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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第百六話 反乱の種火

 イチルとミヅハがそれぞれ議事堂を出たときには、ハクジの砦での攻防は既に二刻余りが経過していた。


 完全に戦闘に巻き込まれた形となったアサヒは、抜け出す機会を窺いながら錫ノ国の兵を倒していく。


 彼は失敗した、と唇を噛む。

 カナトと言い争ったとき。多少無理をしてでもここを出ておくべきだった。ここで足止めを食らうよりははるかにましだった。


 地の利を楯にしばらくは善戦していたハクジの民と反乱軍だが、それでも次々と砦に進入しようとする錫ノ国に次第に押されていた。


 アサヒは今、カナトやセイと共に砦の中心部、外に張り出した木造建物からすぐの広場で戦闘に加わっている。入り口が直接繋がるここでは既に白兵戦が始まっていた。第一線。最悪の状況だった。


 錫ノ国の兵がアサヒに対峙し、大きく剣を振りかざす。

 隙の見える相手の腹をアサヒは一度横に薙ぐ。浅いと感じた彼はすぐさま返すように、二度目はさらに深く、斬り込んだ。


 もう何人地に伏せたか分からない。

 数える余裕などない。

 ハツメを。ハツメを探さなければ。


 彼女の無事を祈りながらアサヒが迫り来る次の敵兵に剣を構えたとき。


 それは突然訪れた。


 目の前が揺らぎ、彼の視界が白炎に覆われていく。


 ――あの力が発現する。


 意識が奪われていくのに抗えず、がくりと膝を落とすアサヒに敵兵が迫る。

 敵兵が好機とばかりに両腕で剣を振り上げると、アサヒの横からカナトが飛び出した。


 視界が薄れていく中、彼が敵を一閃するのが見える。


 カナトの側にはセイもいた。アサヒの異常を察したセイがこちらを振り向き、歩み寄ろうとしている。


 この意識はどこに飛ぶのか。早く戻らねば死ぬことになると、焦燥に胸を焼かれながらアサヒの意識はふっと途切れた。




 アサヒの意識が飛んだ先は、今やよく見知った海ノ都、シラズメの大通りだった。

 視界の端に学術院の塀が見える。となればここは都の中腹辺りか。


「カリンちゃんはもう行った?」


 その声に身体がぎくりと強張る。

 戦場に似合わない、吐き気がする程に甘い声音は山ノ国以来。


 アサヒが声のした方を見やれば、金色の髪の男が数人を引き連れて大通りの斜面を悠々と登っていた。濃赤の外套を羽織り軍帽を被るその姿は、以前相まみえたときの格好そのままだ。


「はい。一足早く学術院の接収に向かいました」


 イチルの斜め後ろに付いたエンジュが彼の言葉に答える。


「姐さんは神経質のせっかちですからね」


 もう一人、主の後ろに付き従うのは花ノ国で見た男、リンドウ。


「お前と足して二で割れば丁度良いだろうな」


 無表情のまま言い放つエンジュに、リンドウがへらっと顔を崩す。


「砦の方はどう?」


「あともうちょっとかかりそうです」


 二人のやり取りを楽し気に聞いていたイチルが問うと、今度はリンドウが答えた。


「そう。白蛇駆除は火計が楽なんだろうけど、仕方ないね」


「第二王子がいたら大変ですもんねー」


「よく分かってるじゃない、リンドウくん」


 にやにやと口の端を上げるリンドウにイチルが振り返り、微笑み返す。


「君たちも見つけ次第行っていいから。……もちろん私も行くけれど」


 そう言ってイチルが再び前を向けば、前方に小さくハクジの砦が見えたところだった。




 一瞬で景色が入れ替わる。


 自身の両肩を掴む大きな人影。怒号と、血の匂い。


 突然切り替わった感覚に気持ち悪さを覚えながら、膝立ちのままだったらしいアサヒは一度ゆっくりと瞬きをした。


 アサヒの肩を掴み、支えていたのはセイだった。彼の暗い目は瞳孔が開き、アサヒを食い入るように見つめていた。


「何が視えた?」


 そのセイの表情に、アサヒは血の気が引いた。


 ぞくぞくと歓喜に打ち震える彼の顔。アサヒの肩に置かれた生身の右手が熱く彼を捉える一方で、義手の左手は重く冷たく彼の肩にのし掛かる。


 アサヒはその両手から逃れるように、へたりと腰を下ろした。


「おい、何が視えた」


 アサヒを凝視したまま質問を繰り返すセイ。

 腕の力でずり、ずりとアサヒが後ろへ下がると、セイは四つん這いになりアサヒとの距離を詰めていく。


 アサヒは背中が壁に当たったのを切っ掛けに、半ば無意識に口を開いた。


「……第一王子が。ここに来る」


 感情が含まれない、ただの事実として述べられたその言葉を聞いて、セイが感極まったように声を上げた。


「やはり視えたのだな……! アカネ様と同じ異能の力! ……ああ! 思えばどこか面差しが似ている。イチルが望む男というのもお前だな? ……全て納得した」


 男の暗く澱んだ目に、光が宿った。

 喜びに浸る彼は口を歪ませ笑う。


カナト(あいつ)は良い拾い物をした」


 ――気付かれた。この男は自分がヒダカということを知っている。

 そう悟ったアサヒは伸びてくるセイの右手を振り払うと、慌てて身体を起こす。


 逃げなければ。

 この男からも。第一王子からも。


 立ち上がった自分を見上げ、なおも笑い続けるセイの様子に寒気を覚えながら、アサヒは駆け出した。




「セイ様! アサヒは……」


 戦場を駆け抜けていくアサヒを見たカナトが、セイの元へ走り寄る。幾多の兵を屠った彼は息が上がっていた。


「追いかけろ。あいつを捕まえて反乱軍の将にしろ」


 そう言ってセイは立ち上がると、カナトからの強い視線を見返しながら愉快気に口を開く。


「あいつはヒダカ王子だ。アカネ様の忘れ形見、何としても手に入れろ」


 彼から突然突き付けられた事実にカナトは言葉を失った。鼓動は増して早くなり、短く切れた息が規則的に吐き出される。


(ここ)はいずれ落ちる。お前は仲間を引き連れてヒダカ王子を追え」


 動揺するカナトに、今はこれ以上大事なことはない、とセイは説いた。


「セイ様は……」


「俺はあの目を見られれば満足だ。イチルがああである以上、ヒダカ王子はこのままでは生きられぬ。今の王族を絶やす炎があるとすれば、その種火はヒダカ王子だ。……頼んだぞ」


 そう言って不敵に笑うセイの顔に、カナトは息を呑む。

 セイは自身を真っ直ぐに見上げるカナトを見て、一瞬だけ眩しそうに目を細めると、すぐに表情を引き締めた。上司の顔で部下を見据えた彼は口を開いた。


「それに、俺には反乱軍をここに連れてきた者としての責任があるのでな。なに、俺が死んでも反乱の炎は広がるだろう。……早く行け、カナト!」


武官らしい力強い声だった。


「……はっ!」


 アサヒの正体。上司の覚悟。

 拒否したくともできないそれらの事実を受け止めたカナトは、上司の言葉に力一杯応えた。

 一度頭を下げた彼は口を強く引き結ぶと、アサヒが消えた方向へ走っていく。


 仲間に声を掛けながら離れていく部下を見やり、セイは呟く。


「さて、彼奴には一矢報いねばな」


 そう言って彼が右手で義手を掴むと、金属同士が小さく擦れる音がした。

お読み頂きありがとうございます。

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