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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第百九話 白蛇

 雲が増えてきた。


 朝は一面青々とした晴れ渡る空だったが、日が進むにつれ白く厚みのある雲が風に流されてきた。雲は都や近海の上空を半分埋めるほど浮いているが、綺麗な白だ。太陽は相変わらず照っているし、雨に降られることはないだろう。


 そうやって空の変化を観察するのはトウヤ。彼は今、日頃訓練で使っていた岩場下の海辺にいる。錫ノ国の兵に見つからないよう、死角である岩場の陰に腰を下ろしていた。


 都が危険な状態なのにもかかわらず身を持て余す程余裕がある彼だが、胸中はそうでもない。


「ハツメお姉ちゃん、遅いですよね」


 トウヤの隣にしゃがみこんでいるケイが言った。

 菜の花色の着物に身を包んでいる旅芸者は、開戦の前の晩にトウヤと会ったときの格好そのままだ。しかし、ずっと行動を共にしていたわけではない。




 雨の夜ケイはトウヤと会話をした後、花街に帰ると言って一度は彼と別れていた。

 ケイが再び姿を見せたのはハツメとトウヤが天宝珠(あまのほうじゅ)を手に入れるために研究室を出た直後。ハツメたちが人目を避けて駆け出したところで、背後からケイが二人を引き留めた。


「あたしも連れて行って下さい」


 ハツメたちに追い付くために走ってきたのか、少しだけ息が上がっていた。

 当然連れて行くことなど出来ない。ハツメもトウヤもケイにはしっかり説いたつもりだ。


 だがこの可愛らしい芸者は頑として譲らなかった。


「事情を知ったまま黙って錫ノ国に帰るなんて出来ません。ハツメお姉ちゃんのこと好きですから」


 強気な笑顔でそう言い放つケイは振り切っても付いてきてしまいそうな勢いで、結局二人は連れて来てしまったのだった。




「そうだな。一日経っても戻らないのは遅すぎる。……といっても、四神の時間感覚など分からぬが」


 戻らないハツメを心配するケイにトウヤが返し、海を見やる。こうしてハツメの帰りを待ち始めてからもう一日が経つ。一晩経っても変わらない海水の揺らぐ様に、彼もまた彼女の身を案ずるように口を開いた。


「海ノ神と何を話しているのだろうな。……ハツメ嬢は」






 トウヤとケイがこの会話をしている前日。


 学術院を出たハツメは、トウヤの案内でこの浜辺に着くとすぐに海へと歩を進めた。

 昨晩の夢とミヅハとの会話で天宝珠(あまのほうじゅ)は海にあるとハツメは信じている。


 小石が入れ混じるざらついた砂浜を一歩一歩踏みしめる。足の指の隙間に砂の粒が入り込むが、気にしてはいられない。波打ち際、白い飛沫に右足が触れると指先から痺れる冷たさを感じた。


 ミヅハの最後の一押しで決意は固まっている。

 海ノ神から天宝珠(あまのほうじゅ)を授かる。

 神宝(かんだから)が自分に持つことが許されたものならば、神の意に従って――いや、自分の意思で手に取ろう。そうハツメは思い至った。力を行使するかに関しては、手に入れてから考えようと。


「行ってくるね」


 波打ち際でハツメが振り向くと、トウヤが穏やかな笑顔で頷いた。横に立つケイも口を引き結び、緊張した面持ちで先を見守っている。


 ハツメは二人に微笑むと、再び海の彼方へと身体を向けた。

 ざぶ、ざぶと海水に入っていく。

 刺すように冷たい。冬の海なのだから当たり前だ。

 海中に身を沈めるにつれ、肌の感覚が無くなっていく。身体が重くなっていく。


 だが、それが良いのだと彼女は思った。

 神宝(かんだから)は。人の身に余る力は。


 心地よく手に入れるものではない。


 腹の辺りまで海水に身を浸けた彼女は目を閉じた。自分を受け入れてくれるよう海ノ神に問いかける。気付いてくれるだろうか、そう感じる間もなく。

 変化はすぐに訪れた。


 ぐぐ、と海面の一部が持ち上がるように浮き上がる。不思議と音もなく現れたのは、白い大蛇。


 ハツメを簡単に一飲みしてしまいそうなほどに大きなその白蛇は、一度赤い眼を彼女に向けると身を海面に滑らせる。白蛇はそのままハツメの身体を包みこむと、彼女を巻き込んだまま海中へと沈む。


 白蛇とハツメは、海に溶け込むように消えた。




 消えた次の瞬間から、ハツメのいた海面は何事もなかったかのように凪いでいた。


「ハツメお姉ちゃん、大丈夫なんですか……?」


 信じられない光景を目の当たりにしたケイが呆然と海を見つめる。


「ハツメ嬢は四神に愛された女性だ。……問題ないと思いたい」


 ハツメが天剣(あまのつるぎ)天比礼(あまのひれ)を行使した瞬間を見てきたトウヤの驚きはケイほどではないが、それでも動じないはずがない。手のひらを口元に添え、感じ入った様子で言葉を続ける。


「しかし……ハツメ嬢と一緒にいると不思議なことが多いな」


「普段は、普通の人なんですけどね」


「おや。ケイには普通に見えるのか」


 ケイの言葉にトウヤは少し首を傾けた。


「普通に優しくて、前向きな女性ですよ。でも、これだけのものを抱えて、その普通でいられるのが特別なのかもしれませんね。……まぁそうでなくても、トウヤさんやアサヒさんには特別に見えるでしょう、ハツメお姉ちゃんは」


 あは、といつもの調子で笑うケイ。まなじりに引かれた紅が楽しそうに動く。


「ケイ。年の割には大人びすぎてやしないか」


「トウヤさんも大人に見えますよ、年の割に」


 そんな会話をしながらトウヤとケイは岩陰へ向かった。




 こうして海ノ神に連れて行かれたハツメを待つことにした二人は、その岩陰で一晩を過ごした。そして一日過ぎた今も、一向に戻らないハツメの帰りを今か今かと待っていた。

お読み頂きありがとうございます。

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