第百三話 ハクジの砦
わずかの間に錫ノ国の一個分隊を切り伏せたアサヒとカナト。
カナトは剣に付いた血を払い鞘に納めると、迷うことなく岩場の一点に向かい歩き始めた。そのまま彼はなんの変哲もない自身の背丈ほどの岩の前でしゃがみ込むと、鞘に納めたままの剣を岩の横っ腹に三回打ち付ける。
岩と剣がぶつかり合う乾いた音。叩く強さはそれほどでもなく、辺りには響かない。
少しの間を空けて、男の声が発せられた。
――誰だ?
訝しむような声音。地面からだった。
「俺だ。カナトだ」
カナトが慣れたようにそう言うと、土と雑草で覆われた地面に四角く切り取られたような線が入り、重々しい音と共に入り口が開かれた。上に開くものではなく、石板を横にずらす形の戸だった。
開かれた入り口からするりとカナトが地下に入る。それに続いてアサヒも内部に降り立った。
降りたところはそれなりに広い通路となっていた。ランプに火は灯されているが、それにしては暗い。火がか細く燃えているのを見やりながら、戦のため油を節約しているのだとアサヒは思った。
「久しいですね」
カナトを迎え入れた若者の声は、地上で聞いたのと同じものだった。
若者はごく普通の袴姿だが、顔にはハクジの民の化粧をしている。しかし、カナトへの態度から察するに反乱軍の一員だろう。年齢は二十歳前後。カナトと同じくらいのはずだが、カナトは身長が高くないため二人並ぶと彼の方が年上に見える。
そんな男がカナトに敬語を使っているのは、アサヒには少し奇妙に感じられた。
カナトはアサヒに接しているのと同じようにその若者に言葉を返す。
「シン様の故郷に行っていた。手掛かりはなかったが」
「後ろの男はお話されていた同行者ですか」
「アサヒだ。俺の友人で、信用に足る男だ」
若者はちらりとアサヒを見ただけで、カナトの言葉に頷いた。
アサヒはもっと警戒されるかと思っていたが、それだけだった。反乱軍でのカナトの立ち位置がどのようなものなのかアサヒは知らないが、少なくとも自分たちを迎え入れた目の前の若者よりは上のようだ。
通路を奥に進んでいくと、反乱軍らしき人間やハクジの民と擦れ違う。ハクジの民は民族衣装を着ているという勝手な予想でアサヒは判別したが、大方間違ってもいないだろう。戦闘時の服装は戦い慣れたものが一番だ。
足早に通路を進んでいく二人の後ろをアサヒが追う。
「セイ様がカナトさんを探していました」
「すぐ会いに行く。都周辺の状況をお伝えしたい」
「都周辺ですか。ありがたいのですが、今は周辺どころの問題ではなくなってまして」
カナトの言葉を聞いた若者が言い難そうに口を開いた。
「なんだと」
「既に向こうの軍勢は都に押し入っております。色々ありまして……昨晩占拠されました」
残っているのはハクジの砦だけです、と男は話す。
目を見開いたカナトが何か言おうと口を開けたが、すぐに止めた。
カナトは視界の端でアサヒが表情を変えたことに気付くと、慌てて彼の動きを追って、腕を掴んだ。アサヒは自分たち二人を追い越して駆け出そうとしていた。
「待てアサヒ! 気持ちは分かるが!」
「待ってどうしろと!」
「詳しい状況をせめて聞くべきだ! それに一人で行く気か!」
「お前と別れたら最初からそのつもりだった!」
「だからと言って……!」
突然言い争いを始めた二人に場がざわついていると、はっきりとした威圧感のある声が響いた。
「何事だ! カナトと……誰だ」
「セイ様!」
カナトがはっとしたように声の主を見る。
アサヒもまた視線を移せば、こちらをじっと注視する壮年の男と目が合った。
紅に縁取られた目元。その中の双方の瞳にアサヒは唾を飲んだ。暗く霞むようで、鈍い光を放っている。いくつも死を見てきた、ただそれだけではない。それは何かを失い続け、何も築くことが出来なかった人間の目だった。
男の身体にも違和感を感じたアサヒは、自然と彼の左腕に目が留まる。男は左肘から先に鉄の義手を付けていた。
「この男が以前お話していたアサヒです。シン様の弟子ということで、共に北の地へ行っておりました」
「そうか」
カナトの報告に頷くセイという男。纏う雰囲気とは違い、冷たい口調ではなかった。
「都の話は聞いたか、カナト」
「詳しくはまだです」
きれ良く言葉を返すカナトに、セイは「付いてこい」と言って顎を横に逸らす。また彼はアサヒの方も見ると、
「お前も知りたいなら来ていいぞ」
そう言って踵を返す。
セイの後を追うカナトに続いて、アサヒも歩き出す。一刻も早く都の様子を知りたいというのもあったが、この男には何となく逆らえないものがあった。
ハクジの砦の表側に着いた彼らは矢狭間から外を覗く。
砦の前は完全に包囲されていた。
ハクジの砦だけではなく、続く大通りや街のあちらこちらに錫ノ国の兵が配備されている。
砦の中を通るうちに日は昇りきったらしく、雲一つない冬空は青く澄み切っていた。夜通し燃えていただろうかがり火は小さくなっていて、木片が継ぎ足されることはもうなさそうだ。
「残るはハクジの砦だけだ。錫ノ国の無血入洛の条件を元首が飲まなくてな。都にもいくらか血が流れた」
都を見下ろしながら切り出したセイの話はこうだった。
昨日の日昇と共に宣戦布告をした錫ノ国だったが、数刻後に無血入洛の条件を出した。
その条件というのが、議事堂と学術院、そしてハクジの砦の引き渡しだ。
単純ではあったが、この砦を引き渡すというのが問題だった。
錫ノ国が言うには、ハクジの民が砦を引き渡しさえすれば他の国民に害は与えない。
そしてハクジの民だけは滅ぼさなければいけないが、他の国民には未来まで加護を約束する、というものだった。
この条件を元首は蹴った。ハクジの民の長としては当たり前のことかもしれない。
だがただ断ったというわけではなく、古来からの議事堂と学術院、ハクジの砦は引き渡せないが、他の国民には手を出さないで欲しいと答えたそうだ。
錫ノ国は返答に予想が付いていたのだろう。その元首の要望をあっさり聞き入れると、都に住む国民に家に籠るなり保護を求めるなり自由にしろとお触れを出した。元首の方も同様に触れ回ったらしい。
そして両国は民間人の安全を確保した後で、議事堂、学術院、ハクジの砦、三つの地区を中心にぶつかった。一日のうちに議事堂、学術院は向こうに落ちたのだが、唯一ハクジの砦だけは残り、一晩籠城して今を迎えたのだという。
来たばかりで悪いが、とセイは口を開く。
「夜が明けたことで向こうが動き出した。すぐに戦闘が始まるぞ」
そう言ってカナトとアサヒに視線を移す。
アサヒが男の暗い目に捉えられる中。
背後では低い鐘の音が鳴り響いていた。
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