬を緩ませた。


 すっかり乾き切り身体が軽くなった彼女は口を開く。


「アサヒは……」


「まだだ。残ってくれたキキョウ殿と会えたかどうか……。岩場を登ってみるか」


 トウヤの言葉にハツメは「ええ」と力強く返した。


 三人が岩場を登る。

 周囲を見渡すと、遠く、舟屋群の通りで錫ノ国の兵たちが集まっているのが見えた。


 兵に囲まれているのは、衣が赤く染まった一人の男子。剣を抜き、一心不乱に刃を振るっている。

 遠目でも分かる、十年以上育ちを共にしたその姿。


「アサヒだ……!」


 誰よりも早くに気付いたハツメが、戦闘中の集団に駆けていく。


「え、行っちゃうんですか?」


「ハツメ嬢だからな。ケイは隠れて待っているといい」


 迷いなく突っ込んでいくハツメにケイが口を開けていると、その様子を見たトウヤがにやりと笑った。

 そのままハツメに追い付かんとトウヤも走り出せば、その背後でケイはむっと口を尖らせる。


「行きますよ。力にはなれないかもですが、お邪魔にはなりません」


 そう言って、ケイもまた二人を追い掛けるのだった。




 ハツメが交戦中の集団に近付けば、アサヒと彼を囲む錫ノ国の兵たちは互いに間合いを図っている最中だった。ハツメが声を掛けるよりも先にアサヒの方が彼女に気付くと、その存在を確かめるように大きく叫ぶ。


「ハツメ……っ!」


「アサヒ!」


 ハツメは彼の声に全力で応えると、敵兵の間を潜り抜け、彼の腕に寄り添った。


 どのくらい戦いここに辿り着いたのだろうか。アサヒの息は上がり、綺麗な色白の顔は汗と血で汚れている。軽傷はみられるが、赤く染まった衣の殆どは返り血だ。他人の血と知って心のどこかでほっとしつつ、どれだけその剣を振るい人を殺めたのかとハツメの胸が痛む。だが今は、無事でいてくれた彼にただ感謝を。


「生きてて良かった……!」


「……ハツメも」


 感極まったハツメを見つめ、アサヒもまた目を細めた。


天宝珠(あまのほうじゅ)を手に入れたの。……私、もう迷わないわ」


 アサヒのためなら、神宝(かんだから)を振るってもいい。そこに相手は関係ないのだ。ハツメにはまだ邪を見定めることはできないが、アサヒへの想いだけは嘘偽りのない確かなもので、彼女自身が信じられるものだった。


 ハツメは天比礼(あまのひれ)を懐から引き抜いた。身体の内側から外へと一振りすると、細かな光の粒が青い絹のように二人を覆う。


 その人智を超えた光景に、じりじりと間合いを詰めていた周囲の敵兵がぴたりと止まる。

 神宝(かんだから)、と誰かが呟いた。


「都から出よう、ハツメ」


「ええ」


 アサヒとハツメはもう一度見つめ合った後、自分たちを囲む敵兵に視線を移す。

 活路を開くため、二人は共に剣を構えた。




 アサヒとハツメが戦う海岸沿いの路地。

 岩場から舟屋の屋根伝いに二人に近寄ったトウヤは高所を活かし弓を引く。一人一人急所を外さず、確実に敵戦力を削ぐ。時には遠目で周囲を見やり警戒する役割も担いながら、剣を振るう二人を助ける。

 アサヒの背後に回ろうとした敵兵のうなじを射抜くと、トウヤは次の矢に手を伸ばした。


 ハツメの()に立ち剣を構えたアサヒを見て、トウヤは自分とアサヒの違いを知った。

 自分はハツメを庇うようにして剣を抜いたが、アサヒはそうではないのだと。

 共に育った二人は隣り合って戦うのだなと、悔しいわけでもないが、ただそのことが頭に浮かんだ。


 トウヤの隣で戦闘を眺めていたケイが小さく口を開く。


「ハツメお姉ちゃん、あんなに剣振るえたんですね。それに、アサヒさんも。あれじゃあまるで――」


 最後に続いた言葉は警鐘に掻き消された。鳴ったのは舟屋群よりも都の中心部寄りのようだが、これ以上ここに留まってなどいられない。


「なんだか芳しくない展開だな」


「早く逃げましょう」


 トウヤは警鐘に顔を上げた兵の喉笛目掛け矢を放つと、アサヒに叫ぶ。


「一番近いのは海岸沿いの出口だが、どうするアサヒ!」


「見張りが多いはずだが突破できるか!?」


「無理矢理でも突破せねばこれ以上は苦しいぞ!」


「分かった!」


 アサヒはトウヤの言葉に同意すると、舟屋群から都の外へと続く道を見やる。

 行こうハツメ、と隣のハツメを見れば彼女もこくりと頷いた。


 ハツメは背後からの追手を牽制するために再び天比礼(あまのひれ)を振ると、アサヒの指し示した道へと走り出す。アサヒもまた駆け出すと、前方を塞ごうとする敵兵を最短の動作で斬り伏せる。


 トウヤとケイもそこに合流し、四人は都の出入り口の一つである海岸沿いの道を駆け抜けていった。




 都を抜けるところではやはり包囲網が敷かれていて、鼠一匹逃さない厳重な配備がされていた。

 途中から目立たないよう道を外れ、木々の合間を来た四人は歩みを止める。


「私が囮になります」


 周囲を警戒する錫ノ国の兵たちを覗きながら、ケイが言った。


「私なら錫ノ国の人間って言えば命までは……ハツメお姉ちゃん?」


 袖が引かれた感触にケイが振り向けば、菜の花色の着物の袖をしっかりと握りしめたハツメが顔を歪ませていた。


「ケイ。それだけは駄目」


「ハツメの言うとおりだ。……絶対に誰も残さない」


 そう話すハツメとアサヒの表情にケイは目を丸く見開いた。後ろのトウヤも苦しそうに眉を寄せている。過去というにはまだ新しい記憶を思い出している三人の様子を見て、ケイは少し視線を彷徨わせると、


「……もう言いませんから。離して下さい、ハツメお姉ちゃん」


 声をしぼませ、俯いた。


「四人で都を出よう。というより、ケイはこのまま付いてきていいのか。俺たちは錫ノ国に行くが」


「錫ノ国ならご案内できます。私も姿を見られてますので、むしろご一緒させて下さい」


 その方が安全なので、とアサヒの言葉にケイは小さく答える。


「じゃあ行くぞ」


 アサヒの先陣で、四人は包囲網へと突っ込んだ。

お読み頂きありがとうございます。

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